三十八話
何も解決できないまま数日が過ぎた。爽花が散歩していると、くすくすと笑い声が耳に飛び込んできた。かなり馬鹿にした笑い方だ。
「ちょっと、見てよ、あの子。だっさい服着て恥ずかしくないのかな?」
「きっとお金のない貧しい家庭なんだよ。かわいそー」
「あたしだったら、あんな格好して歩くなんて絶対できない」
瑠を追いかけている女の子数人が、爽花をじろじろと見つめて噂話をしているのだとすぐにわかった。言い返してやりたいが、確かにおしゃれはしていないし可愛くもないので黙って逃げるしかない。足を速めて近くの店に隠れた。よくマンガなどで主人公がライバルなどにいじめられるシーンがあるが、まさしくそれと同じ状況だ。しかも自分が傷つけられるターゲットとはショックだった。しばらく中をうろうろし、一時間ほどして恐る恐る外に出ると彼女たちは消えていた。
その日を境に、爽花も狙われる対象になった。瑠ほど酷くはないが、とにかく気分が悪いことこの上ない。休日だけでなく平日も「ださい制服」と嘲笑ってくる。全く無関係の爽花に、日々のストレスを八つ当たりしているようだ。しかし誰かに相談もできず、さっさと忘れるしか方法はなかった。
こうやって人を苦しめるのが大好きな彼女たちの考えが理解できない。なぜいじめや悪行などがあっさりと行えるのだろう。よほど非常識なのか、愛が足りないのか。明日はどんな攻撃が待っているかと想像するだけで、目の前が暗くなってくる。瑠も爽花も立場は一緒のような気がするが、大きく違っているのは瑠は褒められ、爽花はけなされているところだ。はっきり言って爽花の方が不快だが、学校は辛くても通った。男より女の方が強いのは事実らしい。
朝、学校の昇降口に行くと背中から声をかけられた。慧の声だ。
「おはよう。……あれ? 顔色よくないね」
「うん……。考えごとしちゃって……」
「考えごと?」
慧の視線がきつくなり、首を横に振ってもう一度言った。
「瑠じゃなくて、自分のことだよ。慧を裏切ったりしないよ。約束破るなんて嫌だもん」
「そっか、それならいいよ。無理しないようにね」
穏やかな口調に安心した。離れていく慧の後ろ姿を見ながら、嘘をついてばかりでごめんねと目で伝えた。
翌日はどんな日になるか悩んでいたら、ぐっすり眠れるわけがない。授業中も頭が痛くてぼんやりしてしまい、手を挙げて「休みたい」と教師に告げた。しかし足が進んだのは保健室ではなくアトリエだった。いるわけないとわかっているのにアトリエへ向かい、勢いよくドアを開いた。中を覗くと、やはり油彩道具だけしか置かれていなかった。仕方ないので保健室へ行こうと思ったが、無意識に足を踏み入れた。瑠がいつも座っている椅子に座り、サイズの大きなキャンバスを眺めた。
「瑠は、毎日こうやって描いてるんだ……」
ただそれだけなのに嬉しくなった。固かった心がふわふわと浮かぶくらい軽くなった。
本当に爽花と瑠は似ている。感じ方や好きなものや、いろいろと重なる部分が多い。それが原因なのかは不明だが、たまに慧と付き合うのが億劫になる。慧からの過剰な愛に辟易に近い気持ちが生まれる。爽花を彼女にしたくてしょうがないという想いもわからないでもないが、こっちの身にもなってほしい。ただし慧を嫌っているわけではなく、常に大事な存在だと考えている。
頭痛は引いたが代わりに眠気が襲いかかってきた。ふああと大あくびをして、いつも爽花が使っている椅子に移動し、机に突っ伏した。最近はほとんど満足な睡眠をとっていないため、夢も見ずに眠りに入った。
ようやく目が覚めたのは、放課後になってからだ。あまりにも長く寝てしまって驚いて起き上がった。空は暗くて、慌てて教室に行った。クラスメイトは一人もいない。鞄を掴み、夜になり始めた外へ飛び出した。
アパートへの帰り道を歩きながら、現在も瑠は家にこもって女の子たちから逃げようと必死なのかと考えた。瑠はアトリエで絵を描けず、爽花も描いている姿を見れず、邪魔され続けてイライラが胸に溢れた。あいつと関わるとろくなことないぞと慧が言ったのは、無駄な時間を過ごすという意味だ。この悪循環から逃れるには爽花自身が動かないと変わらない。あの女の子たちに怒鳴ったり、もう止めろと叫んだりできる勇気は持っているか。必ず彼女たちは仕返しをするに決まっている。その仕返しにも抵抗する力はあるだろうか。とても一人では無理だ。かといって味方になってくれる人もいない。また頭がずきずきと鈍く痛み始め、へなへなとしゃがみ込んでしまった。




