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九十一話

 翌朝、リビングに行くと制服を着た慧が朝食を食べていた。

「おはよう。調子よくなったみたいだね。でもまだ学校は休んでた方がいいよ。俺が伝えておくよ」

「ありがとう。お世話かけてごめんね」

「謝らなくていいよ。それより、しっかり元気になってほしい」

「そうよ。私も慧に賛成よ」

 横からアリアが割り込んできた。わかった、と頷き「ありがとう」と告げた。

 慧が出かけてから間もなく、アリアも外出の支度を始めた。

「ちょっと買い物に行くわね。夕方までかかっちゃうと思うけどいいかしら」

「平気です。ずっと待ってます」

「そう。お留守番よろしくね」

 言い残しアリアはドアを閉めた。鍵がかかったのを確認してから、部屋に向かった。昨夜のアリアのお祈りが心に浮かんでいてどうしようもなかった。日本語でも英語でもないならきっとフランス語だ。手に持っていたものは何か知りたくてもやもやしてしまう。あれは一体どういった行為だったのか。しかし部屋を物色するのは気が引けた。まるで犯罪みたいではないか。疑問は全て口で直接質問するべきだ。

 そしてもう一つ、アリアがいなくなったら試したいことがあった。現在屋敷にいるのは爽花と瑠だけだ。つまり誰にも邪魔されず距離を縮められる。期待と緊張で鼓動が速くなっていく。忍び足で進み、瑠の部屋の前に立った。鍵がかかっているため、ドンドンとドアを叩き「瑠」と呼んでみた。なかなか反応はなく残念な気持ちで俯くと鍵が外れ、不機嫌な瑠がじろりと顔を出した。

