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七十五話

 朝早くベッドから出て慧に電話をかけた。眠気でぼうっとしている頭をぐるぐると回す。

「どうしたんだ? まだ六時」

「お父さんがいるの」

「お父さん?」

「そう。慧のお父さん」

「えっ? 俺の?」

 かなり驚いているようだ。焦っている姿が鮮明に浮かぶ。

「父さんがアパートにいるのか?」

「アパートじゃなくて実家の方。今あたし家に帰ってるんだ。昨日の夕方たまたま会って。迷子になっちゃったから泊まってもらったんだよ」

 そういうことかと安心したらしく、ほっと息を吐く音が微かに耳に入った。アパートで爽花と二人きりだと、何となく危険な雰囲気に感じる。

「じゃあ、後で迎えに行くよ。爽花の実家ってどこにあるの?」

「アパートで待ってて。途中まであたしもついて行く」

 慧を京花と俊彦にバラしてはいけない。慧と恋人同士になったら瑠を失う。

「わかった。アパートで待ってる」

 短く答えて電話は切れた。

 服に着替えて居間に移動すると、すでに三人は起きていて朝食を食べていた。潤一が好きだと言ったからか、普通の料理だった。アリアの料理はおいしいけれど常に洋食なため、たまには和食も食べたいだろう。爽花に気が付くと、おいでおいでと手招きした。

「おはよう。ぐっすり眠れたかな?」

「はい。おかげさまで」

 本当は不思議な力という言葉でほとんど眠れなかったが、嘘をついて爽花も笑い返した。もう緊張の糸は消えていた。やはり父親も瑠に似ていない性格だった。優しくて明るくて、愛情に満ちている。なぜ瑠だけあんなに暗いのか。養子ではないかと疑問も生まれるが、外見は慧とも潤一ともそっくりなのだ。血が繋がっているのは爽花でもわかる。

 ドアの前で、潤一はくるりと振り返った。京花と俊彦に深くお辞儀をする。

「いきなりお邪魔してすみませんでした」

「いえいえ、こちらこそ何も用意できなくてすみません」

「またいつでも泊まりに来てください。いつも暇にしてるので」

 二人も頭を下げ、「素敵な男性とお話できて嬉しかったです」と同時に言った。

「では行きますね。爽花ちゃん、アパートまでよろしくね」

 はい、と頷き、爽花は歩き始めた。

 電車はすんなりと乗れて並んで座った。そして潤一の横顔をこっそりと盗み見た。真面目な表情は瑠で、笑顔になると慧になる。若々しく肌の色も澄んでいて、眼鏡の奥の瞳は黒い宝石みたいだ。

「潤一さんは、コンタクトにしないんですか?」

「あっ、眼鏡? やっぱりおかしいかな? よくコンタクトにすれば? って勧められるんだけど、目に何か貼り付けるのって痛そうで怖いんだよねえ。瑠と慧は勇気があってすごいよ。方向音痴で忘れっぽくて根性なしなんて、だめな大人だ」

「全然だめじゃないですよ。あたしだって昨日の夜も話したけど、ドジだし馬鹿だし取り柄もなくて失敗ばっかりです。でもそこが好きなんだって慧から可愛がってもらってます」

「好き?」

 はっと口を覆ったが遅すぎた。潤一の耳にしっかりと届いてしまった。

「そうか、爽花ちゃんと慧はお付き合いしてるんだね。恋人同士なんだ」

「いやいや、恋人同士じゃなくて……」

「隠さなくても平気だよ。やっぱり恋人同士だったのかあ……。慧は見る目があるなあ」

「違います。まだ恋人じゃないんです。慧には好きって言われてるけど、あたしは彼女になってもいいか悩んでるんです。慧はすごく魅力的だしかっこいいから絶対に付き合った方がいいって思ってるんですけど」

 潤一の瞳が一瞬光った。じっとその瞳で爽花を見つめてくる。

「それは……瑠がいるから? 瑠と慧の仲がよくないからかな?」

 よくないどころか殴りかかろうとしていた。悪魔や死神と呼んだり、普通の兄弟喧嘩ではない。さらに潤一は続ける。

「もし慧とお付き合いしたら、瑠のアトリエには入れないし絵も見れなくなっちゃうよね。爽花ちゃんは慧も瑠も必要なんだ。悩んじゃうのも確かにわかるよ。だけど」

 二人を無視して電車が止まった。大きな音が潤一の次の言葉をかき消してしまった。駅に降りると潤一は黙りこくり口を開かなかった。

 アパートに着いて十分ほど経ち、慧が急いで走ってきた。

「父さん! 帰るなら始めに連絡してくれって言ったじゃないか。俺か母さんが空港まで迎えに行くって約束しただろ。父さんの方向音痴は酷いんだから」

「ごめんごめん。ちゃんと覚えてるつもりだったんだけどなあ。久しぶりなんだから怒らないでくれよ」

「全く……。爽花、世話かけてごめんね」

 申し訳なさそうに慧が謝り、ぶんぶんと首を横に振った。

「世話なんか一つもないよ。むしろお父さんもお母さんもめちゃくちゃ喜んでたし感動してたよ。ごめんなんていらないよ」

 きっと近所のおばさんや会社の同僚に自慢するだろう。京花と俊彦の性格はよく知っている。

「爽花ちゃんのお母さんは料理上手だよ。懐かしい故郷の味ってやつだね。毎日あんなにおいしいご飯が食べられるなんて羨ましいよ」

 余韻に浸っているらしく、潤一は目をきらきらさせた。

「で、慧は元気だったかな?」

「元気だよ。相変わらずマイペースだよ」

「母さんは?」

「母さんも。心配しなくてもいいよ」

「そうかそうか。安心したよ」

 瑠も元気か、と質問すると爽花は考えていたが、潤一は瑠の名前を出さなかった。

「爽花ちゃん、またね。お父さんとお母さんにありがとうって伝えておいてね」

 潤一は微笑んだまま慧と一緒に歩いて行ってしまった。取り残された爽花の胸には、新たな鉛が浮かんでいた。

「まさか……お父さんまでほったらかしにしてるの……?」

 水無瀬家に戻ったら瑠と会話するかもしれないが、放っておくのではという想いもあった。本当に瑠は孤独で、血の繋がっていない先生しか信じていないのか。空しさと寂しさでその場にしゃがみ込んだ。涙は出なかったががっくりと項垂れた。

「どうして瑠ばっかり……」

 呟いても仕方ない。爽花は瑠のそばにいようと改めて自分に言い聞かせた。



 

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