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七十一話

「お待たせしてごめんねえ」

 恵比寿の笑みでイチジクが戻ってきた。予想以上に大きなスイカを両手に持っている。一体どこで買ったのか驚いた。皿を爽花と瑠の前に置いて、「食べて」と視線で伝えてきた。さすがに大きすぎるので爽花は首を横に振った。

「あたし、お腹空いてないんです」

 断るのは失礼だがこの場合は仕方がなかった。食べて途中で残す方が、もっと迷惑になる。となりに座っていた瑠は黙ったままスプーンを持ち口に放り込んだ。いつもは筆や鉛筆を持っている左手を器用に動かしているのをじっと眺めた。瑠があぐらをかいて豪快にスイカを食べるわけがないと想像していたから、なぜかぼんやりしてしまう。椅子に背筋を立てて座りキャンバスに色を塗っている姿が基本で、瑠は普通の男子とは違うと感じていたのに気が付いた。体つきや話し方、目つきなどが大人っぽすぎて高校生らしくなく、独学しているのは成人だからではないかと不思議だった。瑠のそばに行き、耳元で囁いた。

「ねえ、瑠って何歳?」

「は? 十六だけど」

「二十六歳の間違いじゃないの?」

「……そんなわけないだろ」

 完璧に呆れられてしまったが、とても十六歳には見えない。しかも爽花はすでに十七歳の誕生日を迎えているため、一つ年下となる。慧は確かに高校生の男子だが、瑠は大人っぽすぎる。

「じゃあ大学生?」

「だから、そんなわけないって」

「だけど瑠は明らかに高校生っていうイメージじゃないんだよ。うーん……。何歳なのかなあ?」

「なになに? 秘密の話してるの?」

 イチジクがひょいっと割り込んできた。好奇心でいっぱいの顔だ。

「こいつが、俺が二十六歳じゃないのかとか大学生じゃないのかとかしつこく聞いてくるんですよ」

「ああ……。確かに瑠くんは高校二年生には見えないね。高校生ってやんちゃで、まだまだ子供って感じだもんね。爽花ちゃんの気持ちもわかるよ」

「ほらね、高校生のイメージじゃないんだよ。趣味が油絵なのも大人だよね。普通は野球とかサッカーとかバスケとかやってたり、友だちとふざけ合ったり、好きな子で盛り上がったりするものだよ」

「じゃあ、お前は俺が野球やサッカーやバスケをしたり、友だちとふざけ合って好きな奴で盛り上がってほしいのか?」

 聞かれて、すぐに首を横に振った。

「そういう意味じゃないよ。ただ瑠って変わってるなあって言いたいだけ」

 現れそうにないが、瑠が恋に落ちるとしたら年下や同い年はいないだろう。美しく絵も上手な素敵な女性がお似合いだ。瑠を暖かく包み愛を与えるアリアみたいな女性だ。二人で楽しく作品を描いて、幸せなひとときを過ごす未来が待っている。

 ふと不安が胸に浮かんだ。瑠に恋人ができたら、爽花はどうなるのか。アトリエは立ち入り禁止となるだろうし、たぶん慧の彼女になるはずだ。女の子らしく振る舞い我慢して、ストレスまみれの日々が続く。癒しは消えてしまったので解消もできない。瑠が愛されるのはいい。そうであってほしいと常に願ってはいる。だが瑠と離れ離れになるのは嫌だ。癒してくれる瑠を失う上に、どこかの誰かに瑠が笑顔を見せていたら、絶対に嫉妬してしまう。ずっと一緒にいて、たくさん作品を褒めていたのは自分なのにと悔しくなってしまう。黒く汚れた妬みは慧にも届き、まだ瑠の姿が頭に残っているのかと怒鳴られるに違いない。もうあいつを忘れろと繰り返されて鬱になるかもしれない。

