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五十一話

 噂とは、恐ろしく速いスピードで広まっていくものだ。ある昼休みに教室から出ると、十人の一年生たちが爽花を取り囲んだ。そして制服にしがみつく。

「えっ……? な……何……?」

「あの、新井先輩って水無瀬先輩の彼女なんですよね?」

「すごい! 新井先輩って、すごい人ですね!」

「どうやって彼女になれたんですか? ぜひとも教えていただきたいです!」

 なぜバレているのかと焦って言葉が出せない。慧は隠すと言っていたが、まさか話してしまったのか。

「いや、あたしは何もしてなくて、慧が」

「慧? もう呼び捨てなんですね! 素敵です!」

「水無瀬先輩も爽花って呼んでるんですか?」

 女の子たちの勢いは増し、まぶしいほどの羨望の眼差しが襲いかかる。どうすることもできずに慌てていると、横から明るい声が割り込んできた。慧の声だ。

「爽花、モテモテだねえ。どうしたの?」

「あっ! 水無瀬先輩!」

 一人が叫び、つられて全員が慧の方に視線を移した。

「や……やっぱり下の名前で呼んでるんだ!」

「めちゃめちゃラブラブじゃないですか! すごい! 羨まし過ぎ!」

 きゃあああと騒ぎは大きくなり必死に逃げようとした。

「ちょっと……慧、助けて……」

「キスとかしたんですか?」

 興奮しながら誰かが大声を出し、廊下にいる生徒全員に注目された。緊張と恥ずかしさで頬が赤くなってしまう。しかし慧は慣れているらしく、微笑んだまま答えた。

「悪いけど、プライベートな話は秘密なんだ。ご想像にお任せするよ。ただしおかしな妄想はだめだよ」

 はいっ! と十人が同時に背を正して敬礼のポーズをした。さらに邪魔をしないようにと走って立ち去った。全員がいなくなってから、じろりと慧を睨んだ。

「名前バラさないって約束したのに」

「ごめんごめん。違うんだよ。どこかで俺たちがおしゃべりしてるところを偶然見たって子がいたらしくてさ。まあバレても先輩の彼氏を後輩が奪うわけないから心配しなくて大丈夫だって」

 確かに慧も爽花以外の女の子には興味がないと言っているし不安になる出来事は起こらないはずだ。嫉妬の残酷さを痛いほど味わったから、臆病になっているのだろう。ただ一つだけ心に引っかかっていることがあった。真っ直ぐ慧を見つめて、そっと口を開いた。

「とりあえず彼女でいるけど、あたしはまだそのつもりじゃないよ」

「えっ? どういう」

「だから、慧と本当に恋人同士になる気ではないよって意味」

 途端に慧の笑みは消えて真顔に変わった。かなりショックを受けたと明らかに感じた。

「……俺が嫌いで?」

「嫌いじゃないよ。むしろ大事な人だって思ってるよ。今までどれだけお世話になってきたか数え切れないもん。ただものすごくあたしと似合ってないから、やめた方がいいよって言いたいの。慧はかっこいいし頭もよくて穏やかで王子様なんだよ。非の打ちどころがない、素晴らしい人なんだ。そんな王子様を平凡で取り柄もない普通のあたしが奪っちゃったらまずいでしょ。慧にはもっと女の子らしくて可愛いモデル並みの美女がお似合いだよ。あたしと付き合うより、ずっと幸せだって」

 励ます口調で話したが、慧は暗く俯くだけだ。どきりと心臓が跳ねて、慌てて軽い声で付け足した。

「慧のことが嫌いなんじゃないの。勘違いしないで。だけど恋人じゃなくて友人として仲良くなりたいのよ」

 必死に作ったフォローも空しく、慧は下を向いたまま振り返って歩いて行った。心が冷たく凍って、爽花も追いかける気力はなかった。はっきりと想いをぶつけてしまったと後悔した。黙って彼女のフリを演じていればよかったのに自分勝手すぎた。慧に愛され抱き締められて過ごせたら、絶対に幸せでいっぱいになるだろう。悩みができても慧なら相談に乗ってくれるし、危ない目に遭いそうになったら命がけで護ってくれる。それくらい好かれているのに拒否してしまうのかは、正反対の性格の瑠が存在しているからだ。瑠とアトリエを失いたくない。慧を恋人と認めた瞬間、瑠との糸はほどけ二度と会えなくなる。瑠に癒されなかったら爽花はストレス解消できずに息苦しい毎日を送る。となりにいる爽花が弱っていたら慧も気を遣って迷惑をかけてしまうし悪循環なのだ。この問題を避けるためには、できる限り慧との距離を遠くするしか方法がない。友人のまま付き合うしかないのだ。

「慧……。ごめんね……」

 呟いてがっくりと項垂れた。涙が溢れそうになるのを抑えて、次にどんな言葉をかければいいか迷った。



 放課後にアトリエへ行った。廊下で慧に会うことはなく、ドアをゆっくりと開けた。中では瑠がスケッチブックを眺めて座っていた。無言で近づき爽花も椅子に座った。瑠は目だけ動かし爽花を見つめて、抑揚のない声で一言呟いた。

「来たなら来たって言えよ」

「別にいいじゃない。あたし、それどころじゃないの」

「それどころじゃない?」

 ため息を吐き、両手で顔を覆いながら答えた。

「自分が酷い奴だなって……。自己嫌悪っていうんだっけ? とにかく自分が嫌いで仕方ないの。消えてなくなりたい……」

 慧の名前は隠しておいた。不機嫌になるのは知っているし、さっさと帰れと辛辣にあしらわれたらさらに胸が傷付く。泣いてもしょうがないので、もう一度ため息を吐いた。

「……瑠はたぶん、こうやって悩んだりしないんだろうね。この世から消えてなくなりたいっていう悩み。独りだから気楽でしょ」

 囁くと瑠はスケッチブックを閉じて首を横に振った。

「お前、もっといろいろと経験して勉強した方がいいな。これ以上自己嫌悪に陥りたくなかったら」

 反応なしで無視されていると思っていたので、驚いて顔を上げた。

「経験って何? ちゃんと詳しく教えてよ」

「それは自分で解決するものだ。誰かに頼らないで努力しようって思わないのかよ」

 普通の勉強も慧に手伝ってもらっている。全て一人で終わらせたのは、ほとんどない。慧は親切で優しいためついつい甘えてしまう。高校生は大人と一緒なのだから爽花も立派に成長しなきゃだめだ。

「……わかってるよ。言われなくても」

 むっとして、また落ち込んだ。だが心が軽くなっているのに気が付いた。爽花の癒しがアトリエの理由は、他人にじろじろと注目されないからかもしれない。完全に二人なら自分のことしか心配しなくていい。瑠もいちいち疑ったり、根掘り葉掘り質問攻めしたりしない性格だ。

「……もう帰る。瑠も早く帰った方がいいよ。最近物騒な事件多いから」

「俺はアトリエに泊まる。戻らなくても平気でいるしな。あいつらは」

 本当に愛に満ちている母親なのか疑問が浮かんだ。お腹を痛めて産んだ子供を片方しか可愛がらない親がいるなんて爽花には信じられないことだ。余計な話はやめて、口を閉じてアトリエから出た。

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