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五十五話

 土曜日に、曇り空を眺めて散歩に出るか迷っていると携帯が鳴った。久しぶりにカンナからだった。

「お姉ちゃんとアンナちゃんが遊びに来てるから、爽花もおいでよ」

「えっ? いいの?」

「もちろん。お姉ちゃんも会いたがってるし」

 カンナの姉のマリナと初めて会ったのは二年ほど前だ。懐かしい気持ちで「わかった」と答え、簡単に支度をして外に飛び出した。アパートのインターフォンを押すと、カンナは笑顔で出迎えてくれた。

「いきなり電話してごめんね。迷惑だったでしょ」

「全然。呼んでもらえて嬉しいよ」

 靴を脱いでリビングに行くと、ソファーにアンナを抱っこしているマリナが座っていた。

「お久しぶり、爽花ちゃん」

「お久しぶりです。うわあ……アンナちゃんだ……」

「あ、もう名前知ってるのね。カンナが付けたんだよ。頭文字のKを取ってアンナとか、けっこう適当でしょ」

 むっとしてカンナはマリナをじろりと見た。

「すごく悩んで考えたのに。適当じゃないよ」

「冗談だよ。どうもありがとね」

 あっはっはとマリナは豪快に笑った。マリナは男っぽくサバサバ系なのだ。そのためか親戚中は結婚できないと予想していたらしいが、一番最初に結婚して出産までした。爽花もソファーに座り、うっとりとアンナを見つめた。

「小っちゃくって可愛い……。アンナちゃん、お姉さんにそっくりですね」

「性格はカンナ似なんだけどね。泣き虫で夜も眠れなくてねえ。困っちゃうよ」

 マリナはすやすやと寝ているアンナの頬を撫でながら、そっと囁いた。

「自分が産んだ子って、めちゃくちゃ可愛いわ。天使だって話してる友だちがいて、そんな大袈裟なって馬鹿にしてたけど、確かに天使だね」

 幸せそうな表情に、ふと疑問が浮かんだ。

「やっぱり産むのは大変でしたか? どれくらい痛いんですか?」

 母親になったばかりのマリナの意見を知りたかった。

「死んじゃいそうな辛さでしたか? それとも割と楽だったんですか?」

 さらにずずいっと身を乗り出すと、穏やかな口調でマリナは教えてくれた。

「楽ではないよ。何てったって、一つの命を自分のお腹の中で作るんだから。怖かったし不安だったよ。だけど周りにも妊婦さんがいるし、みんな一緒って思うと心が強くなったね。仲間がいるってだけで乗り越えられるんだよね。爽花ちゃんは赤ちゃんほしいの?」

 はっと目を丸くし、曖昧に手を振った。

「いえ、あたしは恋愛も結婚もするつもりはないから、子供は産みません」

「恋愛しない? どうして?」

 慧に愛されているのに彼女にはならないという決意は残っている。全てのきっかけはカンナなので、ちらりと台所に立っていたカンナに視線を移すと、姿が消えていた。

「あれ? カンナは?」

「せっかくだから、二人でおしゃべりしてって買い物に行っちゃったよ。邪魔したくないってね」

 まるで爽花の心を見透かしているような行動が不思議だ。爽花がどんな気持ちでいるのか全て把握しているみたいだ。

「どうして恋愛したくないの?」

 もう一度聞かれ、今度は即答した。

「だって、ぶんぶん振り回されてたくさん気を遣ってたのに、突然捨てられたり飽きられたりしたら嫌じゃないですか。これまでのあたしの時間返せっていらいらしませんか? たった一度きりの人生を無駄にしたくないんです。もったいないじゃないですか」

 はっきりと伝えると、マリナはふむふむと頷いて、真剣な表情で言葉を返してきた。

「恋愛に臆病になってちゃだめだよ。よーく考えてみて。若い頃は友だちと遊んで楽しいけど、おばあちゃんになった時、孤独で堪らなくなるよ。他の子は孫と一緒に暮らしてるのに自分は独りぼっち。ああ、みんなが羨ましい。まだピチピチしてる頃に結婚すればよかった。でも、もうおばあちゃんを好きになってくれる若い男はいません。そして寂しいまま誰にも看取ってもらえず、いつの間にか死んじゃいました。どう? この人生。素晴らしい生き方だと思う? 思わないよね? 捨てられたり飽きられたりしても、世の中には数え切れないくらい男の子はいるよ? 一人や二人に冷たくされても、次の恋人探せば問題ないじゃん。まだ体験もしてないのに始めから諦めるなんて、そっちの方がもったいないし無駄だよ?」

