三話
事件が起きたのは、高校生活が始まって一カ月ほど経った頃だ。カンナがもじもじしたり胸に手を当てて息を吐いていたりすることが多くなった。休み時間でおしゃべりをしていても、どこか遠くを眺めている。
「どうしたの? 悩みでもあるの?」
試しに聞いてみると、ふるふると首を横に振った。
「悩みなんか……ないよ……」
「最近カンナおかしいよ。ぼうっとしてて変だよ。あたしでよければ相談に乗るよ?」
俯きながらカンナは小声で答えた。
「……笑わないで聞いてくれる……?」
「笑わないよ。ちゃんと教えてほしいよ」
力強く言うと、カンナは上目遣いでもう一度確かめた。
「爽花の嫌いな内容でもいいの?」
うん、と頷き真っ直ぐ視線を向けた。カンナは目を逸らし、消えそうな声で話し出した。
「……あのね、私、好きな人ができたの……」
うっすらと予想していた言葉だった。驚かず、やはりそうかと考えていた。
「好きな人? 誰?」
ぽっとカンナの頬が赤く火照った。
「秘密にしてくれる……?」
「他人にべらべら言ったりしたりしないよ。約束する。だから名前教えて」
顔を覗き込み誓うように言うと、カンナはほっと息を吐いて口を開いた。
「四組のミナセくんって人。水に無いに瀬戸物の瀬で水無瀬くん」
知らない名前だった。というか、たとえ有名人だとしても爽花は男に興味がゼロなので頭の中に残らない。
「水無瀬くん? へえ……かっこいいんだ」
「そう。クラスの女の子にモテモテなんだよ。私は五組で近づくチャンスがなくって……。爽花も会えばわかるよ」
「あたしは男の良さなんかわからないよ。……で、告白は?」
はっと目を丸くしカンナはまた俯いた。それが無理だから悩んでいるのだ。
「とにかく人気者だから彼女になれる可能性は低いよ。私より可愛い子いっぱいいるもん」
言いながらスカートのポケットに手を入れた。そして取り出したものを爽花の方に向けた。小さな手紙だった。
「これ、爽花が渡してくれないかな? ラブレターなんだけど」
「ラブレター?」
少し意外で驚いた。カンナは大きく頷いて続けた。
「口では焦っちゃうし、慌てたら恥ずかしい姿見せちゃうでしょ」
確かに手紙なら文字だから伝えやすいだろう。しかしなぜ爽花が渡すのか。
「どうしてあたしが? 自分で渡せばいいじゃない。勇気がないなら机の中にこっそり隠したりしてさ」
「だめだよ。私は五組で教室に行きづらいの」
「じゃあ一組のあたしはもっと行きづらいよ?」
すぐに返すと、ぶんぶんとカンナは首を横に振った。
「爽花が手で渡して。爽花しか頼める人がいないの。お願い……」
カンナは固く目をつぶり頭を下げた。戸惑ったが中学生からの大親友がこれほど困っているのに完全に突き放したら、ぎくしゃくとした関係になってしまうと考えた。カンナとの友情を断ち切るのは避けたい。そして何より、ドジな爽花を支え続けてくれたカンナに恩返しをするべきだ。世の中は持ちつ持たれつだ。
「……四組の水無瀬くんね……」
そう言うとカンナは勢いよく顔を上げた。ぱっと太陽が輝く笑みに変わった。
「ありがとう。やっぱり爽花優しい! 大好き!」
ぎゅっと抱き付かれて、爽花は後ろに倒れそうになった。カンナの笑顔を見ると爽花は嬉しくなる。
「大事なカンナのためだもん。ただしフラれても恨まないでよ」
「平気平気。爽花は可愛いから」
その一言が胸に突っかかった。どうして爽花が可愛いと平気なのだろう。けれど特に気にせずラブレターを預かった。
カンナが恋をしていたとは気がつかなかった。たった一カ月で好きな人が見つかるのは驚きだ。五組のカンナが四組の水無瀬に惚れるのも不思議な感じがした。もちろんそれはカンナの自由で、他人の爽花が首を突っ込んではだめだ。
こうやって人々は恋に落ち、恋人と大切なひとときを過ごすのだ。爽花は、そのひとときを避けて男と関わらない人生を送っていく。独りは空しいかもしれないが、爽花は空しくならない。彼氏の態度に一喜一憂して振り回されるくらいなら、恋愛など始めから望まない方が賢明だ。カンナが水無瀬と付き合ったとしても、羨んだり嫉妬心も起きない。ただ二人が明るい関係を保てるように見守る役で充分だ。
ところで水無瀬とはどんな男なのか気になった。女の子にモテモテなのは外見だけでなく性格がいいという理由も入っているはずだ。それでも、もし大親友のカンナを弄んだら絶対に訴えてやるという強い決意も生まれた。