二話
なぜみんな恋愛ばかり考えているのか不明のまま、爽花はいつの間にか高校生になった。しっかりと受験勉強をしたので、第一志望の森羽高校に合格した。割と最近建てられた学校だ。
また、一人暮らしをしたいという願いも叶った。京花は反対していたが、父親の俊彦が自立にちょうどいいと許してくれたのだ。昔から俊彦は爽花に甘く、京花もしぶしぶ首を縦に振った。狭いし安いし駅から遠い小さいアパートだが、爽花にとってはお城のようだ。近所の人たちも親切で、特に問題はなかった。
入学式の日に、希望に満ちた心で通学路を歩いていると、辻本カンナの後ろ姿が見えた。カンナとは中学一年生からの大親友で、どんな秘密も話せる関係だ。
「カンナ、おはよう」
背中から呼ぶとカンナはすぐに振り返った。爽花と同じく、きらきらと輝く瞳だ。
「おはよう。今日から私たち高校生だね」
「ね! しかも二人とも合格できたとかびっくり」
「ほんとほんと。高校でもよろしくね」
「こちらこそ」
喜びで油断してしまい、足元の石につまずいた。うわっと地面に倒れるすんででカンナが支えてくれた。
「大丈夫? 爽花ってドジっ子だよねえ。まあ、子供みたいで和むけど。中学でも『ドジっ子爽花』って呼ばれてたくらいだもんね。砂糖と塩間違える人とか漫画にしかいないと思ってたよ。爽花のドジっぷりには、みんなびっくりしてたよね。いい思い出だなあ……」
「う、うるさいな。初めての革靴なんだからしょうがないじゃん。子供扱いしないでよ」
むきになって答えると、カンナは柔らかく笑った。悪気や嫌がらせではないのだという笑みだ。
「一人暮らしなんて、よくオーケーしてもらえたよね。困ったことがあったら必ず助けに行くからね」
いつもカンナには世話になっている。「わかってるよ」と素直に頷き、お互いに手を握り締めて桜が舞う道を進んだ。
中学の制服は地味だったが、森羽高校は制服がとても可愛い。おしゃれなデザインに身を包んでいるだけで笑顔になれる。メイクも当たり前のようにできるし、放課後に買い物をしたりカラオケで夜遅くまで歌いまくったりと、自由な時間が増えるのが嬉しくて堪らない。これからどんな日々を送るのかわくわくしながら、退屈な校長の無駄に長い挨拶を聞いた。
しかし残念ながら、カンナとの教室は離れてしまった。爽花が一組カンナは五組と、かなり距離がある。休み時間に会えばいいが、クラスも一緒だともっとよかった。
入学式の帰り道の途中で、カンナが上目遣いで話しかけてきた。
「彼氏できるかな? できたらいいよね。森羽高校の男子はレベル高いって噂だし、期待しちゃうよね」
爽花は少しむっと気分が悪くなったが、首を傾げて答えた。
「どうだろ? 三年あるから、もしかしたらできるかもね」
「爽花はどう? 爽花も彼氏ほしい? ずっと恋なんかしないって言ってるけど、やっぱり高校生なんだからほしいよね?」
また気分が悪くなる。はあ、とため息を吐いて足を止めた。
「ほしくないよ。高校生になろうが大学生になろうが、あたしは恋愛なんかしないよ。だいいち魅力ゼロでしょ」
カンナはぐっと爽花の腕を掴み、困った表情で呟いた。
「私、爽花が好きな男の子と付き合ってるところ見たいよ」
「あたしが、かっこいい男にメロメロになって、タコみたいに照れてるところ?」
「そうじゃないよ。爽花に幸せになってもらいたいだけ。冷やかそうなんて考えてない」
親友が彼氏なしだと何となくイメージがよくないのかもしれない。けれど一度決意した想いは簡単にはブレなかった。
「心配してくれてありがと。あたしはあたしの生き方をするから、カンナはカンナの生き方をすればいいよ。嫉妬とか羨ましいとか馬鹿な真似は絶対にしない」
ぽんぽんとカンナの頭を軽く叩いたが、カンナは黙って俯いたままだった。
クラスメイトとは、すぐに仲良くなった。もともと爽花は友だち作りが得意だったので、仲間外れにされたりいじめられたりという経験はなかった。いろいろなおしゃべりをして遊んで、勉強も家事もだんだん慣れてきた。まさしく順風満帆な毎日だった。
「爽花って、彼氏いらないの?」
恋愛をしたくないと話すといつも驚かれ、逆に爽花も不思議な気持ちになった。
「みんなは欲しいの?」
「そりゃあねえ……。せっかくの青春だし」
「もったいないよ。森羽って、イケメン多いんだよ。好きな人と青春の思い出残したいじゃない」
青春青春と簡単に言うが、本当の意味を知っているのだろうか。ドラマなどでたまたま聞いただけで、実際はどういったものなのかわかっているのか。
「でもさあ、いきなり別れるなんて裏切られたらショックじゃん。好きな子ができたから、もうお前はいらないって捨てられたらどんな気になる? 今まで無理してでもお付き合いしてきたのに全部水の泡だよ? あたしの時間返せって恨まない? あたしはそうやって相手に振り回されたくないの。たった一つの人生を他人に台無しにされたら後悔するよ」
「それはそうだけどさ……。独りぼっちなんて辛くならない? 自分だけ取り残されてるって寂しくならないかな?」
苦笑しながら友人の一人が聞いたが、ううん、と大きく首を横に振った。
「全然。大抵失敗して損するって知ってるし。ずっと同じ人と付き合っていくのは、ほんの一握りだよ」
触らぬ神に祟りなし。始めから恋愛と無関係でいれば、一喜一憂などしない。この想いは誰がどう言おうと変わりはしない。
「あたしのことは放っておいて。独りでいるのが幸せなの」
ひらひらと手を振ってその場から離れた。これ以上語る言葉もなかった。
トイレに行き、洗面所の鏡で自分の姿をまじまじと眺めた。今どんな表情をしているのか確かめたかった。
「……彼氏なんかいらない。いなくても死んだりしないもん……。彼氏がいない方が、あたしには合ってるんだ……」
無意識に独り言が漏れた。他人と違っていても別に気にしないと言い聞かせた。取り残されていると感じて落ち込んだら馬鹿みたいだ。
そういえば、京花が「爽花が男の子と仲良くしていると嬉しい」と話していたのを思い出した。けれどその願いは叶わない。どんな母親も娘が恋をしていたら喜ぶし応援するはずだ。京花はその喜びを味わえないので可哀想な母親だ。
ぱんぱんっと両手で頬を叩き深呼吸をして心を元気にしてから教室へ戻った。先ほどの女の子たちはもうバラバラに散っていた。
こうして無事に日々が続いていくと、その時はまだ信じていた。