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六十九話

 帰り道は、お互いに目を逸らし一言もしゃべらなかった。本気の想いを全て届けたのでほっと安心する気持ちと、爽花が一体どんな返事をするのかという不安な気持ちが混じっているのだろう。爽花自身も慧に本気で愛されているという安心と、はっきり彼女になると告げていいのかという不安で胸がいっぱいだった。

 いつだったか忘れてしまったが、慧は心地よくなるならいくらでも相手を振り回すと瑠が話していた。惚れているのは嘘ではないが、爽花が騙されやすい性格を利用して、同情を誘う演技をした。誰でも弱い対象には親切にし、励ましたりそばにいてあげたりする。涙を流したら、もっと爽花が寄り添う。だがもし瑠が単に気付いておらず、特別扱いは事実ではないかとも考える。慧の優しい笑顔と穏やかな態度が演技と感じられないし、瑠と慧のどちらを信じればいいのか戸惑ってしまう。

 家に帰るとアリアが夕食を作っていた。水無瀬家は洋食のみというイメージだったが冷やし中華だった。

「あんまり和食や中華料理は得意じゃないんだけど」

「いえ、めちゃくちゃおいしいですよ。アリアさんって天才ですね」

「ありがとう。作った甲斐があるわ。抹茶のプリンとアイスも用意してあるの。爽花ちゃんに喜んでもらいたくて頑張っちゃった」

 にっこりと微笑んだが、ふと疑問が生まれた。慧はお菓子が大好きで、アリアと一緒に甘いひとときを楽しんでいるはずだ。その間、瑠は独りきりで何も食べず部屋に引きこもっているのか。息子が二人いるのに片方しか可愛がっていないなんて酷い行為をアリアがするわけない。しかしほったらかしにしていいと確かに聞いたし、雰囲気が悪くなるからと慧と共に追い出していた。海で爽花が泣いたのは瑠に冷たくされたからではなく、慧とアリアの冷たさをはっきりと目の当たりにしたせいだ。なぜ瑠を放っておくのかが理解できなかった。瑠をどうでもいいと適当に扱っているようだ。だから瑠の心の扉もガチガチに固まってしまった。この固まった扉を開くまで爽花は慧の恋人になってはいけない。

「爽花?」

 慧に呼ばれ我に返った。瑠を想っているとバレたら疑われてしまう。

「アリアさんのお菓子がおいしすぎて、ちょっとぼんやりしちゃった……」

 残っているアイスを全部口に放り込んで、冷たさにがくがくと震えた。

 風呂が終わり、タオルで髪を拭きながら廊下を歩いていると慧が近寄ってきた。どうやら待っていたらしい。

「さっぱりした?」

「うん。お風呂が広くて温泉みたい。羨ましいよ。シャンプーとかリンスも外国のものだよね」

「母さんのこだわり。昔からおしゃれ好きだからさ。お金もどんどん使って困り者だよ」

 苦笑しながら、慧は洗いたての爽花の頬に触れた。耳元で小声で囁く。

「さっきの続き、しようか」

「続きって?」

 キスをしたいという意味か。どきどきと鼓動が速くなり止まらない。

「高校生って、もう大人だよね。……ちょっと大人っぽい経験してみようよ。ちょうど体も綺麗に洗ったし」

 ぼっと頬が赤くなった。まさかと思ったが、そのまさかだった。

「痛くはしないよ。さっそく俺のベッドで」

「こら!」

 背中からアリアの怒鳴り声が聞こえた。はっと振り返ると、腕を組んだアリアが睨みながら立っていた。

「だめでしょ。もし爽花ちゃんのお腹に赤ちゃんができたらどうするのよ。高校生で親になるなんて早すぎる。せめて卒業してからにしなさい」

「冗談だよ。そんなつもりないよ」

「爽花ちゃんがびっくりするでしょう? 爽花ちゃんが眠るのは私のベッド。自分のベッドには連れて行かないって約束したの、忘れちゃったの?」

 拗ねる口調で「わかってるよ」と呟き、慧は自室に戻った。アリアは爽花に視線を移し、両手をがっしりと握り締めた。

「ごめんね。驚いたでしょう。また襲われそうになったら必ず私を呼んでね」

「はい。ありがとうございます……」

 深くお辞儀をして、ほっと安心した。もしアリアが助けてくれなかったら、今頃どんな目に遭っていたか怖くなった。爽花は慧と恋人同士になる気はないのに妊娠してしまったら結婚は免れない。謎が残ったまま瑠と離れたらだめだ。アリアの言葉で慧は諦めたが、ふと不思議なことに気が付いた。アリアに叱られて慧は素直に謝ったけれど瑠は反抗し、おまけに育てられていないと言い返した。二人の態度の違いは何が関係しているのだろう。考えるときりがないが見逃せなかった。




 ベッドに潜り込み、ぎゅっと目をつぶった。しかし興奮して眠れない。熱い慧のキスに改めてどきどきして、血液が沸騰しそうだ。誰もが羨む王子様の愛を真っ直ぐ受けて静かに眠れるわけがなかった。となりにいるアリアにバレないようにゆっくりと体の向きを変えたりしたが無理だ。

「爽花ちゃん、起きてるの?」

 囁きが耳に届き、はっと固まった。寝たふりをしても意味がないので「はい」と小さく呟くと、アリアは起き上がりもう一度囁いた。

「じゃあ、ちょっとお話しましょうか。私は娘がいないから、ガールズトークが夢だったのよ。どんな話でもいいから聞かせて」

 突然振られても困る。爽花が黙っているとアリアが質問をした。

「お祭りで慧にキスをされたことで眠れないの?」

「えっ? どうしてそのことを」

「慧が教えてくれたの。どういうキスだったかはわからないけれど、とてもロマンチックだったみたいね。……爽花ちゃんは、慧のことが好き? 嫌い?」

 ここで嫌いと答える人はほぼいないだろう。母親であるアリアにはっきりと伝える勇気など爽花は持っていない。

「あたしも慧のこと大好きです。大事な人だっていつも感謝してます。だけど彼女になりたくない……。恋人同士にはなりたくないんです……。瑠がいるから……」

「……確かにそうね。もし恋人同士になったら、瑠と離れ離れになっちゃうもの。間違いなく慧は爽花ちゃんを瑠に会わせようとしないし、名前を呼ぶのも許さないでしょう。完全に爽花ちゃんと瑠を引き裂くわよね。爽花ちゃんは瑠と一緒にいたいから慧に想いを伝えられない。友だち以上恋人未満なら、瑠を失うことはないわね」

 顔は暗くて見えないが、口調が少し尖っていた。当たりなので「はい」と消えそうな声で返すと、アリアはもう一度言った。

「爽花ちゃんは瑠を放っておけないのね。瑠が嫌がって突き放しても負けずに、頑張って立ち向かうなんてすごいわ。私はそんなことできない。ただ自分に嘘をついて、したくもない演技を続けるしかないわ」

「したくもない演技?」 

 意味深な言葉に疑問が生まれたが、夜遅くに質問攻めは優しいアリアもいい加減にしてくれと思うだろう。ガールズトークはそこで途切れた。爽花は眠くなかったがアリアは無理していたらしく、すぐに寝息が聞こえた。申し訳なさでいっぱいになりながらまた目をつぶり、興奮を抑えて睡魔を待った。


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