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五十九話

 翌日もアトリエに行くと、瑠はキャンバスに鉛筆で線を引いていた。爽花はとなりの椅子に座り、鞄から四十点未満のテストを取り出した。

「この間のテスト、全然勉強してなかったからこの点だよ」

 誰にも教えなかったのに、なぜか瑠には知らせてもいいと考えた。ははは、と苦笑すると、当然のごとく呆れた声が飛んできた。

「酷い点だな。せめて五十点は獲れよ」

「うん。油断しちゃったよ」

 親友のカンナにも話せなかったのに、どうして瑠には見せられるのかが不思議だ。それはアトリエの中では素のままでいられるからだ。飾ったり緊張したりしなくてもいいからだ。むしろ爽花がこうして本音を示せば、きっと瑠も心の扉を開いてくれるかもしれない。ガチガチに固まった心をほぐす唯一の手段だ。効果はなさそうだが、やらないよりはやった方がいい。

「瑠はいいよねえ。テスト勉強とか、いちいちしなくて羨ましいよ」

 そっと伝えると、瑠は曖昧に首を横に振った。

「そうか? どっちかって言うと独学は大変だぞ。教材とか集めたり面倒だぞ」

 じゃあ普通に授業を受ければいいじゃないと言おうとしたが、瑠に遮られた。

「とりあえずお前は無理だな」

「わかってるよ。独学するつもりないもん」

 むっと軽く睨んだが瑠は無視をして左手だけを動かした。

「ところで、夏にパーティーやるんだって。二回目の」

 慧のメールが蘇った。ぴくりと瑠は反応し、視線を爽花に移した。

「……俺の家で?」

「どこでするかはわからないよ。夏だから外かも。瑠も来るよね?」

「どうして俺が行くんだ」

 きた、と拳を作った。俺は孤独でいいという想いが、はっきりと現れた。

「ほら、そうやって独りぼっちになる。ちょっとはみんなと行動できないの? 慧とは犬猿の仲だから仕方ないけど、ずっと絵だけ描いてるなんて寂しいでしょ。世の中は持ちつ持たれつなの。誰かと関わって生きていかないとだめなの。わがまま言ってると子供みたいだよ」

「うるせえな。偉そうなこと言うな。俺には構わないで、あいつと一緒にいればいいだろ。変な奴だな」

「慧だけじゃ満足できないの」

 それに裸も晒したし、ファーストキスも瑠じゃないか。いろいろと奪われたのに、いきなり別れるわけにはいかない。

「とにかく参加して。独りでは幸せになれないよ」

 若い頃は問題なくても、年老いた時に後悔が生まれる。子供や孫がいなくてもせめて結婚相手がいてほしい。とはいうものの、爽花も戸惑っているし悩んでいる。確かに偉そうな態度はとれない。

「……俺が参加したいって頼んでも、あいつらが断るだろ」

「もし断られたら、あたしが文句言う。だいたい家族なのに断るなんておかしいよ。みんなどんな生活を送ってるの? 会話とか想像できないんだけど」

 慧は爽花ばかり頭にあるので、「今日は爽花が」「明日は爽花と」など話しているに違いない。アリアが爽花の名前を知っていたのもそのせいだ。

「くだらないおしゃべりをするなら、さっさと帰ってくれ」

 抑揚のない口調で言われてしまい諦めた。これ以上粘っても無駄だと爽花も思った。やはり瑠の心は鉄のように固く、ちょっとやそっとじゃ開かないのだ。

 だが、ドアの取っ手に手をかけた時、ふいに瑠が呟いた。

「俺は独りで絵を描いていないぞ」

「えっ? どうして? 独りでしょ?」

「よく探してみろよ。俺以外にもう一人いるだろ。今もここに立ってるぞ」

「な……何それ? お化けとか? こ……怖いこと言わないでよ」

 まだお化けを信じているのかと慧にからかわれたのを思い出した。いつになっても怖いものは怖い。瑠は小さくため息を吐いて、呆れた表情で爽花を見た。

「お前って、本当に頭ができてないな。まあ別にいいけど……」

「ちょっとやめてよ。あたしお化け苦手なの。びっくりさせないでよ」

 慌てて廊下に出て逃げるように走った。アパートに帰り、速い心臓を落ち着かせた。次からアトリエに行くのは瑠がいる時だけにしようと決めた。




 まだ慧を水無瀬くんと呼んでいた頃は、こんなに悩んだり不安だったりしなかった。恋人は必要ないと周りに言いふらし、カンナやクラスメイトと夜遅くまで遊んで、勉強もそれなりに努力していた。鞄からテストを取り出し、酷い点に自分で呆れた。

 現在、慧は家庭教師になってくれないので、瑠に独学のやり方を教えてもらいたかった。いつも爽花は慧と瑠にお世話になっている。椅子に座り机に突っ伏した。しばらくその状態のまま動かなかった。

 壁の時計が十一時を指しているのに気付き、急いで風呂に入った。着替えを忘れたが、誰もいないとタオルも巻かずパジャマを取りに行った。瑠に一糸まとわぬ姿を晒した恥ずかしさで頬が熱くなる。さっさと消してしまいたい嫌な思い出だ。瑠にも消したい過去があるらしい。本当に二人はそっくりだ。さまざまなところで、ぴったりと当てはまる。その度に、もしかしたら距離が縮んで固い心の扉も開くのではないかと期待してしまう。拒否されても邪魔者扱いされても、絶対に瑠を放っておかないと改めて決めた。




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