「スイカ、食べないのかい?」

 イチジクの声で我に返った。いつの間にか瑠は完食していた。「ごめんなさい」と謝り、結局スプーンさえも触れなかった。

 まだいてほしそうだったが屋敷を後にした。特に用がなかったため、ぶらぶらと散歩をすることにした。携帯電話は電源を切っているので一度も鳴らない。

「帰ったら、慧にどんなこと言われるかな」

「さあな。相当不機嫌になってるだろうな」

「……すごく睨まれるよね……」

 恐怖がむくむくと沸いて、無意識に足を止めた。俯いて黙っていると、瑠が覗き込むように見つめてきた。

「お前には怒鳴らないと思うから心配するなよ」

「でも勝手に抜け出したのはあたしでしょ。瑠は悪くないよ。疑うのはあたしの方だよ」

 情けなく声が掠れ全身が震えた。血の気が引いて嫌な予感が溢れた。瑠は腕を組んで、面倒くさげにため息を吐いた。

「だから帰れって言ったのに。俺に構う暇があったら、あいつが喜ぶイベントでも探せばいいだろ」

 そのイベントも瑠は不参加だ。慧が存在している場所は瑠は入れない。逆に瑠が存在している場所は慧は入れない。このまま水無瀬家ではなくアパートに逃げてしまおうかとも考えたが、瑠がそっと呟いた。

「まずい展開になったら、俺が何とかしてやるから」

「えっ?」

 顔を上げたが瑠は口を閉じて歩き始めた。また俯き、ゆっくりと爽花も歩いた。




 緊張しながらドアを開くと、慧の靴が置いていなかった。まだ出かけているのだと安心したが、アリアが急いで駆け寄ってきた。

「ああっ、爽花ちゃん!」

「どうしたんですか?」

「どうしたじゃないわよ! 慧、爽花ちゃんがいないって大騒ぎして、探しに行ってるのよ! 裏切ったってカンカンよ!」

 体が石のように固まった。暑いのに寒気が襲いかかった。

「やっぱり、めちゃくちゃ怒ってるんだ……。どうしよう……」

「どうしようって、終わったこといちいち気にしてもしょうがないだろ。嘘ついたり誤魔化したりすれば」

「そんなの効果ないよ!」

 叫ぶとアリアは真っ直ぐ眼差しを向けた。

「とりあえずこっちに来て。慧が戻るまで待ちましょう」

 アリアの口調も緊張している。よろよろと廊下を歩いてリビングに移動した。

 瑠は自室に行き、爽花はアリアとソファーに並んで座っていた。

「どこに行ってたの?」

 がっくりと項垂れた。叱られて当然だと自分を責めた。

「ちょっと散歩に……」

「散歩? 本当に散歩? 一人で?」

「いえ……」

 ばたんっと大きな音が玄関から聞こえてきた。壊れそうなくらいの音で、ぎくりと冷や汗が流れた。間もなく息を荒くした慧が現れた。走り回ったせいか呼吸が激しい。鋭く光る睨みを愛しているはずの爽花に痛いほどぶつけた。

「慧、ごめん。許してもらえないと思うけどただの散歩なの。あたし散歩をしないとストレスが溜まっちゃうの」

「ストレス? 俺がいると、爽花はストレスが溜まるんだね」

「そ……そういう意味じゃ……」

「じゃあどういう意味だよ。はっきり答えてくれよ」

 凍り付いた槍が体に突き刺さった感じがして、返す言葉を失ってしまった。

「爽花ちゃんに酷いことをしたらだめよ」

 横からアリアの静かな声が割り込んだ。

「爽花ちゃんを泣かせたら、私、許さないから。わかってるわね」

 アリアにとって、爽花は大事な娘なのだ。どんな手段を使っても護り通さなくてはいけない。

「……わかってるよ」

 視線を逸らし、慧は呟いた。ゆっくりとリビングから出て部屋に逃げてしまった。爽花も詰まっていた息を吐き、額の汗を拭った。アリアが止めなかったら、今頃どんなに恐ろしい出来事が起きていたかと怖くなった。

「爽花ちゃん、これからは勝手に動かないって約束して。お願い」

 冷たいアリアの言葉にぎくりとし、すぐに頷いた。

 


  

 

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