「また来たのかよ」

「パーティーのお誘いとかじゃないよ。起こしに来たの」

「お前に起こされなくても、一人で起きれる」

 ぶっきらぼうだが怒っている表情ではなかった。せっかく開いたドアを閉められないよう、すかさず疑問をぶつけた。

「ねえ、アリアさんって夜にお祈りしてるの?」

「お祈り?」

「泣きながらお祈りしてたんだよ。夜遅くに。そういう決まりがあるの?」

「ねえよ。一体何を祈るんだ?」

「あたしに聞かないでよ。泣いてたから、すごく大きな内容なのかなって思って。瑠は教えてもらってないんだね」

 ふいに瑠が斜め上を眺めて呟いた。

「……消えたくないから祈ってんのかもな」

「えっ?」

 消えてなくなりたい地獄は先生の過去だ。アリアが先生のために泣きながら祈るのは少し違和感がある。アリアと先生は無関係のはずだ。

「まあ、特に意味はないだろ」

「でも……」

 泣くほどだから余程重大なことだと想像している。だがこれ以上同じ話を続けたら嫌がられる。そっと部屋の中を覗き、イーゼルにキャンバスが置かれていないのに気が付いた。

「あれ? 家で絵は描いてないの?」

「家でもアトリエでも描いてたら大変だし疲れるだろ」

「そっか。ちょっと寂しいね」

 瑠と先生が繋がるには油彩を描くしか方法はない。油彩を描かなかったら独りになって空しくなる。

「先生にも友だちがいなかったんだよね。だけど一人は作っておかないと困るよ。絶対、愛がなかったら生きていけないよ」

 先生は運命の人に出会って孤独を免れ、また瑠に出会って次の孤独も免れた。やはり誰にでもそばに大事な人がいないと真っ直ぐ歩いて行けない。

「俺が友人になりたいって頼んでも、みんな逃げるだろ。あいつが馬鹿みたいに言いふらして、すっかり悪者になってるからな」

 慧が余計な話をしなければ、瑠の人生はかなり明るかった。慧は輝かしい日々を送っているのに、瑠は暗い闇をとぼとぼと進んでいる。

「あたしは瑠の支えになれない?」

 そっと呟くと、瑠は固い口調で即答した。

「お前が俺の支えになって助けるって?」

「助けるというか、背中を押したりできないかな?」

 もう一度爽花が言うと、瑠は腕を組み抑揚のない声を返した。

「俺は支えなんかなくても立ってられるぞ。だいいちどうやって俺を助けるんだ? 背中を押すんだ?」

 確かにその通りなので、必死に答えを探した。

「それはわからないけど、でもとなりに座ってはいられるよ」

「となりに座るのが助けとは考えられねえけどな。余計なおしゃべりはこれで終わりか」

 むっとして爽花も睨みつけた。

「どうして殻にこもるの? 孤独は辛いって先生に聞かせてもらって」

 口を覆われて言葉が途切れた。瑠は完全にイラついていた。

「朝っぱらから質問攻めにされるこっちの身にもなれよ」

 想いが届かず、瞼に涙が溢れた。海パーティーの時と一緒だ。

「どうして泣いてるんだよ」

 手を引っ込めて瑠は聞いた。少し驚いた口調だ。

「全然あたしの気持ちわかってくれないからだよ」

「はっ? 気持ち?」

「瑠はもっとたくさん愛してもらわなきゃだめなの。ほったらかしにされて悔しくないの? たった一度きりの人生を孤独で終わらせたらもったいないよ。寂しすぎるよ……」

「寂しいかどうかは俺が決める。お前には全く関係ないんだから、いちいち口出ししたり面倒な出来事増やさないでくれ」

 本当に聞く耳持たずだ。急いで振り返りその場から立ち去った。いたたまれなくて、逃げるしかなかった。

 リビングのソファーに座り、ため息を吐いた。アリアの謎の祈りを慧は知っているだろうか。アリア本人に言えばいいが、はっきりと答えず誤魔化される可能性がある。喉が渇きキッチンへ行き、水道水をごくりと一気飲みした。自分の家だと思って使えと許可されているので、これくらいは別にいいだろう。いつまでもソファーに座っていても仕方ないのでアリアの部屋に入った。そして棚や置き物の裏などをじろじろと見て回った。昨夜の祈りで手に持っていたものがどこかに置かれていないかこっそりと探してみた。引き出しなどを漁るのは避けたが、剥き出しなら問題ない。念入りに調べても特に不思議な場所はなく、ため息を吐いてベッドに寝っ転がった。

「あーあ……。時間の無駄だよ……」

 もし祈りなら内容は何だろう。アリアは実際に先生に会った経験はない。だとしたら消えてなくなりたい地獄は関係ない。顔も知らない相手をなぜ祈る必要があるのか。自分の代わりに瑠を育ててくれたという恩があるなら話は別だ。




 それにしても水無瀬家はおかしな家族だと感じる。お金持ちで才能も魅力も美貌も溢れて誰もが羨む家族なのに、実は喧嘩やわがままなどで亀裂が入っている。普通で平凡な新井家の方が、ずっと暮らしやすい。原因は慧しか可愛がらなかった祖父母だ。二人に頼まなければ、たぶんみんな笑顔になれた。けれど逆に瑠が孤独にならなかったら先生が酷い目に遭っていた。妻を亡くし瑠も現れなかったら孤独のままだった。そう考えると放っておかれたのも正解と言える。愛が足りなくなったらどうすればいいのか。もし心が渇いたら瑠は先生の元に行く必要がある。ただし日本とフランスの距離は遠く、簡単には補充できない。だから日本でも愛してくれる人を探すのだ。落ち込んで傷ついた自分を癒し暖かく包み込んでくれる大切な人と繋がるべきだ。けれど瑠は独りでも大丈夫と勘違いしている。一番の失敗は、慧の言いふらしによって瑠のイメージが悪者に定着してしまい、誰も寄り付かなくなったことだ。放っておけばいい、どうだっていいと決めつけられ、その状態のまま過ごしてしまった。この悪循環を止めるには爽花が頑張るしかない。一体どんな解決方法があるのか思い浮かばないが、瑠が幸せになるのを願っているなら行動するしかないのだ。砂漠で水を探すのと同じくらい気の遠くなることだ。

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