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二十九話

 バレンタインで起きた悲しい記憶を紛らわすかのように、カンナはアンナの話を毎日聞かせてくれた。

「赤ちゃんって、ちっちゃくってふわふわで、すっごく可愛いんだよ。爽花も抱っこしてみたら? お姉ちゃんが来てる時に呼ぶよ」

「ありがとう。だけどあたしは抱っこはできないな。ドジだから怪我させちゃうかもしれないし。見るだけで充分だよ」

 カンナは爽花がどれほどドジっ子なのかはわかっている。そっか、と頷いて、明るい口調で続けた。

「私も赤ちゃんほしいなあ。一人じゃ産めないから、まず相手を探さなきゃいけないけど、いつか血の繋がった赤ちゃんがほしいよ。爽花はどう? ほしくない?」

 覗き込むように聞いてきて爽花は戸惑った。以前は結婚する気はないし彼氏もほしくないと決めつけていたのに、なぜか曖昧で答えが出せない。

「それは、もっと大人になってから考えるよ。まだ高校生だし、これからどうなるかわからないじゃん。カンナも、アンナちゃんにかまけて勉強に遅れないようにね」

「言われなくても気を付けてるよ。でも、確かに赤ちゃんがほしいかどうかは今考えるべきことじゃないよね。まずは恋人探しが一番だね」

 むっとしていたが、すぐにカンナは笑顔になった。ここがカンナのいいところだ。喧嘩や言い争いをしないために、あえて自分の意見を失くすのだ。それは違うと反対したりせずに、その考えもあると同意すれば、相手が不満になることはないだろう。そのおかげで、未だに二人はぎくしゃくしたり睨み合ったりしたことはない。きっとこれからもない。お互いの気持ちを無視して傷つけあう関係には決してならない。そしていつまでも仲良くしていられる。自分が見ていない間、何をしているのか疑って妄想して暴走するのはだめ人間だ。

「爽花?」

 呼ばれて、はっと我に返った。無意識にぼんやりしていたようだ。「何でもないよ」と答える前に、休憩時間終了のチャイムが鳴った。

 授業中でも瑠にチョコを食べてもらいたかったのにという無念で胸がいっぱいで、教師の声など頭に入らない。偉そうな態度でカンナに注意したが、勉強に遅れそうで焦っているのは爽花の方だ。留年は免れそうだが、明らかにテストの点などが低くなっている。普通は、記憶は早く消えるものなのに、いつまで経っても空しい想いは強く心に浮かんでなくならない。それくらいショックな出来事だったとも言える。もちろん放課後にアトリエに走るのはやめた。カンナがとなりにいれば慧は近づけないので、休み時間は常にカンナに会いに行った。どうして面倒な羽目に遭わなければいけないのかと悔しくなった。

「最近、全然話せないけど、どうしたんだよ。逃げてるのか?」

 廊下の途中で慧が不機嫌な態度で近寄ってきた。ぶんぶんと首を横に振って逃れる言い訳を作った。

「逃げてないよ。親友のお姉さんが赤ちゃんを産んだから、いろいろとおしゃべりしてるだけ。慧は男だから赤ちゃんの話聞いても意味わからないしつまらないでしょ。たまには女の子だけで過ごしたいよ」

 嘘ではないし慧も納得してくれて、とりあえずその場は逃げられた。理由を可愛い赤ちゃんにしたくはないが、誤魔化したら慧の疑いはさらに巨大化していき、監視などするかもしれない。瑠とのひとときが潰れアトリエに行けないとストレスが増して、勉強もまともにできなくなる。ただでさえ落ちていく点数が、もっと酷くなるに違いない。最悪の場合、留年になる可能性だってある。完璧に悪循環だ。今は、どんな手を使ってもいいから空しいこの想いを小さくし、迷ったり後悔したりしないように心を強くするのだ。



