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三十話

 春休みももう少しという日曜日に散歩をしていると、道の途中である集まりが見えた。よくわからないが、ざっと十五人はいる。全員が若い女の子で、きゃあきゃあと騒いでいる。特に気にせず、そっとその場所から離れた。アパートに戻ってから、ふと先ほどと似たような光景を以前にも目にしたのを思い出した。まだ爽花が慧を水無瀬くんと呼んでいた頃、ファンクラブが毎日慧にプレゼントやお菓子などを贈っていた。慧を彼氏にしようと周りをライバル視し、嫉妬の炎が燃え続けていた。しかし爽花が現れたせいで、彼女たちの努力や争いは一瞬で消え失せた。こんなにも簡単に炎が水の泡になるのは驚きだ。ファンクラブたちのように慧の美しさや様々な言動で、爽花もうっとりとしている。絶対に恋人など作らないという決意が薄くなっている。けれどもし好きだと伝えたら、瑠とのアトリエでのひとときが失われて、ストレスが堪っても発散できず、息苦しい日々を繰り返す羽目になる。瑠や油彩との距離が遠のくのは嫌だ。爽花が瑠と会っていると知った瞬間、慧は豹変して詮索魔になる。愛している爽花を傷付けて、後になって悪かったと謝るのはいい加減やめてほしい。優しい慧が睨みつけるところも見たくない。

 翌日、学校へ行くとカンナが走って近寄ってきた。輝く瞳をしている。

「お姉ちゃんが写真送ってくれたんだよ。やっと爽花にも見せられるよ」

 携帯の画面を開き、爽花も覗いてみた。可愛い赤ちゃんがベッドに寝て、こちらを見て笑っている。純白の綺麗なベビー服で、まるで天使みたいだ。そしてその笑顔がどことなくカンナに似ていて、血の繋がりを感じられた。

「すごいね。あたしも赤ちゃんほしいなあ……」

 無意識に独り言が漏れて、カンナは「ほらね」というように指を差してきた。

「爽花も赤ちゃん産みたいんじゃない。誤魔化してもバレバレだよ」

「違うよ。あたしが産むんじゃなくて、家族の中に赤ちゃんがいるといいなあってだけ。お母さんになりたいわけじゃない」

 慌てて首を横に振ったが、カンナの表情は変わらなかった。

「……そう。でもいつか、爽花も子供がほしくなる時が来るよ。女の子なんだから。女の子にしかできない、ものすごく貴重な体験ができるんだから。爽花は、いつもいつももったいないことばっかりしてるよ」

 少し不満そうに答えて、カンナは携帯を閉じた。

 授業中でもカンナの言葉が頭にちらつき集中できなかった。京花の難産の話も混ざって、勉強できる余裕などない。体育では派手に転んで、クラスメートたちから笑われてしまった。保健室に行くと、メガネをかけた先生が怪我の手当てをしてくれた。慣れた手つきで、薬で傷がしみないように気を付けてくれる。その先生に、そっと話しかけてみた。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「聞きたいこと? なあに?」

 関係のない先生を巻き込みたくないと一瞬戸惑ったが、はっきりと答えた。

「先生は、子供を産んだことがありますか?」

「子供?」

「そうです。この間、お母さんが難産で大変だったけど、子供を産んで嬉しかったって言って……。ずっともやもやしてるんです。友だちも子供がほしいって言ってるし、あたしも出産しなきゃいけないのかなって……」

 素直に伝えると、先生は優しく穏やかな口調で返してくれた。

「もう高校生だから、不安になるのはしょうがないよね。先生は痛いのが怖かったから結婚しても子供は産まないって決めてたの。だけど周りにいるみんなが、赤ちゃんを抱っこしてたり手を繋いで歩いてたりしてて羨ましくなって、やっぱり頑張ろうって思ってね。すごく痛くて辛かったけど、お母さんになれたんだってわかった時、涙が止まらなかった。新井さんは、赤ちゃんほしいのかな?」

 はいともいいえとも言えず、黙って俯いた。女性は必ず母親にならないといけないのか。爽花には出産の痛みに耐えられる力はない。

「とりあえずまだそういうことは考えないで、気楽に過ごすのが一番だよ。手当てが終わったから教室に戻っていいよ」

「はい。ありがとうございました……」

 掠れた感謝を告げて、さっさと保健室から出た。

 放課後に、昇降口で靴を履き替えていると、慧の後ろ姿が見えた。慧からも子供を産むのは大事だと言われた。産みたくても産めない子もいるんだという言葉に、胸が狭くなった。

「……あたしは、いつももったいないことばっかりしてるのか……」

 ふう、と息を吐いて、額に手を当てた。暑くもないのに汗が滲んでいる。せっかくの宝物を拒否しているのだ。幸せになれるかけがえのないものをわざと遠ざけて損している。情けない自分に嫌気が差した。



 真っ直ぐアパートに帰る気になれず、ぶらぶらと寄り道をした。冷たい夜風が火照った体を癒してくれる。しばらくすると、若い女の子たちの愚痴が耳に飛び込んできた。

「何か嫌な感じ。性格悪いんじゃないの?」

「全然にこにこしないもんね。デートにも誘ってくれなさそう」

「ほんとほんと。かっこいいんだからおしゃれに気を遣えばいいのに。もったいなーい」

 不満たらたらな様子だ。どうやら爽花には関係のなさそうな話題だ。

「違うって。照れ隠ししてるんだよ。あたしらが可愛すぎて、焦ってるんだよ」

 やけに明るい口調で一人が言った。えっ? という声も聞こえる。

「照れ隠し?」

「誰だって、美しい憧れの相手とは面と向かっておしゃべりできないじゃん。しかもこんなにいっぱい揃ってるから、びっくりしてるんだよ。間違いないって」

「……そうかも。照れ隠しとか、けっこう子供っぽいね。人は見かけによらないって本当なんだね」

 自信に満ちていてある意味尊敬した。詳しくは知らないが、彼女たちが狙っている男は苦労しそうだ。かっこいいけど、性格が悪そうで、全然笑わなくて、デートにも誘ってくれなくて、おしゃれにも気を遣っていない。とりあえず慧ではないと確信した。というか、慧とは正反対だ。

「まあ、どうでもいいや。あたしはあの子たちと友だちでもないし」

 独り言を漏らしながら時計に視線を移すと九時半になっていた。慌てて振り返り、アパートへ全力疾走した。



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