二十五話
クリスマス当日に、慧から電話がかかってきた。今夜、会えないかというデートのお誘いだ。「いいよ」と返事をして着ていく服を探した。けれど持っているのは安物で、豪華な慧のとなりにいるのは恥ずかしい。そのため今度は爽花が電話をかけた。
「外じゃなくて、アパートに来てくれないかな」
「えっ? でも」
「お願いだから。アパートで待ってる」
短く答えて、一方的に切ってしまった。
夜の八時頃にインターホンが鳴った。やはり豪華な衣装で慧が立っていた。
「クリスマスツリーもない部屋でのクリスマスになっちゃったね」
ははは、と苦笑してお茶を淹れると、慧は笑わなかった。
「どうしたんだよ? すごく悲し気な顔してるぞ」
「悲し気?」
ぎくりとして緊張の糸が絡みついた。とっさの嘘が作れなかった。
「瑠に、酷いことされたのか?」
手が止まり、無意識に項垂れた。それが頷いたのだと感じたのか、心配そうにもう一度確かめてきた。
「やっぱり。どんなことされたんだよ?」
「あたしが悪いの。買い物の邪魔したり、電車の中で寝ぼけちゃったり。ドジだし馬鹿だし、本当にだめな奴だもんね。嫌われて当然だよ……」
ぽろぽろと涙が溢れた。我慢していた分が一気に流れた。
「嫌われた? あいつに嫌いって言われたのか?」
はっ、と顔を上げた。瑠の口から嫌いという言葉は出ていない。ううん、と首を横に振ると、慧は微笑んだ。
「じゃあ平気だよ。嫌われてないよ」
「でも、ごめんって謝っても黙ってるんだよ? 許してくれてないよ」
付け足したが、慧はさらに明るく笑った。
「あいつは生まれつきダンマリなんだよ。ごめんって伝えても何も答えないから、こっちは振り回されちゃうよな。別に怒ってないよとか話してくれたら安心するのにさ。無視してるって勘違いするけど、全部届いてるから心配しなくて大丈夫だよ」
確かに今まで反応なしや黙ったままが多かった。多いというより、ほとんどがそうだった。双子の弟が言うのだから間違いはないはずだ。
「心配なら、直接聞いてみれば? 怒ってないかって」
「だめだよ。そんな勇気ないよ」
首も手も横に振ると、慧は優しく髪を撫でてくれた。
爽花が落ち着くまで会わないと、慧は帰ってしまった。本当は一緒にいたいのに、爽花のために気遣っているのだ。瑠だけでなく慧にも迷惑をかける自分が、なぜ愛されているのか理解できない。信じられないドジ女で、はっきり言って邪魔な存在なのだ。
嬉しい新年の始まりもいつの間にか終わっていて、カンナから「あけおめ」メールが届いた。実家からも「元気にしてる? 」という年賀状が送られてきたのに、爽花は挨拶をしなかった。明るい気持ちには、とてもなれなかった。
ある日、久しぶりに散歩に出かけてみた。バッグも持たずコートも着ずに、あけましておめでとうの文字を眺めた。みんなは気楽でいいな、と羨ましくなった。当てもなくぶらぶらと進んでいると、誰かの視線を感じた。顔を上げると瑠が立って見つめていた。抜けていた足の力が戻って、後ろを振り向いて全力疾走で逃げた。もちろん女よりも男の方が走りが速いので、簡単に追いつかれてしまった。
「やだやだやだ! 放してよ! 」
じたばたと暴れても掴まれた手は振りほどけない。握る強さも増していく。
「やだじゃねえよ。 お前、何て格好してるんだ」
「えっ?」
体を静止させて、凍り付くほどの空気に全身が震えた。
「さ……寒い寒い寒い……」
「馬鹿じゃねえの? 風邪ひきたいのかよ」
怒りながらマフラーを爽花の首に巻いた。ふわふわのマフラーと瑠の体温が胸にじわじわと広がる。
「別にいいよ」
「いいよじゃねえよ。ちょっとでも暖まるだろ」
口調は尖っているけれど、爽花を心配してくれているのだ。
「外にいても仕方ないから、どこか喫茶店にでも入るか」
しかし爽花はバッグをアパートに置きっぱなしにしている。首を横に振って、はっきりと答えた。