 夜にアパートでぼんやりとテレビを眺めていると、テーブルの上の携帯が鳴った。珍しいことに京花からだった。すぐに出ると、懐かしい声が聞こえてきた。

「お久しぶり。遅いのに電話してごめんね」

「いいよ。どうかしたの?」

「……別に大したことじゃないんだけど、何となく不安になっちゃってね。昨日の夜、爽花が暗い場所でしくしく泣いてる夢を見たの。それをお父さんに話したら、お父さんも全く同じ夢を見たんだよって言ってね。偶然かもしれないけど、ちょっと気になって仕方なくて。最近、困ったことない?」

 親子はどこかで繋がっているのだと不思議になった。驚いたが軽く苦笑して答えた。

「ないよ、そんなの。たまたまだって。元気いっぱいだよ」

「そうなの? 悩みとかないの? 嘘つかないでよ」

「ないない。嘘もついてない。お母さんもお父さんも心配性だねえ。夢なんか、ただの妄想だよ? 信じちゃったらだめだよ」

「……まあ、爽花がそう言うなら、ただの妄想かもね。だけどもし困ったことがあったら必ず相談するんだよ。一人で抱え込まないで、助けてって電話かけるんだよ。家族なんだからね」

 目の前にいないのに、ぬくもりや安心感などが全身に満たされて自然な笑みがこぼれた。母親の存在は、とてつもなく偉大なのだ。

「わかってる。ありがとう」

 心の底から感謝を告げると、涙がぽろりと頬を伝った。

「ねえ、そういえば、カンナちゃんのお姉ちゃんが子供産んだの知ってる?」

 京花が明るい口調で話を変えてきて、すぐにカンナの喜んでいる姿が蘇った。

「うん。アンナちゃんでしょ。毎日カンナに教えてもらってる。まだ顔は知らないんだけど」

 カンナの実家は遠く、姉と会える時間も少ない。そのため写真撮影はできないらしい。

「この間、電車でバッタリ会ったの。結婚したとは聞いてたけど、子供もいるとはびっくりだったよ。抱っこさせてもらって爽花が産まれた頃を思い出して、じーんとしちゃった。お母さんは難産で、すごく苦しかったんだよ。早く産んであげたいって焦れば焦るほど辛さが強くなって、いつも泣いてたよ。お父さんも会社を休んで、ずーっと手を握っててくれてね。周りにいる妊婦さんからも応援されて、そのおかげかようやく爽花が産まれたの。だから嬉しくて感動して涙が止まらなかったよ。お父さんも一緒に泣いてて、ちょっと笑われてたよ」

 想像するだけで冷や汗が噴出してくる話だ。子供を産むのは本当に大変で、絶対に痛みから逃れられないものだと改めて怖くなった。産んだ後も、子供が立派になるまで死に物狂いで突き進んでいく。この世の中で「お母さん」と呼ばれる女性みんなが通る道だ。カンナは赤ちゃんがほしいと願っているが、爽花は自分一人で精いっぱいなので無理だ。重く高い壁を乗り越えていける覚悟が持てない。

「……次は、血の繋がった赤ちゃんを抱っこしてみたいな……」

 京花の囁きが聞こえて、ぎくりとした。爽花に子供を産んでほしいと考えているのだ。

「は……話って、これで終わり?」

 聞こえなかったフリをして確かめると、「うん」と残念そうな声が返ってきた。想いが届かなかったと項垂れている姿が胸に浮かび、少し申し訳なくなった。

「じゃあ……またね」

「うん。困ったらすぐに相談してね。家族に秘密なんか作っちゃだめだよ。約束だよ」

 しっかりと京花は言い、電話が切れた。

 ただでさえ不安定な心が、さらにゆらゆらと動いていた。いきなりそんなことを言われてもという気持ちだ。だいいち恋人だっていないのに「赤ちゃん産むよ」など答えられるわけない。新しい命の誕生は喜ばしいことなのはわかるが、それを得るためにはいくつもの問題を解決しなければならない。現在は出産についての迷いは消して、京花の柔らかな笑顔を思い出せて嬉しいとだけ感じた。遠く離れていても親子は繋がっているので、あまり気にしないようにと自分に言い聞かせた。

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