八話
噂とは、驚くべき速さで広まるものだ。放課後に昇降口に行くと、三十人以上の女の子に囲まれた。空き教室まで連れて行かれて、背中で手を紐で縛られて見動きできなくなった。
「ちょっと……何これ……」
震える口調で聞くと、髪を金髪に染めたリーダーの女子が睨みつけてきた。
「あんた、自分がしたことわかってんの?」
「自分がしたことって?」
「しらばっくれないで!」
がたんっと椅子を蹴り飛ばし、金髪の女子はじりじりと距離を狭めてきた。
「昨日の帰り、水無瀬様と楽しくおしゃべりしてたんでしょ。あたしたちに隠れて、なに独り占めしてんの? あんたみたいなブサイクな女と水無瀬様がお話をするなんて一〇〇年早いわよ。それにさあ、あんた確か彼氏いらないとか言ってたよね? 嘘じゃん。めちゃくちゃ男好きじゃん。水無瀬様に気に入ってもらえるとか思ってんの? そのブサイクな顔で? どうしようもない馬鹿で呆れるわ。おかしくて笑っちゃう」
きゃはは、と何人かが笑い、全員が馬鹿な女、馬鹿な女と繰り返し叫ぶ。
「ち……違うよ……。あいつが……勝手に……」
「あいつ?」
金髪の女子は睨みを鋭くし、手に持っていたものを掲げた。きらりと光り輝くカッターだった。
「ちょっと……。や……やめて……」
手足が小刻みに震えた。やばい、と必死に体を動かすが、固く結ばれた紐はほどけない。
「あの美しい水無瀬様をあいつ呼ばわりするなんて。あんたにはカッター八つ裂きの刑ね。その醜い顔、めちゃくちゃにしてあげる」
チキチキと刃を全て出し、金髪の女子はカッターを振り上げた。馬鹿な女馬鹿な女から、やっちゃえやっちゃえという叫びになった。
「楽しい時間の始まりよ。みんなスマホの用意は?」
「オッケー! 永久保存版にしちゃおう!」
「ほら、早く早く!」
恐ろしい言葉が次々と飛び交う。だらだらと冷や汗が滝のように流れる。
「やめ……やめて……」
目をつぶり慌てて横を向いた。もうだめだと直感した。しかしカッターが振り下ろされる前に、低く太い声が耳に飛び込んできた。
「お前ら、何してるんだ」
金髪の女子は体を静止した。そして声のした方に、ゆっくりと視線を移した。水無瀬が腕を組んで壁に寄りかかっていた。
「み……みな……水無瀬様……」
「そうやって全員で一人の子を襲ってるんだな」
完全に軽蔑した口調だった。金髪の女子は激しく首を横に振った。
「襲うなんて……。まさか……あたしたちが……」
「じゃあその手に持ってるものは何のためか、はっきり言ってみろよ」
金髪の女子はカッターを床に落とした。がたがたと震え、信じられないという表情に変わっていた。他の女の子たちも愕然としていた。
水無瀬は黙って爽花の元へ行き、素早く紐をほどいた。そして凍り付いている女子全員を睨みつけて、大声で怒鳴り散らした。
「次また同じことをしたら、お前らもカッターで八つ裂きにしてやるよ。もう二度と俺に話しかけるな。自分がどれだけ醜い生き物か気付かない馬鹿な奴と口なんか聞きたくない」
一気にまくし立て、水無瀬は爽花の腕を掴みその場から離れた。爽花も慌てて早足でついていった。
廊下の陰に移動すると、水無瀬は爽花の方に振り返った。心配そうに覗きこんでくる。
「大丈夫? 変なことされてないか?」
大丈夫、と答えるつもりだったが、代わりに涙がぽろぽろと流れた。怖いという想いが、今になって感じたのだ。うわあああっと泣いてしまいかっこ悪いが、抑えることなどできない。
「よしよし。俺がついてるから泣かなくていいぞ」
水無瀬は優しく頭を撫でて、にっこりと微笑んだ。
ようやく落ち着くと、爽花は小声で呟いた。
「ありがとう……。水無瀬くんが助けてくれなかったら、あたし酷い目に遭ってた……。本当にありがとう……」
「新井さんを護るのが俺の役目って言っただろ。当たり前のことをしたまでだよ」
爽花の涙の跡を指で拭いながら、水無瀬は嬉しそうに微笑んでくれた。