 ふとイチジクの寂しげな笑顔が蘇った。大きな日本家屋で暮らしているが、中には家族がおらず常に一人なので幸せとは感じなかった。広すぎてすかすか状態の部屋など空しいだろう。綺麗に手入れをした庭は見てくれる人間も褒めてくれる人間もいないため、ただの暇つぶしみたいなものだ。瑠を溺愛しているのも、孤独から解放されるからだ。

「爽花ちゃんの周りには優しい男の子はいないの? かっこよくなくても、気が利く素敵な性格の子。……まだやんちゃボーイしかいないかな……?」

 気が利く素敵な性格の子とは、まさに慧だ。恋人にすべきなのは慧だ。それなのに爽花は拒否している。普通の子なら天国にも昇りそうな相手だ。

「……それに、ぐるぐる振り回されるのもいい経験だよ。というか恋というものは、ぐるぐるぐるぐる振り回されるのが当たり前。男と女の考え方は違うし、喧嘩したり悩んだりするのは当然。会ってすぐにラブラブになれるカップルはないよ。そのぐるぐるも、後になったら笑える思い出に変わるよ。ぐるぐるされたおかげで今、私はあなたと結ばれたんだって。……かけがえのない宝物も、こうして授かるし」

 返す言葉を失って、黙るしかなかった。爽花が幼い頃から信じ続けていたものが、崩れそうになっていた。

「ただいま! ケーキ買ってきたよ! みんなで食べよう!」

 タイミングよくカンナがリビングにやって来た。白い箱を掲げているカンナをマリナは小声で叱った。

「こらっ、アンナが起きちゃうでしょ」

「あっ、ごめんごめん」

 仲のよい姉妹の様子を目にして、同じ空間にいるのに取り残された想いが襲いかかってきた。いたたまれなくなって、勢いよくドアを開けて外に飛び出した。そのままわき目も振らずにアパートへ全力疾走し、誰も待っていない寂しい場所に辿り着いた。

 ベッドに寝っ転がり、天井を眺めながらカンナとマリナに申し訳なくなった。きっと、どうしたのかと心配しているに違いない。けれどそばにいるのが辛かった。逃げるしか爽花にはできなかった。

 マリナの言葉が胸の中に響いて止まらない。確かに若い頃は楽しい日々を送れるけれど、歳をとった後に他人と付き合っていなかったら悲しいだろう。爽花は強い心を持っていないため、毎日泣いて過ごすしかない。実家に帰っても京花たちはすでに亡くなり、本当に独りぼっちの世界を歩む羽目になる。ぐるぐる振り回されるのが当然だとは知らなかった。後になって笑える思い出に変わるのも驚きだ。しかし実際はどうなのかはわからない。一人二人に捨てられたり飽きられたりしても次の恋人を探せば問題ないと軽く言っていたが、傷は残るだろう。すぐに恋をしようと立ち直れるか。とても爽花には無理だ。

 孤独は嫌だが、失恋で傷つくのも嫌だ。どっちみち悩まなければいけない。だから恋愛は辛い。全然楽しくない。苦しいと嘆いても助けてくれる人はいない。振り出しに戻らないかと願った。いつの間にか、こんなに深い位置に到達してしまった。そもそもカンナがラブレターなど書かなければ、慧とも瑠とも無関係でいられたのに。



 しばらくして、かなり緊張したカンナの電話がかかってきた。

「……爽花、どうしたの? お姉ちゃんが酷いこと言ったの?」

「違うよ。あたしがネガティブになったってだけ。……取り残された感じがしたの」

「取り残された?」

「うん。……ごめん。もう聞かないで……」

 半泣きで何とか伝えると、一方的に切ってしまった。




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