六話
努力が報われて、英語のテストは割と悩まずに終わった。カンナに伝えると「頑張ったね」と柔らかな声で褒めてくれた。カンナの想いやりだけで、爽花は充分癒されるのだ。
「ねえ、そういえばラブレターの返事来た?」
ふと疑問が胸に浮かび、ストレートに聞いてみた。一瞬カンナは目を丸くし、首を横に振った。
「まだ来てない……」
「まだ? あの男、いつまで待たせる気なのかな。絶対に返事するっていうの嘘だったのかな」
腕を組み抑揚のない口調で言い切って、どこか遠くを睨みつけた。
「水無瀬くんは嘘なんかつかないよ。もうちょっと待とうよ」
慌ててカンナは答え、爽花の手を握った。
「けど、ラブレター渡して何週間経ってる? 黙ってたら一生返事しないよ。あたし、今から文句言ってくる」
「やめて。お願い」
握る力を強くし、カンナは目をつぶった。
「水無瀬くんと喧嘩しないで。水無瀬くんのこと信じようよ……」
弱弱しい呟きに爽花は戸惑った。次に発する言葉を探した。
「水無瀬以外にもいい男はいるよ。水無瀬にこだわらないで、他の男と」
「水無瀬くんじゃなきゃだめなの」
爽花を遮って、カンナは真剣な眼差しで見つめてきた。さらに手の力を強くする。
「水無瀬くんじゃなきゃ幸せになれない。いつも穏やかで明るい水無瀬くんじゃなきゃ」
それほどあの男に惚れているのだと伝わった。恋する乙女の意思は固いのだ。
「……カンナが嫌なら止めないよ。でもあたしだったら諦めるけどね」
ぶっきらぼうだが傷つけない程度に抑えて答えた。カンナは黙って俯いたが手は放してくれた。
「水無瀬のどこがいいんだか……」
カンナと別れ、廊下でぼんやりと空を眺めながら独り言を漏らした。あの男と付き合って得することは何もない。たとえ彼女になったとしても周りから命を狙われるし、妬み恨みでデートにだって行けないだろう。まさに恋愛は楽しいものではなく苦しいものという事実を証明している。大事なカンナが後悔するなど爽花には耐えられない。無理矢理相手に合わせて一喜一憂して結局離れ離れなんて悲劇のヒロインをカンナに演じてほしくない。誰とでも恋人同士になれるのに、実にもったいないと爽花は感じる。いつまで経っても返事をしない奴を安々と信用したら酷い目に遭うのをカンナは知らないのだ。もちろん最後に決めるのはカンナなので、爽花がいろいろと妄想しても仕方ない。無関係の爽花が首を突っ込んではだめだ。もう一度空を眺めてから教室に戻った。
翌日の土曜日は外に出た。暇な時、爽花は外でぶらぶらと散歩している。特に当てもなく歩いていたら図書館に辿り着いた。適当な本を持って隅の席に座った。リラックスして読みたいので、人がいない席を選んだ。ぱらぱらとページをめくってみたが興味のない内容しか書かれていない。背を伸ばし大あくびをして目を開けると、信じられない光景が広がった。向かい合わせの席に水無瀬が座って本を読んでいたのだ。驚いて椅子からずり落ち、水無瀬の視線が爽花に移った。
「あれ、新井さん」
「み……みな……」
動揺で口ごもり、ものすごくかっこ悪い姿を晒してしまう。
「危ないなあ。新井さんってよく転んだりする?」
お前のせいだ、と心の底から恨んだ。体調を壊したり怪我をしたりストレスを溜めているのは、全て水無瀬のせいなのだ。
「高校生で転ぶなんてみっともないでしょ。水無瀬くんがいつの間にかそばにいるから、びっくりするの」
なぜなのか理解できないが、水無瀬の気配に気づかないのだ。別にぼうっとしているわけでもないのに、水無瀬の気配がわからない。
「びっくりさせてるつもりじゃないんだけどな……。今日も偶然会ったってだけだし。何か借りに来たの?」
首を横に振って鋭く睨みつけた。
「散歩のついでに寄ったの。あんまり本読むの好きじゃないもん。暇つぶしだよ」
この男と話をしたくないので帰ろうと立ち上がったが、水無瀬に腕を掴まれた。ちょうど痣の当たる場所だったので、じんじんと痛んだ。
「放してよ。痛い」
「あっ……。ご、ごめん」
すぐに水無瀬は手を放し、困った表情で爽花を見つめてきた。傷ついているのを忘れていたようだ。
「ちょっと待って、新井さん。俺も一緒に散歩していいかな」
少し焦った声だった。もちろん爽花には頷く気持ちは生まれなかった。
「それは取り巻きの女の子たちとすればいいでしょ。水無瀬くんには一緒に遊べる子が何人もいるんだもんね」
これほど冷たい答えを返されたら、ほとんどの人間はショックで黙るしかないだろう。だが水無瀬は諦めていなかった。
「じゃあ……今度いつ会える?」
「えっ……?」
どきりと心臓が跳ねた。水無瀬の眼差しに驚いて、冷や汗が流れた。
「いつって……学校で嫌ってほど会えるじゃない」
「そうじゃなくて、二人きりで会いたいんだ。誰にも邪魔されない場所で、新井さんと二人きりになりたい」
声は静かなのに冷や汗の量が増していく。逃げたいのに足がびくともしない。
「……ごめん。あたしこれから大事な用があるんだった。もう帰らなきゃ」
慌てて早口で話すと、水無瀬を残して図書館から飛び出した。