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七十四話

 腹が満たされて自分の部屋を見に行った。ぎしぎしという階段の軋む音さえ懐かしく感じる。二階は右側に二つ、左側に一つドアがあって、一番奥にトイレがある。爽花の自室は右側の手前の部屋だ。ドアを開けると、爽花が大好きで大事なものが溢れていた。小学生の頃に買ってもらった机と椅子とベッド。枕元には目覚まし時計、ベッドの下におもちゃ箱が置いてある。机にはぬいぐるみやキーホルダーがごちゃごちゃと並んでいて、壁にはお気に入りのマンガのポスターが貼られている。爽花だけの世界が広がっていた。倒れるようにベッドに横たわって枕をぎゅっと抱き締めた。

「みんな……ただいま……」

 完全に子供に戻っていた。高校二年生といっても、まだまだ幼い子供なのだ。一人暮らしをするとまるで成人した気持ちになるけれど、親がそばにいたら誰だって子供に変わるはずだ。ずっと両親に甘えて、死ぬまで愛の国で過ごしたい。きっと誰もが願っているだろう。慧だってカンナだって同じだ。だが瑠は違う。家族よりも先生を信じ、人生に必要なのは先生のみと決めつけている。命の恩人と呼び、他はどうでもいいと考えている。確かに放っておかれて不満なのもわかるが、血の繋がっている人を突き放すのは問題だ。瑠はどうやって育ち暮らしてきたのだろう。独りが好きなのは誰に似たのか。

「爽花、アイスあるけど食べるー?」

 階段の下から京花の声が聞こえ、勢いよく起き「食べる!」と急いで返事をした。

 京花の作る料理はアリアみたいに豪華でもないし美しくもない、普通の家庭料理だ。しかし爽花にはどちらかと言うと、京花の方が自分に合っていると感じる。舌が慣れているし、いちいち誉め言葉を考えずに済むというのもある。俊彦は先ほどと同じく扇風機に当たってテレビを観ていた。

「最近、お父さん恋愛ドラマにハマってるの。若い男女のドラマね」

「へえ……。おかしいね。昔を思い出してるのかな」

 ははは、と軽く笑ったが、京花は首を横に振った。

「そうじゃなくて、爽花がこんな恋をすればいいのになって意味みたい」

 どきりと心臓が跳ねた。京花だけでなく、俊彦も爽花が素敵な恋愛をしてほしいと祈っているのだ。慧と恋人同士になれば、その素敵な恋愛を味わえる。すでにキスもデートもしているとはバラせない。二人とも喜んで慧と付き合えと推すのは予想している。そして瑠の姿は消え謎を残したまま終わる。

「早くしないとアイス溶けちゃうよ」

 京花に言われ我に返り、慌てて口に放り込んだ。

 夕方になっても外は明るく、ぶらぶらと散歩をすることにした。爽花の散歩コースはほぼ一緒だが、せっかくなので知らない道を歩いてみた。もし運が良ければイチジクのような穏やかな人が現れるかもしれない。とはいっても、もう小学生の時からここに住んでいるため、全て知っている道で新しい出会いもなかった。だんだん暗くなってきて、さっさと帰ろうと後ろを振り返った。

 帰り道の途中に、小さい公園がある。よく爽花が遊んだ公園だ。その公園のベンチに誰かが座っていた。下を向いて迷子になっているみたいだ。こっそりと近づいて背中のシルエットがはっきりわかった瞬間、足がぴたりと止まった。瑠にそっくりだったからだ。なぜ瑠がここにいるのか。爽花に尾行していたのか。

「る……瑠……?」

 そっと小声で呼ぶと、座っていた男性はくるりと振り返った。やはり瑠だ。ただ、やけに表情が朗らかで柔らかい。そして紅色のふちの眼鏡をかけている。

「……君、瑠のことを知ってるのか?」

「えっ?」

 声は慧にそっくりのハスキーボイスだ。疑問がどんどん募っていく。

「瑠を知ってる女の子がいるとはびっくりだよ。クラスメイトとかかな?」

 男性は立ち上がり、すたすたと爽花の元に移動した。代わりに爽花は後ずさった。

「あの……あなたは……」

 男性はにっこりと微笑み、爽花の手を握った。

「僕は瑠の父親の水無瀬潤一です。初めまして」

「父親? 瑠と慧のお父さんですか?」

「おや、慧も知ってるんだね。そうです。パパですよ」

 頭が爆発しそうだ。全身に雷が走り、ぶるぶると震えた。

「あ、怪しい者じゃないからね。変なことは考えていないよ。ただ迷子になっちゃって……。酷い方向音痴で忘れっぽくて、毎回やっちゃうんだ。確かこの辺りだったような……」

