二十四話
特に当てもなく、ぶらぶらと散歩に出かけた。家にこもっていたい寒い季節でも、爽花にとって外を歩く時間は必要だ。久しぶりに街の様子を眺めて、クリスマスを友人と楽しむタイプと恋人と楽しむタイプに分かれているのを知った。友人と楽しむタイプの女の子たちの横を通り過ぎた時に、会話が耳に飛び込んできた。内容は「彼に渡すプレゼントはどうする? 」ということだ。十二月二十七日が誕生日の慧と瑠の姿が蘇り、誕生日プレゼントを贈るべきかと頭に浮かんだ。けれどお金持ちの二人に渡せる高価なものは買えないし、だいいち男子高校生が好きなものもわからない。喜んでもらえたら嬉しいが、ただのゴミ扱いだったら空し過ぎる。立ち止まって腕を組んでいると、視界の端に誰かが映った。振り向くと瑠が大股で歩いていて、少し驚いた。街中に瑠がいてもおかしくはないが、人が大勢いる場所で出会うのは珍しい。走って追いかけて、後ろから声をかけた。
「瑠! ちょっと待って!」
ぴたりと足を止めて、瑠は爽花の顔を見下ろした。
「何だよ。お前かよ」
「お前かよって……酷いよ。どこに行くの?」
ふん、と前を向いて瑠は黙ったまま歩き出した。慌てて腕を掴み、もう一度質問をした。
「買い物? 家に帰るの? どっち?」
にっこりと笑うと、面倒くさそうに呟いた。
「買い物だよ。絵具の買い足し。画材店に行くんだ」
「ほうほう。確かに絵具がなかったら絵が描けないもんね」
爽花を無視して、また歩き始めた。遅れないように爽花も走って追いかけた。
「あたしも一緒に行っていいかな?」
「……好きにしろ。でも途中でくたばっても助けたりしないからな」
くたばるとはどういう意味か。とりあえず実際に体験してみないといけない。
「大丈夫。あたしは強い女だもん」
ぐっと拳を作り、瑠の後ろをついて行った。
冬休みなので電車は混んでいた。満席で立つしかなく、腕を伸ばしても手すりに届かない。大きく揺れた時に転びそうになったが、瑠が支えてくれた。
「あ……ありがと……」
感謝を告げても反応なしで、むっとしたが不満は言わなかった。不安定な状態で二時間半が経ち、息苦しい空間から解放された。
「きつい……」
はあはあと呼吸を整えている爽花を置いて、瑠は歩いて行ってしまう。慣れているらしく平気な顔で、負けじと爽花も力を振り絞った。駅から約三十分のところに広く大きな画材店が建っていた。客も多くて、下手をしたら迷子になりそうだ。自分は酷いドジなのを知っているので、瑠から離れないようにと固く決意した。油彩道具が売られている場所に移動し、たくさんの絵具の種類に驚いた。赤、青、黄、緑ではなく、アリザリンやビリジアンやカーマインなど名前が付けられている。油彩は奥が深いのだと絵具が教えてくれる。これらをうまく混ぜて素晴らしい作品を生み出す画家に憧れた。上達するまで、どれくらいの努力を繰り返したのだろう。瑠もその中の一人なのだ。
「セルリアンブルーって、どこに置いてあるんだろう?」
よく晴れた夏空の色だ。豊富にある青色の棚を眺めて、ついにセルリアンブルーが見つかった。
「ここにセルリアンブルーあったよ」
言いながら、先ほどまでとなりにいたはずの瑠の姿が消えているのに気がついた。きょろきょろと見回してもどこにもいない。
「あ……あれ?」
ぎくりと嫌な予感でいっぱいになった。途中でくたばっても助けたりしないからなという言葉がコダマのように響き渡って全身が震えた。広くて大きい上に初めて来た店なので、帰り道も知らない。
「やだ……どうしよう……」
焦って血の気が引くのを感じた。二度とアパートに戻れないと怖くなって、持っていたバッグを抱き締めた。ただでさえ弱っている爽花に、他の客がぶつかってきて倒れてしまった。
「邪魔だな。なに突っ立ってんだよ」
睨みつけられて、「すみません」と掠れた声で謝った。
もう高校生なのに迷子など恥ずかしいし、ドジな自分に呆れて涙が溢れた。現在瑠はどこにいるのか。爽花を残して電車に乗っているのかもしれない。くたばっても助けてもらえないのだ。不安が襲いかかって床にしゃがみ込んだ。
「だめだ……。もうだめなんだ……」
諦めて俯き、手の甲で涙を拭った。その時、誰かが近づいてくるのがわかった。ゆっくりと顔を上げると、瑠が鋭く睨んで立っていた。
「る……瑠……」
「こっちに来い」
無理矢理腕を引っ張られて、出口まで引きずられた。人がいない廊下の隅で、瑠は大声で怒鳴った。
「勝手にふらふら動くなよ! 本当にお前ドジ女だな!」
「ごめん。ごめんなさい」
瑠の荒い息が聞こえた。ずっと爽花を探していたのだとわかった。
「子供じゃないんだぞ! 高校生なのに、しっかりしろよ!」
「だから、ごめんってば……」
何度も繰り返して頭を下げた。ふと瑠が紙袋を持っていないのが目に入った。
「あれ? 買い物は?」
「どこかの馬鹿女に振り回されてたら、買い物する余裕もねえだろ。もう帰るぞ。次また迷ったら、絶対に探さないからな」
爽花のせいで大事な日を台無しにさせてしまった。無口で外に出る瑠を慌てて追いかけた。
電車は行きよりも空いていて二人とも座れた。アパートに戻れると安心して、いつの間にか眠っていた。二時間半もあるのだから、寝た方がずっと楽だ。揺れて横にいる瑠にもたれかかって、完璧に熟睡した。
「着いたぞ」
囁かれて、うつらうつらしながら目を開けた。
「もうちょっと寝かせてよ……」
「寝ぼけてないで、早く起きろよ」
「えっ?」
やっと電車の中なのだと思い出した。肩に頭を乗せて、全体重を瑠にかけていた。
「あっ、ごめん。寝ちゃった。お……重かったでしょ……。ごめんね」
恥ずかしくて頬が赤くなる。瑠は反応せずに電車から降りて、すたすたと進んでいく。
「待ってよ。もっとゆっくり歩いてよ」
声をかけても視線を向けてこない。大勢の人たちの波に揉まれて改札口を出ると、空はすっかり夜に変わっていた。
「ごめんね。今日は迷惑かけちゃって」
謝ったが瑠は無視して、ただ足だけ動かした。
「いらいらしてるよね? ごめんね。本当にごめん……」
どんどん距離が離れてしまい、急いで走った。はあはあと息が荒く、胸が苦しかった。
「ねえ、ちゃんと答えて」
「うるせえな。もう黙れよ」
ぶっきらぼうな言葉で遮られて立ち止まった。そばにいたくないという想いが、じわりと伝わって寂しい気持ちが溢れた。
結局、何も買えずに、ただ疲れるだけの一日を過ごしたのが残念で、瑠に嫌われたこともショックで駅の前で固まっていた。




