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五十話

 翌朝、昇降口の前で女の子たちが盛り上がっていた。ちらりと覗くと全員が今年入学した一年生だ。

「ちょっと見た? モデルがいたよ!」

「超かっこいい……。まじで王子様じゃん」

「名前、なんていうんだろう? 気になるー!」

「嘘でしょ。めっちゃあたし好みなんだけど」

 そういうことか、とすぐに理解した。確かに慧の魅力はものすごい。男に興味なかった爽花をうっとりさせたくらいなのだから、普通の女の子なら一瞬で落ちる。そんな美しい王子様に愛され抱き締められているのが自分だなんて信じられない。未だに夢ではないかと感じることだってある。そういえば京花も人気者だった父と結婚したらしい。特に取り柄もないのにいい想いをするのは遺伝かもしれない。爽花の目ではどこにでもいるただのサラリーマンにしか映らない俊彦の若かりし頃が見てみたい。とんとん、と背中から肩を叩かれ素早く振り返った。先ほど王子と呼ばれていた男子が微笑んでいた。

「おはよう。あれ? どうかしたの?」

 妄想している表情だったと慌てて笑顔を作った。

「いや、あの……。大丈夫かなって……」

「大丈夫?」

「だってほら、一年生の女の子たちにちやほやされたりファンクラブ作られたりしたら面倒でしょ? もうああいうの飽きたって言ってたじゃない」

 すると慧はきょとんとした顔ですぐに答えた。

「またできるかな?」

「さっき超かっこいいって盛り上がってたよ。絶対に水無瀬先輩大好きですっていう子現れるよ」

 しかし慧はにやりと笑い、しなやかな指で爽花の髪を撫でた。

「告白されても彼女がいるからって断るよ。可哀想だけどね」

 ということは、また嫉妬の炎が爽花に飛んでくるという意味だ。今度は慧との関係で悪口を叩かれるかもしれない。無意識に俯くと慧は付け足した。

「爽花だってことはバラさないよ。爽花を護るのが俺の役目なんだから」

「そ、そっか……。ありがとう」

 ストーカー集団に追いかけられていた日々はセルリアンブルーの空も灰色のようだった。もう二度とあんなに辛い毎日はごめんだ。

「お願いします」

 丁寧にお辞儀をすると優しく抱き締められた。どきどきと全身が熱くなっていく。触れられるだけで幸せになれるのはすごい。慧の愛を受けながら、瑠の姿をぼんやりと思い出していた。ストーカー行為から逃れるためとはいえ、あまりにも大きな秘密を作ってしまった。全裸を晒したこともアトリエに通っていることも、きりがないほど隠さなくてはいけない事実が存在している。疑われて怖いと考えているが、爽花が嘘をついたり誤魔化したりしているせいで詮索魔に豹変しているのだから、悪いのは慧ではなく爽花の方だ。

「……じゃ、また後で」

 耳元で囁かれ、ぱっと腕が離れた。くるりと振り返って歩いて行く慧の背中を眺めるように見つめて、完全に消えるまでその場に立ち尽くした。

「ごめんね。あたしも慧のこと大好きなんだよ。……だけど……瑠に会えなくなるのは嫌なんだ……」

 ぽろりと涙の雫がこぼれ、ゆっくりとしゃがんだ。慧も失いたくないし瑠も失いたくないなんて、わがままだし自分勝手だ。優柔不断でいつまでも慧の告白をそのまま放置している。いつか必ず伝えなければならない日がやって来ることはわかっているが、今ははっきりと答えが出せないのだ。やはり恋愛とは楽しいものではなく苦しいものだ。ふらふらと細い綱渡りを渡るのと同じくらい難しいのだ。とりあえず、できることはしっかりとやり遂げて一つ一つ乗り越えていけば、真っ直ぐ進んでいけるだろう。涙を拭い立ち上がった。二年生になったら勉強もレベルが上がるし大変だ。まずは学校生活が最優先だ。

 放課後にアトリエに向かってドアを開いた。瑠の姿はなくため息を吐いたが、背中から抑揚のない声がかけられた。

「入るのか入らないのか、どっちかにしろよ」

「あっ……。休みじゃなかったの」

 素早くドアから離れると大股で瑠は中に移動し、鞄から画材道具を取り出して机に置いた。もちろん爽花も帰らずに、いつも使っているとなりの席に座った。

「また慧モテモテだよ。卒業するまで毎年チヤホヤされるんだね。羨ましいけど、ちょっとウンザリかもしれないね」

 呟いてみたが反応はなく、スケッチブックのページをめくって確認するように眺めていた。

「あれ? それってイチジクさんの庭の……」

「そうだ。次はイチジクさんの庭に決めたんだ。いつか描いてみたいって思ってたからちょうどいいし」

「へえ……。完成したらイチジクさんのお屋敷に持っていこうよ」

 突然ある想いが浮かんだ。驚いた爽花の表情に気が付いたらしく、瑠も視線を移した。

「……コンクールって言うんだっけ? 優秀賞とか佳作とか評価してもらうやつ。あれに出してみたら? きっと一番になれるよ」

 ぐっと拳を握って熱く言ってみたが、逆に瑠は冷めた顔で即答した。

「俺は、誰かに感想もらいたくて絵を描いてるんじゃない」

「なに馬鹿なこと言ってるの。これほど画力が高いのにもったいないでしょ。積極的に行動するべきだよ。綺麗で繊細で素晴らしいのに」

 ただの暇つぶしや遊び半分とは思えない。油彩は難しくて道具を集めるだけでもいっぱいいっぱいなのに、瑠は最後まできっちりと仕上げている。本気の作品なのだ。深い意味を持っているのだ。

「まさか自信ないとか? 瑠の絵を悪く言う人はいないよ」

 励ますつもりで聞くと瑠は首を横に振った。

「自信があるとかないとかじゃない。俺はこうやって生きていくしかないんだよ」

「えっ?」

 不自然な言葉に疑問が浮かんだが、瑠はスケッチブックを閉じて机に置いた。これ以上質問をしても黙りこくるという気持ちが伝わり、残念で堪らなかった。後は自分で解決するしかいけないのだと俯いた。

「そういえば、瑠のお母さんってフランス人なんだってね。慧が教えてくれたよ。名前も顔も知らないけど、家族想いで優しくって、いいお母さんだね。あたしのお母さんも」

「うるせえな。くだらないおしゃべりに付き合う気はないんだ。このまま続けるならさっさと帰ってくれ」

 尖った口調にどきりと緊張した。慧と同じで瑠の鋭い言葉も胸に突き刺さる。

「……わかったよ。邪魔して悪かったね」

 むっとしながら呟き早足でアトリエから出た。



 なぜ母親の名前が話に入ってくると不機嫌になるのだろう。独学で、決して頼ったりしないと聞いた。さらに向こうも断るというのも覚えている。油彩の先生といい、水無瀬家の関係はよくないのか。愛情に満ちている母親なら片方の息子しか可愛がらないとは考えにくい。それに頑なに絵を公開したくないのも不明だ。

「もったいないなあ。たくさん褒めてもらえるのに。無駄なことしてるって、どうしてわかんないんだろう」

 独り言を漏らしてもしょうがないが諦めきれない。こっそり盗んで代わりに爽花が出品しようかまで薄っすらと考えたがドジなため失敗してしまう。瑠との距離も一気に遠くなってアトリエ立ち入り禁止になるに違いない。あまりにも世の中と背を向け過ぎたせいで、心が石のようにがちがちに固まってしまったのだ。固くなった状態では、本当の瑠は隠れたままで現れない。もっと近づいて突き進む時間が必要だ。



 

 





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