「あたし、バッグ忘れちゃって、お財布ないの。このまま帰るよ。マフラーありがとう」
「違えよ。お前に話があるんだよ」
「話?」
瑠の耳には届かなかったようだ。手首を掴まれて、喫茶店まで引きずられた。
慧と同じく、店内の女性客は瑠に注目していた。「かっこよ過ぎ」「あの子彼女かな? 」というひそひそ声が聞こえてくる。さらに「大学生かな」という言葉もあった。まだ高校一年生と知ったら、みんな驚くだろう。
隅の席に座って、メニューを渡された。困って首を横に振って俯いた。
「いらないよ。慧からたくさん奢ってもらってるのに、瑠にまでお金払わせたくないよ」
「俺だけ飲んでたらおかしいだろ。とりあえず頼めよ」
確かに周りから見たら不自然だが、拳を作って黙りこくった。
「じゃあ俺と一緒にするぞ」
「一緒って?」
勢いよく瑠に視線を移した。やっと真っ直ぐ目を合わせた。
「コーヒーだよ。めちゃくちゃ苦いやつ」
「コーヒー? あたしコーヒー飲めない。紅茶がいい」
答えてから、口を覆った。つられて注文を教えてしまった。そうかと頷いて瑠は店員を呼んだ。店員の女の子はまだ大学一年生くらいで、瑠のかっこよさにうっとりしていた。ご注文を確認しますというセリフも動揺で震えていた。他の店員の元に戻ると、きゃあきゃあと騒いでいた。水無瀬家の双子の魅力は半端ないのだ。
「瑠って、コーヒーが好きなの?」
ふと聞いてみると、頬杖をついて即答した。
「俺は甘いものが嫌いなんだよ。紅茶とか飲んだら死ぬだろうな」
逆に弟の慧は甘いものが好きで、苦いコーヒーは飲めない。とにかくありとあらゆることが正反対だ。
「で、あたしに話があるって、どんな話?」
さっそく本題に入って、作った拳をさらに強くした。ふう、と息を吐いて、瑠は口を開いた。
「俺が怒ってるって、泣いてるんだろ。慧が爽花をいじめるなって文句言ってきたんだ」
「な……泣いてはいないよ。あたしはちょっとしたことで傷つく女じゃない……」
途中で我慢してきた涙が一気に流れ出した。ううっと声が漏れてしまう。
「泣いてるじゃねえか」
「だって、だって……ごめんって謝っても、許してくれないでしょ。うるせえなって……」
ごしごしと手の甲で涙を拭う。爽花から目を逸らして、瑠は呟いた。
「そうだよ。うるせえんだよ。ごめんごめんって、どれだけ謝れば気が済むんだ。俺の顔見たらごめん、俺がしゃべったらごめん。初めて会った時から、必ず俺にごめんって言ってきたよな。お前はごめんしか話せないのか。いい加減、そのごめんっていうのやめろ。謝られるこっちの身にもなれよ」
確かにごめんと謝られて喜ぶ人はいないし、たぶん申し訳なくなるだろう。ごめんと謝る方も全く楽しくない。
「うん、わかった……。やめる……」
涙を拭いながら笑うと、瑠は大きく頷いた。
喫茶店から出ると、寒さがかなり増していた。がくがくと震えている爽花に、瑠はマフラーを巻いた。
「ちょ、ちょっと……」
「ないよりはマシだろ。さすがにコートはだめだけど、マフラーなら別にいいから。暖まっていけよ」
「大丈夫だよ。馬鹿は風邪ひかないって言うでしょ。あたし割と丈夫にできてるんだよ」
けれど瑠は反応なしで歩いて行ってしまった。追いかける気にもなれず、ありがたく貸してもらうことにした。アパートに戻って、素早くクローゼットの奥にしまい込んだ。高級なマフラーを、またドジをして汚したら大変だ。熱いお茶を飲みながら、なぜ貸してくれたのか考えてみた。女が嫌いで、絵しか描かない変な奴と慧は話していたが、実は違う性格なのではないか。普通は、嫌いな人に自分の私物を貸したり、華やかな新年の始まりにわざわざ会おうとは思わないはずだ。まさか爽花を特別扱いしているのだろうか。しかし特別にする理由は不明だ。とりあえず妄想をしても時間がもったいないので、風呂で暖まることに決めた。




