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五十六話

 ようやく慧は学校に来た。一年生もクラスメイトも、担任教師まで笑顔で迎えていた。その姿を遠くから眺めて、瑠も同じように周りに心配されるべきだとぼんやりと考えていた。むしろ瑠の方が酷い目に遭っていたのに助けようとしたのも爽花一人だけで、本当に孤独だと空しくなった。

「爽花、おはよう」

 暖かな声で慧が近づいてきた。すぐに爽花も「おはよう」と答えた。

「会えなかったから寂しかったよ。これからは無理して具合悪くしないようにね」

 言いながら、爽花の冷たい態度が原因だったからではないかと自分を責めた。瑠の話すことは全て嘘だというのは事実か不明だし、熱ではなくただ爽花と合わせる顔が作れなかったせいかもしれないのだ。

「爽花は優しいね。ありがとう。爽花は俺の癒しだよ」

 かなり強い声で驚いた。だから瑠の元には行くなという想いが隠れているのを見逃さなかった。もちろん余計なことは言わず、代わりに窓の外に視線を移した。

「今日はセルリアンブルーの空だね」

 呟くと慧は目を丸くした。

「セルリアンブルー? 何それ?」

「えっ? 知らないの?」

「知らないよ。どんな色?」

 瑠が好きだから慧も知っていると考えていたが違うのか。

「えっと……。よく晴れた夏空の色だよ。爽やかで清々しくて特別な青だよ。瑠がよく使う色なんだって」

 途端に慧の表情が歪んだ。爽花が瑠の名前を出したからだと、はっきりと伝わった。愛する人が嫌いなライバルの話をしていて不満にならないわけがない。黙ったまま振り返り、すたすたと歩いて行ってしまった。名前だけではなく、瑠の油彩についても話したので、さらに気分は悪くなる。その後、慧は爽花の元にやって来ることはなかった。

 アトリエに行くと、瑠が絵画の準備を始めていた。爽花にはちらりと視線を向けただけで、いちいち口は開かなかった。

「瑠は、慧にセルリアンブルー教えてないんだ」

 そっと囁くと瑠の左手が止まった。予想していない言葉だったのだろう。

「朝、セルリアンブルーって何色って言ってたから」

「あいつは、自分に得にならない情報は一切興味ないからな。子供の頃からそうだったし。逆に得になることは徹底的に手に入れる。あれがほしいこれがほしいってうるさくてわがままな性格のせいで、お前もしつこくされてるだろ」

 初耳だったため驚いた。意外と瑠は慧を見ていたのだと知った。

「へえ……。瑠と慧って、どんな子だったの? フランスに住んでたんでしょ? 日本語も話せた?」

 瑠は曖昧に首を横に振って、面倒くさそうに答えた。

「よく覚えてねえな」

「えっ? あたしはちゃんと覚えてるよ。絶対に忘れないって決めてるよ」

 励ますつもりで言うと、瑠はもう一度呟いた。

「俺は逆に、さっさと記憶から消そうとしてる。過去は変えられないし、いちいち覚えてても無駄だろ」

 ふと油彩の先生が蘇った。先生と嫌な別れをしたのかもしれない。スケッチブックを渡したのも、関係がこじれる前に贈られたものだったら……。

「ちなみに、あいつに聞いても無理だぞ。あいつは俺と避けて生きてきたからな」

 爽花の考えはバレバレだ。項垂れてため息を吐くと、瑠は付け足した。

「俺なんか放っておけばいいだろ。あいつに愛されてるんだから、二人で仲良くしてればいいだろ」

 ばっと顔を上げて、むっとして言い返した。

「嫌だよ。謎のままでいたくないよ。慧は瑠を悪者扱いしてるけど、どうしても信じられないの」

 爽花の勢いが強すぎたのか、珍しく瑠は目を丸くした。そっと持っていた道具を机に置いて、くるりと爽花の方に体を向けてきた。負けじと爽花も足の力を増し、もう一度繰り返した。

「ここまで一緒にいたんだから、今さら別れるわけにはいかないの。慧に愛されて大事に想ってもらえて嬉しいけど、それだけじゃ完全に満足はできないの」

 ガチガチに固まった心の扉を覗いてみたい。本当の瑠を見たい。だが真摯な眼差しは、瑠には届かなかった。

「好きにしろ。ただし邪魔だけはするな」

 また瑠は油彩の世界に入ってしまった。仕方なく諦め、アトリエのドアを閉めた。



 風呂から上がると、携帯が鳴った。出ると慧からだった。

「今度、家でパーティーをするんだけど、よかったら来ないか?」

「パーティー?」

「遅いお花見パーティーだよ。桜は散っちゃったけど、せっかくだからみんなで楽しもうって母さんが思いついたんだ。人数が多い方が盛り上がるし、とにかく母さんが爽花をお気に入りしてるんだ」

 アリアのご飯はプロ並みだし、一人暮らしのため適当な食事しかしていない。断る理由は何もなかった。

「ありがとう。いつやるの?」

「来週の土曜日。いいかな」

「もちろん。あっ、でも、慧のお家がどこにあるのかわからないや」

「大丈夫。俺がアパートまで迎えに行くから」

 ほっと安心した。もう一度ありがとうと伝えて電話を切った。アリアに気に入られるのは、とても感動した。お金持ちの母親はほとんどしつけに厳しく、マナーがなっていないと叱るイメージがあったため、気さくで気が置けない人柄で嬉しかった。写真でしか見ていないが、父親も家族想いで寂しがり屋だと聞いた。なぜ瑠だけは孤独を選ぶのだろう。独りで人生を終わらせるなどもったいなさ過ぎる。瑠は一体誰に似ているのか。そして何より、アリアに育てられていないの意味が理解できなかった。さっさと消したい過去とは、どういうものなのだろうか。

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