四十話
「いつになったら、女の子たちはいなくなるんだろう?」
夜遅くに、アパートの洗面所の鏡に映る自分に問いかけてみた。もちろん返事など来ないし、来たら怖い。けれど黙っていられなかった。やはり瑠はかなり疲れている。女の子たちに囲まれ、逃げて、大好きな油絵も描けずに家で引きこもり続けるのが哀れで泣けてくる。この圧迫する胸を晴らすには慧に頼むしか方法がないが、すでに約束をしてしまったため、こうして無意味な時間を過ごすしかないのだ。
「あたしが、どうにかしなきゃだめなんだ……」
ぐっと拳を握ってみるが、すぐに弱くなってしまう。ほんの少しでもいいからヒントのような言葉がほしい。さらに爽花まで狙われることになったので、余計答えが見つけづらい。さっさと違う男性に乗り換えてもらいたい。特に瑠は女が苦手で、可哀想で仕方ない。
「もう邪魔しないでよ……」
ふう、とため息を吐いて、そっと俯いた。
爽花と瑠は無関係で他人なんだと話した慧を思い出した。慧は、爽花がアトリエに通っていることや、二人がどういった会話をしているのか知らないから、そう考えているのだろう。爽花にこれ以上嘘をつかれたくないだろうし、爽花も優しい慧に嘘をつきたくない。汚れた人間になるのをやめたい。疑ったり傷つけたりするのは、それだけ爽花を愛している証拠だ。
「……来年まで続いてたらどうしよう……。あたしも瑠も鬱になっちゃうよ……」
不安で堪らなく、独り言も掠れている。人は嫉妬に燃えたり夢中になると性格が変わるのに驚いた。思い通りにいかないから暴れたり、しつこくつきまとって、それが当たり前みたいに思うのだ。どんなに穏やかで優しい人だって、必ず嫌われ者と化してしまう。恋愛は楽しいものではなく苦しいものだと改めて感じた。
「何で、あたし振り回されてるんだろう。振り回されたくないって決めてたのに。馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ……」
ぽろりと涙の雫が落ちた。最初から完全に慧とも瑠とも関わらないと距離を置いておけばよかった。そうすれば今頃、カンナと気軽に遊んだりアンナを抱っこしたりできたはずだ。どこで狂ってしまったのか、爽花自身も覚えていない。
「もういいや……寝よう……」
呟きながら目を閉じた。現実逃避するには眠るしかない。睡魔はすぐに現れた。
翌朝、重い頭で学校に行くと、昇降口で背中から声をかけられた。慧の声だ。
「爽花、あいつに何かしたのか?」
「えっ? 何かって?」
「瑠だよ。助けたりしなくていいからって言ったじゃないか。あいつのために悩んだりしないでって。忘れちゃったのか?」
怒っているというより残念がっている口調で安心した。誤魔化したくないが真っ直ぐ「そうだ」と答えられるわけがない。
「悩んでないよ。あたしは約束を破る性格じゃないからね。忘れてないよ」
「……それならいいんだけど……。爽花があいつのせいで落ち込んでるなんて知ったら俺、頭おかしくなっちゃうよ」
ごくりと唾を飲んで緊張した。慧に逆らったら一体どんな仕返しが飛んでくるか。
「大丈夫だよ。絶対に裏切ったりしない」
はっきりと伝えると、慧はくるりと振り返った。半信半疑という表情がちらりと視界に映ったが、気付かないフリをした。いつもこうやって隠されている慧も可哀想だ。誰もが同じ目に遭っている日々に嫌気が差した。
授業中に窓の外を見ると、セルリアンブルーの空が広がっていた。三人の心も綺麗に輝けばいいのにという想いが生まれた。いないとわかっているのに、放課後にアトリエに向かった。描きかけの油絵がイーゼルの上に置いてあるだけ。空しく寂しい気持ちでいたたまれなくなった。
爽花への悪口もエスカレートし、散歩道を変えたりアパートから出なかったりと息苦しい毎日だ。こそこそと、どこで仕入れたか知らない噂をし、じろじろと冷たい視線を投げつけ、馬鹿にしたように笑う。こちらが聞こえないフリをすればするほど、回数が増えていく。いらいらして叫びたくなるのを抑えるたびにストレスで体が膨らむ。一度だけ、勇気を出して怒鳴り返してやろうかと迷った。瑠のストーカーも自分の嫌がらせも止めろと言い返してやろうかと本気で考えた。しかしその後に起こる出来事が怖くて、結局諦めるしかなかった。
「どうしたの? 爽花? ぼうっとしてるよ」
慧に覗き込まれて慌てて笑顔を作った。慧に相談できないのも辛い。とりあえず疑われずにいることが幸いだ。
「ああ……もう……」
アパートの椅子に崩れるように座り、テーブルに突っ伏した。今まで爽花はいじめられた経験がほとんどないため、余計しんどかった。関係がないのに、なぜこんなにも異常な仕打ちを受けなくてはならないのか。明日はどんな日になるかを想像しため息を吐くと、ストレスが胸に溢れ出す。あの女集団が消えれば心が軽くなるのだ。しつこくつきまとうハイエナが離れれば、自然な笑みが作れるはずだ。




