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八十一話

 瑠とも慧とも関係がこじれ、しばらくうんざりする日が続いた。アトリエにも行かず慧は学校を休んでいて会えない。板挟みの状態で過ごすしかなかった。そんな毎日を破ったのは意外な人物だった。久しぶりに散歩をしていると、背中から肩を叩かれた。はっと振り返るとアリアが笑っていた。

「偶然ね。どこかにお買い物?」

「いえ、ただ散歩してるだけです」

「そう。何だか暗いけど大丈夫?」

 まさかあなたの息子で気を重くしているとは答えられない。「大丈夫です」と呟くと、励ますようにアリアは手を握り締めた。

「ちょっとお茶飲みましょう。おいしいお茶を飲めば、きっと元気になれるわ」

「えっ? で……でも」

「ついて来て。最近新しくできたお店があるのよ」

 爽花の返事を聞かず、手を繋いだままアリアは歩き出した。

 辿り着いたのは大人っぽく、喫茶店というよりバーのようだった。客も綺麗な女性ばかりで注文のメニューもお酒ばかりだ。爽花が頼めるのはブドウジュースしかなく恥ずかしかった。

「お酒ばかりのお店でごめんなさいね。静かな場所がよかったから、ここにしちゃった」

「別にどこでも構いません。緊張はするけど」

「楽にしてね。楽にしないと、これからする話に耐えられなくなっちゃうわ」

 どきりと冷汗が流れた。とても重要な内容だと予想した。ふう、と息を吐いてアリアは口を開いた。

「爽花ちゃんは、どうして母親なのに瑠を可愛がらないのか不思議なんでしょう? 当たり前よね。大事な息子を愛さないなんておかしいもの。だけどあれは慧に合わせているだけで演技なの。本当は瑠を愛しているのよ。放っていいなんて一度も考えたことはないわ。ただ慧が暴れるのが怖くて、自分に嘘をつくしかないのよ」

 どくんと心臓が跳ねた。爽花の想いが届いたのか、アリアは続けた。

「パパも一緒。特にパパは寂しがり屋だから、瑠が孤独なのが可哀想で心配してる。仕事を辞めて瑠の話し相手になるまで言ったのよ。それくらい瑠への愛は大きいの」

「瑠は、家族はいらないって言ってました。油絵の先生がいればいいって」

「そう。あの子は私たちを他人だと感じてるわね。それは私が育ててあげなかったからよ」

「育ててあげなかった?」

 アリアは頷き、ふっと苦笑した。

「私はフランスに住んでフランスで仕事をしていたの。けれど出産した直後に仕事場が外国に変わったのよ。私は仕事を辞めて母親になるつもりだったんだけど、代わりにおじいちゃんとおばあちゃんが面倒を見るから仕事を続けなさいって助けてもらって引っ越した。瑠が育てなかったって話したのはこれ。生みの親と育ての親、子供にとってはどちらが大事なのかしらね」

 それは爽花には理解できなかった。爽花は生みの親も育ての親も京花なので想像できない。

「でもアリアさんは全然悪くないじゃないですか。仕事を辞めて母親になるって、ちゃんと瑠に伝えたんですか?」

「伝えたんだけど、性格が頑固だったから、そんな言い訳やめろって逆に怒られちゃった。お前なんか母親じゃない。ただ産んだだけで母親なんて呼べるかってね。ショックで大泣きしたわ」

 酷いとしか言いようがない。アリアの気持ちを全て作り話のように決めつけるのはむごすぎる。

「あたし、瑠にアリアさんの言葉伝えます。あんまりだもん」

 慌ててアリアは首を横に振った。悲痛な表情が胸に刺さった。

「爽花ちゃんは関係ないでしょう? 爽花ちゃんまで泣かせるなんて嫌よ。やめて」

「だけど」

「お願いだから。母親失格なのは私も充分感じているし、放っておいて」

「……わかりました。余計なことはしません。ごめんなさい」

 申し訳なくて頭を下げると、アリアは小さく息を吐いた。

 まだ二十分くらいしか経っていないが店から出た。気まずい雰囲気になってしまったのが理由だ。

「また今度、瑠について質問していいですか?」

「ええ。私も教えたい。爽花ちゃんにはとても感謝してるの」

「瑠を愛してるんですよね? ただ慧に合わせてるだけで、本当は可愛いんですよね?」

「もちろん。あの子には届かないけど……」

 母親なのに母親だと認めてくれない。ものすごく辛い現実だろう。

「じゃあ、また。勝手に付き合わせてごめんなさいね」

「いえ、瑠の謎が一つ明らかになって嬉しいです」

 深くお辞儀をしてから、くるりと後ろを向きアパートに向かって走った。

 とりあえずアリアが愛情に満ちていたのは本当だと安心した。やはり慧が壁を作って瑠を檻に閉じ込めている。仕方なくアリアもその手伝いをする羽目をしている。瑠の孤独が好きという性格は、もしかしたら祖父に似たのかもしれない。きっと祖父も独りで絵を描くような人なのだろう。しかしそうだとしたら、共に暮らしてきた慧とは仲良くするはずだ。同じ家で育った慧まで他人だと感じるのは少し不自然だ。

「他人みたいに……」

 ある疑問が沸いたがすでにアリアはいない。次に会った時に聞こうと決めた。




 翌日、余計なことはしないと約束したのにアトリエに足が勝手に動いた。ドアを開けると瑠の姿はなかった。イーゼルの上にはキャンバスが乗っている。よく絵や音楽は作った者の心が宿るという。性格や好きなものや特技などが、そのまま作品に反映する。つまり瑠は薔薇のように美しい心を持っているという意味だ。悪魔は薔薇とは無関係のため、慧の悪者呼ばわりは間違いだ。慧はたぶん、瑠の暗い部分しか知らないのだろう。とっつきにくくダンマリな姿は確かに印象はよくないが、実はいい部分だって存在するのだ。家族であるアリアも無理なのだから、赤の他人の爽花ががちがちに固まった心の扉を開くのはもっと不可能に近い。それでも爽花は瑠を放っておけなかった。正体を暴かなかったら絶対に後悔する。生みの親と育ての親、どちらが子供にとって大事なのか。一番長い時間を過ごした人を親と呼ぶのだとしたら、瑠の親は祖父母になる。

 ぼんやりしていると窓の外が暗くなった。瑠とまともに会話できるのがいつかわからず、諦めてアパートに帰った。

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