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六十六話

 楽しくなるはずだったパーティーが台無しになり、無表情のまま水無瀬家に戻った。「瑠がいると雰囲気が壊れる」と話していた理由がわかった。夕食時も爽花は笑顔を作れず、慧とアリアは困ったような、悲しそうな顔だった。瑠は部屋に引きこもり姿を現さなかった。風呂が済み、時計は十時半を指していた。それぞれの自室に入り、いつもなら十二時くらいまでは夜更かししているけれど眠ることにした。爽花はアリアと一緒のベッドなので、声をかけられないうちにと、ぎゅっと目をつぶった。

 しばらくして、アリアの寝息が聞こえ始め、そっと起き上がった。素早くベッドから出て廊下に移動すると、誰かに呼ばれた感じがして、ゆっくりと歩いた。真っ暗なのに壁や置き物にぶつかったり、つまずいて転んだりもなく、辿り着いたのは瑠の部屋の前だ。灯りが漏れて、微かだが油彩絵具のにおいも漂ってくる。鍵がかかっているので細い隙間から覗けないかと考えたが無理だ。だが瑠が動く音と独特の油彩のにおいから、絵を描いていると確信した。

 ずっとここにいても仕方ないし、鍵も開けてもらえないだろうから、さっさと引き返してアリアのベッドに潜り込むのが正解だったが、なぜか足がぴったりと床に貼りついて立ち尽くした状態だった。

「……誰かいるのか」

 瑠の声で、どくんと心臓が跳ねて体が石のように固まった。焦って振り返ろうとしたがその前にガチャリと鍵が回る音がしてドアが開いた。じっと瑠は見つめているが驚いていない。逆に爽花は冷や汗をかきながら慌てて言葉を探す。

「まだ寝てないのかってびっくりして……」

 動揺する爽花を少し呆れた表情で見下ろし、面倒くさげに答えた。

「最近はほとんど寝てない。終わらせたい絵があるからな」

「終わらせたい?」

 ついに公開する気になったのか。瑠だったら優秀賞は間違いない。

「いつが締め切りなの? どこに出品するつもりなの?」

 頭に思い浮かぶ限りの疑問を繰り返したが、瑠は首を横に振った。

「お前は理解できないだろうからやめておく」

「何でよ。あたしのこと相当馬鹿にしてるけど、意外と賢いところもあるんだよ」

 むっとして軽く睨むと口を覆われた。

「でかい声でしゃべるな。あいつらが起きたらどうするんだよ」

 距離が離れているとはいえ、同じ家の中だから油断してはいけない。うんうんと頷くと、瑠は手を放してくれた。

 たぶん「もう寝ろ」と言われ鍵も閉められると思い黙ったが、瑠は手を掴んできた。

「しゃべりたいなら中でしろよ。ほら」

 ぐいっと引っ張られ、そのまま部屋に入った。うわっと床に倒れたが瑠は無視をして素早く鍵をかけた。いたた、と起き上がり横を向くと、アトリエと同じくイーゼルと椅子が置いてあった。脇に道具置きの机、足元に道具入れがある。壁には白いキャンバスが立てかけられていた。慧とは違い全体的にモノトーンで大人っぽい。飾りは一つもなく生活するのに必要最低限の家具と油彩道具しかなかった。瑠本人が嫌がっているからか、瑠のために金を払うのは嫌だからかはわからない。イーゼルの上には描き途中のキャンバスが乗っていた。アトリエではイチジクの庭の花だが、こちらはカラフルな薔薇が咲いていた。周りが白黒なせいか、余計薔薇が美しく光って見える。

「すごい……。本当に瑠は画力があるんだね。絵ってどれくらい勉強すればうまくなるの?」

「人それぞれだから決まってねえよ。たくさん練習すれば上達するし、全然努力しなかったらいつまで経っても下手なままだ」

 瑠は暇さえあれば絵を描いて、さらに徹底的に仕上げている。好きこそものの上手なれとはよくいったものだ。イチジクも話していたが、物の捉え方が普通ではない。瑠には他人が持っていない技があるのだ。爽花も取り柄を一つ探しておけばよかった。絶対にこれだけは負けないという特技がほしかった。

「きっと優秀賞をもらえるよ。締め切りに間に合うといいね」

「だから、俺は感想や評価をしてほしくて絵を描いてるんじゃないんだって」

 ぼそっと呟いて、椅子に座り左手を動かし始めた。爽花は広いベッドに腰かけて、絵画の様子をじっと観察した。影の付け方や光の色や形を、何種類もある絵具を混ぜて塗る。細かく小さな箇所にも気を配り、やはり遊び半分や暇つぶしではなく本気で描いている。瑠の先生は、もっと素晴らしい作品を生み出しているらしい。これ以上綺麗な絵が存在するのか。

 だんだん眠くなってきた。うとうとしていると、瑠は静かに囁いた。

「寝てもいいぞ」

「えっ? でもアリアさんのところに戻らないと……」

 ふわあと大あくびをしてから、ばたりと倒れてすやすやと寝息を立てた。



 目が開きかけて、すぐそばにおかしな形のクッションがあった。ほんのりと暖かく、固い弾力がある。何だこれとまさぐると、アリアの部屋に戻らず瑠のベッドで眠ってしまったことを一瞬のうちに思い出した。起き上がるととなりに瑠が横たわっていた。おかしなクッションは瑠だったのだ。同じ場所で一晩を過ごしてしまったが、このベッドはかなり広く二人でも余裕で寝られる。抱き合ったりも触れ合ったりもしていないはずだ。

「うわわ……。慧にバレちゃう……」

 小さく呟くと、どきりと心臓が跳ねた。瑠の表情が慧にそっくりだったからだ。双子だから似ているのは当たり前だけれど、完全に緊張がゆるみ穏やかで優しい顔は初めてだった。写真でちらりとしか見ていないが、父親もイケメンなのだろう。美貌も画力も立派な家も持っているのに、なぜ瑠は孤独の道を選ぶのか理解できない。もっと他人と関わって、絵も褒めてもらえば幸せなはずなのに……。というか、そもそも瑠は誰の性格が影響しているのだろう。慧もアリアも明るく愛情に満ちて、どうやら父は寂しがり屋らしい。瑠はどれにも当てはまらない。

 壁の時計は四時半を指している。まだみんな夢の中だろうと、こっそりと部屋を抜けてアリアのベッドに移動した。何もなかったかのように気持ちは落ち着き、またゆっくりと目を閉じた。

 

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