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五話

 学校の廊下の途中で、水無瀬の取り巻きが騒いでいた。まるでアイドルでも来ているみたいだ。

「これ、水無瀬くんのために作ったんだ。よかったら食べて」

 一人がお菓子をプレゼントすると、周りからぎろりと鋭い睨みが飛んできた。

「あたしのも食べて」

「あ……あたしのも」

 あちらこちらから嫉妬の炎が立ち込める。ただの高校生なのにと呆れて、爽花は教室へ行った。

 特に問題もない日だったが「来週の金曜日に、英語のテストがある」と恐ろしい言葉を教師から告げられた。爽花は英語が大の苦手なので、普通の生徒よりも勉強をしなくてはいけない。アパートに帰りベッドに寝っ転がって、天井をぼんやりと眺めた。海外に住む予定などないのに、わざわざ英語を学ぶ必要はないはずだ。意味もないことをしても時間の無駄遣いだ。英語で人生を台無しにしたくないという願いを、学校側は応えてくれないのが腹立たしい。

「日本以外、地球から国がなくなっちゃえばいいのに……」

 愚痴とため息を吐いて、ゆっくりと起き上がった。

 翌日も、朝から水無瀬の取り巻きは大騒ぎしていた。きゃあきゃあという甲高い声と、彼女を奪われた元彼の泣き声が混じって耳に入る。すでに水無瀬の名前は一組まで広がっていて、休み時間に英単語を覚えるのも困難な状態だ。きちんとテスト対策したいのに雑音が襲いかかってきて、いらいらが増していく。やめてくれと文句を言っても逆に面倒なことになるだけなので、我慢し続けるしかない。

 放課後は図書室に走って窓際の席に座って深呼吸をした。胸に溜まったストレスの解消と、誰も邪魔しない環境で集中して勉強するためだ。気持ちをリラックスさせて、独りきりの時間を過ごす。

 やはり英語は難しく、何度もペンが止まった。詳しく教えてくれる家庭教師でもいたらと甘えたくても、そんな人はどこにもいない。悶々と頑張ったが完全に進まなくなって、椅子に寄りかかって腕を伸ばした。そして後ろに行き過ぎて、床に倒れてしまった。いたた、と打ったところをさすっていると、背中から声をかけられた。水無瀬の声だった。

「大丈夫? 怪我しなかった?」

 いつの間にここに来たのかわからないが、どうやらすぐそばにいたようだ。心配そうに顔を覗き込んでくる。慌ててぶっきらぼうに答えた。

「痛いの慣れてるから平気」

「痣とかできてない?」

「これくらいで痣なんかできるわけないでしょ」

 冷たい態度で、ふん、と横を向いた。かなり失礼な行為だが、普段迷惑をかけられているのだからと思い直した。この男と一緒にいるとロクな目に遭わないので、さっさと帰り支度を始めたが、水無瀬は真剣な口調で質問を投げてきた。

「君が新井さん?」

 はっ、と手が止まった。逸らしていた視線も無意識に移動していた。

「……そうだけど……」

「そっか。それならいいんだ」

 爽花の名前を知りたくて、もやもやしていたのか。男の考えることはとても不思議だ。

 ふと水無瀬は窓の外を見つめた。つられて爽花も夕日が沈みかけている空を眺めた。

「そろそろ帰った方がいいかもね。家まで送ろうか?」

 予想していなかったことで驚いた。すぐに首を横に振った。

「い……いいよ。高校生なんだから、ちゃんと帰れるよ」

「そう? 危なくないかな?」

 また幼児扱いしたな、と睨んだ。爽花を小学生くらいにしか思っていないのだ。ドジなのは認めるけれど、まだ仲良くない水無瀬に思われるのは嫌だ。

「でも」

「水無瀬くんも早く帰ったら? 最近物騒な事件、多いから」

 抑揚のない言葉で遮ると、すたすたと早足で出口に向かった。

 アパートの洗面所の鏡で、腕に痣があるのを確認した。触れるだけでじんじんと痛み、いつ治るのかと暗い気持ちで俯いた。腰もかなり強くぶつけたせいか、鈍い痛みが続いている。

 先ほどの水無瀬とのやりとりが蘇って、はあ、と長いため息を吐いた。また恥ずかしいところを晒してしまった。自分が油断したのがいけないが、誰だってかっこ悪い姿は隠しておきたいだろう。昔から爽花は負けず嫌いで、他人に劣るのが嫌だった。一方的にライバル視をしては、負けたくないという想いを燃やしていた。

「あたしの馬鹿……」

 脱いだ制服を抱きしめて、その場にしゃがみ込んだ。悔しい想いで、睡眠もうつらうつらだった。

 



 水無瀬に会いたくないので仮病を使おうとしたが、テスト前に休むのはできるだけ避けたい。四組の付近には寄らずに話しかけられても無視をしようと決めた。

 相変わらず取り巻きの声が耳障りで、寝不足の頭をズキズキとさせた。とにかく勉強に集中しようと頑張っていたが、昼休みまで体力はもたなかった。授業の途中で手を挙げて「頭が痛くて休みたい」と教師に言い、ふらふらしながら保健室に行った。保健の先生がいなかったので、勝手にベッドに横たわった。

 手の甲で額に滲んだ汗を拭い取り、深呼吸を繰り返した。腕の痣も痛むし未だに腰の痛みも残っているし、本当に踏んだり蹴ったりだ。

「……全部あの男のせいだ……」

 独り言を漏らしながら水無瀬を想像して、天井を睨みつけた。常に女の子にちやほやされて、ファンクラブもあってお金持ちの息子。クラスの男子とは比べものにならないほどの力を持っている理想の恋人なのは確かだが、爽花には厄介者でしかない。あの男と付き合ったら、ものすごく苦労する羽目になる。

 いろいろと妄想しても仕方がないので、静かに目を閉じた。睡魔は意外にも早くやって来た。

 ふと視線を感じて眠りから覚めた。保健室の先生が戻って来たのかと思ったが、何と水無瀬が椅子に座って爽花を見下ろしていた。がばっと起き上がって、慌てて壁に移動した。

「ど……どうして水無瀬くんがここにいるの……?」

 慌てて口を開くと、水無瀬は柔らかく微笑んだ。

「一組に行ったら、新井さんは保健室で休んでるって聞いて。大丈夫?」

 恥ずかしさで頬が赤くなっていく。寝顔まで晒すとは油断し過ぎだ。

「どうしてあたしに会いに来るのよ。休んでるんだから放っておいてよ」

 焦っているせいで声が震えてしまうが抑える余裕などなかった。水無瀬は笑ったまま頷いた。

「まあ、それもそうだね。せっかく休むなら一人がいいよね。だけど心配だったんだよ」

 そして爽花の腕を掴み、袖をめくって痣に手を触れた。

「やっぱり痣できてるじゃないか。かなり大きな音だったから、絶対どこか怪我してるって思ってたんだ。けっこう酷い痕だね」

「触らないでよ」

 きっときつく睨み、手を振りほどいた。

「水無瀬くんに心配されなくても、ちゃんと治るから平気だよ。それよりさっさと教室に戻ったら? 取り巻きの女の子たち、水無瀬くんがいなくて寂しがってるはずだし。とにかくあたしに構わないで」

 あまりにも不愛想な自分に驚いたが態度は変えなかった。水無瀬は残念そうな笑みで「ごめんね」と謝って保健室から出て行った。

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