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八十三話

 慧が学校に来たのは、それからちょうど一週間経ってからだった。意外と元気そうで安心した。爽花の姿を見つけると駆け寄り、深く頭を下げた。

「本当に、あのキャンバスはごめんな」

「壊したこと?」

「うん。爽花の宝物だったんだろ。カッとして……酷すぎるよな」

 そうだねとは言えず、笑いながら首を横に振った。

「落ち込まないでよ。もう終わったことなんだから」

 嫌な思い出はさっさと記憶から消した方がいい。いつまでも根に持っていると爽花自身も暗くなる。

「そうか……。ごめんな……」

 もう一度謝り、とぼとぼと歩いて行った。慧の自分勝手さには辟易する。子供ではないのだから、イラついても我慢するべきだ。これまで何度起こしたかわからない。そして奪われたくないからと爽花を束縛するのも止めてほしい。爽花は慧のおもちゃではないし、妄想して暴走するのも嫌だ。優しく穏やかだったはずなのに残念でならない。しかしこの原因は爽花のせいでもある。爽花が嘘をついたり誤魔化したりするから慧は詮索魔に豹変するのだ。普通に付き合っていれば問題など一つもない。だから慧を悪く思うのはいけない。命がけで護ってくれる人を邪魔扱いするのはだめだ。



 いつの間にか秋が終わり冬がやって来た。風が冷たくなり、次第にキャンバス事件も薄れていった。布団から出るのが億劫でいつまでも眠っていたい。カレンダーには十一月と書かれていた。マフラーだけしかないので寒さは身に染みた。スカートも足がむき出しになっているため、凍り付きそうだ。慧は爽花が震えているのを困った表情で見つめた。

「可哀想に……。女の子もズボン穿きたいよね」

「辛いよ。マフラー巻いても効果なんか全然ないもん」

「もうちょっと学校も生徒たちの願い聞いてくれてもいいのにね」

 心配してぎゅっと抱き締めてくれる。暖かな温もりがじわじわと胸に注がれ、どきどきと鼓動が速くなっていく。

「ところで、パーティーのお誘いしたいんだけど」

 耳元で囁かれ、うっとりとした気持ちがなくなった。

「パーティー? また?」

「毎年、クリスマスパーティーをするんだ。誕生日もあるし」

 そういえば十二月には瑠と慧の誕生日がある。すっかり忘れていた。

「今年はぜひとも爽花にも参加してほしい。母さんはチョコレートケーキを焼いてくれるんだけど、爽花にも味わってもらいたいな」

「へえ……。あたしチョコレートもケーキも大好き。食べてみたい」

 にっこりと笑うと慧も微笑んだ。

「母さんも喜ぶよ。いつ頃がいいかな?」

「慧が決めて。いつも暇にしてるから」

「わかった。決まったら教えるね」

 キャンバスを壊した負い目があるのか、やけにぎこちなくてどことなく緊張する口調だった。記憶が薄れてはいるものの、完全に消えるわけではない。あの事件は慧にとってもショックだったのだ。まさか愛する

爽花に頬をはたかれるとは夢にも思わなかったはずだ。

「ありがとう。楽しみにしてる。で、誕生日プレゼントは何がいいの?」

 すかさず質問をすると、慧は首を横に振った。

「爽花がパーティーに来てくれたらそれで満足だよ」

「でも……。やっぱりプレゼントは贈らなきゃ……」

「じゃあキスしてくれる? 爽花の方から」

「キス?」

 驚いて目を丸くした。頬が赤くなってしまう。

「キ……キスは恥ずかしいよ……」

「俺がほしいのは爽花なんだ。今までもキスはしたじゃないか。次は爽花の方からで」

「そんな……。どきどきしちゃう……」

 照れて鼓動が止まらない。確かに間接キスから始まり雨の日や夏祭りや、たくさん唇を重ねた。王子様にこんなに愛されるなんて奇跡としか言いようがない。

「じゃあ、キスよろしくね」

 爽花の髪を優しく撫でて、ゆっくりと歩いて行った。

 きっとクリスマスパーティーも瑠は不参加なのだろう。誕生日は慧だけじゃないのに、祝ってもらう人が参加できないのは不憫過ぎだ。といって瑠を誘っても海パーティーのように断られておまけに泣く羽目になる。毎年と慧は話していたので、毎年瑠は祝ってもらっていないという意味だ。幼い頃から慧が飽きて着なくなったお古を着せられて、ほしいものは買ってもらえなかった瑠が可哀想だ。誰かから嬉しい品物を渡された経験がない。だからバレンタインチョコをあげた時も戸惑っていたし、世の中は持ちつ持たれつという常識を知らなかった。そんな瑠が、なぜ爽花に絵を描いてくれたのかが不思議で仕方がない。もし好きな人が現れたら花束を贈るのも変わった告白方法だ。意外にも瑠はロマンチストみたいだ。

「……バレなきゃ大丈夫だよね……」

 ふいにある考えが浮かび、休日に街中をぶらぶらと歩いてみた。クリスマスソングやサンタと雪だるまなど、とても賑やかな雰囲気で溢れかえっている。爽花は男子が欲しがるものも不明だしお金もないので迷ったが、とりあえず暖かそうでおしゃれな手袋を購入した。可愛いラッピングはやめて他人に疑われないよう工夫した。放課後にアトリエのドアを開けると、いつも通り瑠は絵を描いていた。

「瑠、ちょっといいかな」

 振り返らずに瑠は抑揚のない口調で答えた。

「忙しいからスケッチの練習は違う日にしてくれ」

「スケッチじゃないの。……もうちょっとで誕生日でしょ? だからこれ……」

 購入した手袋を差し出すと、瑠はくるりと爽花の方に体を向けた。

「何だこれ」

「手袋だよ」

「手袋なのはわかる。どうして俺に」

「だから誕生日プレゼントだよ。早いけどね。お誕生日おめでとう」

 ぎこちないがきちんと最後まで言えた。ほっと安心したが瑠は首を横に振った。

「俺じゃなくてあいつにやれよ」

「慧にはもう一つプレゼント用意してあるから。せっかく瑠のために買ったんだよ。いらなくても一応受け取ってよ。それにほら、瑠は手が大事でしょ。手がなくなったら絵が描けないじゃない」

 頑張って言い返すと、爽花の想いが届いたのか瑠は手袋を受け取った。

「まあ……手は大事だな。だけど使わないぞ」

「えっ? どうして」

「あいつにバレるだろ。部屋に隠しておく」

 確かに住んでいる家が一緒なので使えない。もったいないが、これはどうしようもない。

「そっか。残念だけど。とにかくプレゼントしたかったの。お誕生日おめでとう」

 もう一度祝うと瑠は黙って手袋を鞄にしまった。ありがとうもないしニコリともしないが、あっさりと受け取ってくれたのが嬉しかった。

「じゃあ、用が済んだから帰るね」

 先ほど忙しいと言っていたのでさっさとドアを閉めた。高い手袋でお小遣いはすっかりなくなってしまったが満足で堪らなかった。ほんの少しは爽花を特別と感じているかもしれないと期待した。その裏で、やはり慧がいなければという空しい想いも存在していた。バレンタインチョコを食べてもらえなかった悲しみも、こうしてこっそりとでしか会えない寂しさもしっかり覚えているからだ。



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