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十七話

 翌日から、放課後にこっそりとアトリエに通うようになった。まだ途中であれほど綺麗なのだから、完成したらもっと素敵な作品に仕上がっているはずだ。ドアを開いて覗くと、瑠の背中が見えた。しなやかな指で、丁寧にキャンバスに色を塗っていく。時々立ち上がったり眺めたり、素人の爽花にとってハテナなことをしている。

「だんだんよくなってきてるね」

 声をかけると、すぐに視線を向けてきた。

「話しかけるなよ。集中してるんだから」

「褒めてるのに。ずいぶんと不快な気にさせるね」

 むっと睨んで言い返したが、効果はなかった。

「それはこっちのセリフだ。用がないなら出てけよ」

 またハエをはらうように手を振ったが、負けじと爽花はキャンバスに近付いた。

「絵は綺麗なのに、描いてる人は汚れてるのね。この薔薇みたいに美しくなりなさいよ」

「偉そうだな。だいたいお前は絵に興味あるのか」

 はっきり言って、爽花は油彩に興味はほとんどなかった。けれどなぜか惹きつけられる感じがするのだ。

「うーん……。そんなにはないけど……。関係ないじゃん」

 答えてみたが瑠は反応しなかった。自分だけの世界に入って、また絵画を始めた。

 瑠との距離が遠くなる代わりに、慧との距離が縮んだ。平日でも休み時間になると必ず一組に来た。

「あたし、勉強で忙しいの」

「なら俺が家庭教師してあげるよ。数学でも英語でも」

「あのね、何度言っても、あたしは」

「恋人は必要ないんだろ。俺は、そういう爽花が好きなんだ」

 そういう爽花とはどういう意味だろう。ふいに慧は爽花の手のひらを自分の胸に当てた。広く固い胸に、鼓動が加速する。

「どきどきしてるの、わかる? 爽花がそばにいるだけで、俺はすごくどきどきするんだ。爽花もどきどきする?」

 甘い口調にとろけそうになった。答えが見つからず逃げたいのに、強く握られているため身動きできない。

「は……放してよ……」

「ちゃんと教えてほしいんだよ。爽花の気持ち、はっきりと聞かせてくれ」

 慧のことは嫌いではない。かといって好きだと伝えたら恋人同士になってもいいと認めることになる。

「まだ言えないよ……」

 正直に呟くと、慧は残念そうに笑った。掴んでいた手も放してくれた。

 まさか高校生活がこんなものになるとは夢にも思っていなかった。完全に恋愛とも男とも避けて、独りきりのまま過ごすつもりだった。しかも相手は王子様みたいに魅力たっぷりの美男子だ。一歩間違えれば簡単に落とされる手強い男だ。しっかりと決意を心に念じていなくてはだめだ。

 そんなある日の放課後に、誘われるようにアトリエに走った。珍しくドアが開いていて、瑠の姿もない。静かに中に入り、以前より華やかな薔薇を眺めた。

「けっこう進んでるなあ……」

 独り言を呟き、ふと足元に視線を移して心臓が跳ねた。床に敷いた絨毯の上で瑠が眠っていた。とても気持ちよさそうに柔らかい表情で別人みたいだ。双子なので慧とそっくりなのは当然だが、瑠の方が男らしく感じる。慧は派手だしおしゃれなのに対し瑠は地味で適当だ。制服もネクタイやボタンを外して腕をめくっていたりして着崩している。絵を描く時に邪魔なのだろう。双子の兄は絵が上手、弟は字が上手。二人を産んだ母親にどういう育て方をしたのか聞いてみたくなった。姿形が日本人離れしているので、違う国の血が混じっているはずだ。フランス出身なので、フランス人の血かもしれない。

 妄想していると、いつの間にか瑠が眠りから覚めていた。じろりと睨み、腕を掴まれてしまった。

「ご、ごめん。帰るから」

 寝顔がバレてしまったし女が嫌いなため、不機嫌なのは明らかだ。掴む力は強く、睨みつける目も鋭くなった。

「お願いだから……」

「慧に追いかけられてるんだろ」

「えっ?」

 頭が真っ白になった。瑠の口から慧の名前が出てくるとは思っていなかった。

「どうしてそのこと……」

「弟なんだから耳に入るだろ。恋人なんかいらないって決めてるんだな」

 爽花の意思も伝わっているのか。こくりと頷いて、小声で答えた。

「そうなの。あたしは恋愛なんかしたくないの。彼氏なんかいなくても死ぬわけじゃないし、独りでいる方が合ってるの」 

 情けなく俯き、はあ……とため息を吐いた。

「ここに来れば?」

 突然、瑠が呟いた。はっと勢いよく顔を上げた。

「慧は、俺と一緒にいたくないからアトリエには近寄らないんだ。俺も禁止してるしな。困ってるならここに来ればいいだろ」

 まさかの一言に驚きが隠せなかった。また頭が真っ白になった。

「でも、他人がアトリエに入るのは嫌なんでしょ。あたしは邪魔扱いされてるし」

 ふん、と瑠は横を向いて、机に置かれているスケッチブックなどを片し始めた。

「……自分勝手なことしなければ、別に気にしねえよ」

 態度は冷たいが、爽花を想ってくれているのだ。動揺しながらも深くお辞儀をした。

「ありがとう。勝手なことは一切しない。これからお世話になります」

 笑顔で感謝を告げたけれど、瑠は黙っていた。



「何で、慧は女好きなのかな?」

 独り言を漏らし、アトリエの天井を眺めた。すぐに瑠は目を向けてきた。

「あいつは女好きじゃねえよ。お前がそういう性格だから、女好きみたいになってるってだけだ。これまで付き合ってきた女は、手を握ったくらいで簡単に落ちるんだ。最初はそういう付き合い方でもよかったんだけど、だんだん飽きてきたんだよ。ちょっとやそっとじゃ落ちない女が欲しい。恋人なんかいらないっていう奴を彼女にしたいって探してたんだ。そしてお前が現れたんだから、自分のものにしたいって考えるのは当たり前だろ。お前が逃げれば逃げるほど、あいつは本気になるぞ」

 つまり悪いのは爽花だという意味だ。慧が本気になったらどうなるのか想像できないので、とりあえず心を強く持っていようと改めて感じた。

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