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四十四話

 爽花が夕食の支度を始めると、瑠は鞄からスケッチブックを取り出した。かなり厚くて大きなサイズのスケッチブックで驚いた。そっと覗き込むと、花やどこかの風景が鉛筆や木炭で描かれていた。

「うわあ……。すごい……。瑠って絵の才能めっちゃあるよね。上手すぎでしょ」

 褒めたつもりだったが、瑠は首を横に振った。

「これは俺が描いたんじゃない。大事な人が、俺のために作ってくれた手本だよ」

「大事な人? 女の人?」

 瑠はちらりと目だけを移動し、呆れた様子でため息をついた。はっと気が付いて爽花も言い直した。

「男の子が大事な人って大抵女の人だって妄想しちゃう性格だからね」

 笑いながら女の人だったら面白かったのに、と少しつまらない気持ちが浮かんだ。瑠が密かに女性に惚れていたら素敵だったのにと残念でならない。

「大事な人って、油絵の先生?」

「そうだよ。かなり有名な先生だ」

「ふうん……。その先生って、今どこにいるの?」

 怒られるかもしれないと思ったが好奇心を抑えられなかった。瑠は抑揚のない声で一言呟いた。

「フランスだよ」

「フランス? じゃあなかなか会いに行けないね。きっと先生も寂しがってるだろうね」

「……そうだといいけど」

 瑠はなぜか暗い顔になり、同時に心にノイズ音が流れた。

「どうしたの? 何か心配なの?」 

 励ますように伝えたが瑠の反応は変わらなかった。仕方がないので違う質問をしてみた。

「先生は、どうしてそのお手本をくれたのかな? 瑠はすでにプロ並みの画力を持ってるし、わざわざ用意しなくても」

「花束だよ」

 遮って瑠は答えた。爽花が驚いているのに気付かず、スケッチブックを見つめたまま続けた。

「たとえ遠くに行って二度と会えなくなっても自分を覚えていてほしいっていう意味と、これからは一人で油絵を描いていく応援の花束だって俺は思ってるけど。いつまでも一緒に過ごした日を忘れないでくれって気持ちで渡したんだろう」

 瑠が花束だと考えていたのは意外だ。ふむふむと繰り返し頷いてから、そっと口を開いた。

「なかなかロマンチックだねえ。早く再会して、今の作品を見せたいよね。ここまで上手くなったんだって」

 繊細で派手でも地味でもない白薔薇を、油彩の先生はどのような感想を話してくれるだろうか。しかし瑠は曖昧に首を横に振った。

「もう忘れちゃってるだろ。俺のことなんか」

 日本とフランスの距離は遠いが、別に悲観的にならなくたっていいだろう。拳を強く握ってはっきりと答えた。

「忘れるわけないよ。大事な教え子を忘れるなんて、そんな酷いことしないよ。心配しなくても平気だって。いつかまた瑠に会えるはずだって信じて待ってくれてるよ。今は無理だけどそんなに落ち込まなくてもいいじゃない」

 すると軽く攻撃が含まれた視線が飛んできた。低いトーンの声も同時に聞こえた。

「適当なこと話すなよ。お前は関係がない赤の他人なんだから」

 確かにその通りだが、瑠のためを想って励ましていたのでショックを受けた。関係がない赤の他人というセリフが槍となって胸にぐさりと刺さった。

「……わかった。もうやめる」

 俯いた状態で消えかける音で囁いたが、瑠の耳に届いたかどうかは不明だ。ごめんと謝るのは無理なため、頭を下げるだけにした。




 瑠がなぜ諦めたような言い方をしたのか理解できない。いつもの瑠とは全く違う態度に不安で堪らなかった。弱弱しく沈んでいる目をしているのだ。迷いというか悩みというか、とにかく怯えている。フランスの先生と嫌な思い出があるのかもしれない。爽花が一生懸命力づけていたのは母性で、慧が泣いた時も柔らかく抱き締めてあげた。そのおかげで慧は笑顔を取り戻したが、瑠は逆に余計なお世話となるのだ。親切があだになってしまった。二人とも黙ったまま椅子に座り、気まずい空気が流れていった。必死に話題を探して、ある疑問が浮かびあがった。

「ねえ、瑠の携帯電話番号、教えてくれない?」

 小さく顔を上げて、瑠は聞き返した。

「携帯電話番号?」

「交換したいの。できたらメールアドレスとかも。だめかな」

 しかし瑠は一度首を横に振って、視線を逸らしたまま答えた。

「悪いけど、取り上げられたからできない」

「取り上げられた? 誰に?」

 予想していなかったので驚いた。一体どういうことなのか。

「あいつだよ。慧。お前と電話するんじゃないかって、勝手にどっかに隠しやがった。でもそんなに使わないし、かける相手はほとんどいないからそのままにしてる。だから交換は無理だ」

 爽花の考えは完全に見透かされていたという意味だ。また邪魔された。瑠に近づこうとするたびこうして失敗する。

「で……でも、あった方が便利じゃない。あたしは瑠と」

 そこまで言って切った。慧の疑う姿が蘇ってきたからだ。瑠とどんなおしゃべりをしたか詳しく詮索されて傷つきたくない。それに交換しなくてもアトリエに行けば会話はできる。爽花と瑠が二人きりになれるのはあそこしかないのを忘れていた。ようやく気が付いたか、という表情で瑠は軽く頷いた。




 

 

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