 はあ、と長いため息を吐いて、がっくりと俯いた。その仕草はアリアに似ている。間違いなくこの男性は瑠と慧の父親でアリアの夫だ。

「うーん……。違ってるのかなあ? こんな時間になっちゃったし、今日はどこで眠ればいいのかなあ……」

「あ、あたしの家でよかったら、どうぞ泊ってください」

 無意識に言葉が漏れていた。断られるかもしれないが、困っている人を見捨てるわけにはいかない。爽花も水無瀬家でたくさんお世話になっている。世の中は持ちつ持たれつだ。

「いいのかい? お邪魔しても」

「もちろんです。古いし散らかってるけど。慧に電話して、明日迎えに来るように頼みます」

「そうか。ならありがたくお願いしようかな」

 穏やかな微笑みがとにかくまばゆい。瑠と慧の父親なのだから当たり前だ。外側は瑠で内側は慧でできあがってるみたいだ。

 玄関で、京花と俊彦も驚いていた。爽花はすでに瑠と慧で慣れているが、京花たちは初めてのイケメンだから無理はない。

「ちょっと、一体どこであんな素敵な人と出会ったのよ?」

「高校の先生か? どうなんだ?」

 こそこそと二人に質問攻めにされて「たまたまだよ」とだけ答えた。話すとものすごく長くなるし瑠と慧の存在がバレてしまう。

 京花はごちそうを振る舞おうとしたがいきなり用意などできるわけがなく、結局冷やし中華しか作れなかった。「すみません」と謝ったが、潤一は「僕はこういうご飯大好きなんですよ」ととても喜んでくれた。気さくでフレンドリーな態度に三人全員が癒された。驚きも次第に薄れ、数時間で友人になれた感じだ。また「爽花ちゃん」と呼んでくれて嬉しかった。

 潤一が風呂から上がって、爽花は苦笑した。

「狭くてごめんなさい」

「いやいや、疲れが全部なくなったよ。やっぱり日本のお風呂は気持ちがいいね」

 そういえば潤一が暮らしているのは外国だ。爽花は知らないが、たぶん外国と日本のお風呂は違うのだろう。

「ところで、爽花ちゃんのお部屋に行ってもいいかな?」

「散らかってますけど、いいですか?」

「全然構わないよ。おしゃべりしたいだけなんだ」

「わかりました。こっちです」

 階段を上り、右側のドアを開けた。恥ずかしいくらいごちゃごちゃだが、潤一は「綺麗だねえ」と褒めてくれた。爽花がベッドに座ると、潤一は椅子に腰かけた。

「女の子の部屋って可愛いね。初めてだからどきどきしちゃうなあ」

「可愛いなんてそんな……。普通ですよ」

「僕はこんなお家が一番幸せだと思うよ。お父さんもお母さんも優しくって、爽花ちゃんと一緒に暮らしたいくらい。突然お邪魔してごめんね。助けてくれたのが爽花ちゃんでよかったよ」

「あたしもよかったです。まさか瑠と慧のお父さんに会えるなんて、本当にびっくりです」

 見れば見るほど不思議な気持ちになる。瑠と慧は父親の素敵なところをそれぞれ授かったようだ。

「じゃあ、さっそく質問。爽花ちゃんは、瑠と慧のクラスメイト?」

「いえ、お友だちって感じです」

「そっか。仲良くしてくれてありがとう。瑠がまさか女の子とお友だちになるとは」

「瑠は違います。似た者同士ってだけです。少なくとも友だちではないです。よく邪魔だって言われるし」

「邪魔? こんなに可愛い爽花ちゃんを邪魔? 礼儀がなってないな……。アリアは何してるんだ」

「アリアさんは悪くないですよ。ちゃんと叱ってたし、アリアさんを責めないでください」

 慌てて返すと、潤一は小さくため息を吐いた。

「ごめんね。許してやってね。ところで、爽花ちゃんはアトリエを知ってるのかな? 家族も立ち入り禁止なんだよ」

「知ってます。毎日通ってるし。なぜかあたしだけは入っていいんです」

 潤一の目が丸くなった。かなり驚いている様子だ。

「入っていい?」

「はい。取り柄もないドジなあたしに。何でなんだろう」

 アトリエに立ち入ることも、絵を見せることも許されている。アトリエだけでなく、自室にも入れてくれた。邪魔や帰れなど冷たい態度もとるが、基本的には自由に出入りしてよいと爽花自身は考えている。

「……特別だからじゃないかな」

 潤一の答えに爽花も目を丸くした。特別という言葉が、また現れた。

「きっと特別な存在って考えてるんだと思うよ。爽花ちゃんは不思議な力を持ってるんだね」

「不思議な力って……?」

 聞いてみたが潤一は首を横に振った。

「それは自分で探さなくちゃ。爽花ちゃんのことは爽花ちゃんが一番詳しいだろう? それに取り柄がない人間も、ドジじゃない人間もいないよ? 自分をまるでだめ人間ってイメージしてるよね? 爽花ちゃんは、むしろすごい女の子だと僕は感じるけどな」

 そこで切って、潤一は立ち上がった。「おやすみ」と短く言って、ドアを閉めてしまった。



 


 



 


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