一三二話
「そろそろかな」
腕時計を見下ろし瑠は呟いた。帰って来るとはいえ六年もかかるのだから、無意識に俯いてしまう。見せたくなかったが涙が溢れこぼれ落ちた。
「どうして泣いてんだよ。あいつがそばにいれば平気だろ」
「だけど……こんなに遠い遠距離恋愛なんて……。しかも初恋……」
普通のカップルだったら、毎日デートしたりおしゃべりをしたりできるのに、六年も離れ離れだし住む国が異なるため余計距離が長い。
「ちゃんと帰って来るって。俺だってお前と会えないんだぞ」
おまけに瑠はそばにいる人もいない。また孤独の日々が続く。
「わかってる……。あっ、これ」
イチジクの作った花束に気づき、もう一度差し出した。素直に瑠は受け取り、美しさや豪華さに見惚れて柔らかく囁いた。
「イチジクさんに、俺が感動してたって伝えてくれるか」
「うん。イチジクさんも瑠を応援してるからね。大学生になっても、あたしはイチジクさんのお屋敷に行くつもり」
「そうだな。それがいい」
イチジクの笑顔が見たい。再会できると聞いたら、心の底から喜ぶだろう。
「しばらくはさよならだ。でも絶対会えるから信じてろよ」
「ずっと待ってるよ。絵の勉強頑張ってね。あたしも立派な女になれるよう努力する」
しっかりと言い切り、瑠はくるりと後ろを振り返って歩いて行った。切ない想いで、その背中が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
瑠を乗せた飛行機は、セルリアンブルーの空に消えていった。とても清々しく爽やかで、瑠が描いた絵みたいだとうっとりとした。
「……さよなら……」
独り言を漏らし、爽花も空港から出た。一時間ほどかけて学校に着くと、校門の前で慧が立っていた。卒業証書が入った紺の筒を二つ持っている。
「おかえり。花束渡せたんだね」
「うん。瑠もあたしを愛してるって伝えてくれたよ」
「そうか。やっぱり予想大当たりだったんだね。これ、爽花の卒業証書」
「ごめんね。最後の最後まで迷惑かけて……」
「いいんだよ。俺は爽花を」
そこまで言って口を閉じ、言い直した。
「爽花を護るのは瑠の方か」
少し悔しいという響きがあったが、はははと苦笑して誤魔化していた。爽花も柔らかく微笑み、もう一度口を開いた。
「瑠ね、日本に帰って来るって」
「えっ?」
「六年くらいかかるけど、必ず日本に帰って来るって。二十四歳になったら、あたし結婚できるのかな?」
期待で胸が躍った。瑠と結婚すれば慧とも繋がれる。家族になれる。
「そうか。ちゃんと帰って来るんだ。嫌な奴だけど双子の兄だし、爽花が傷付かないから安心だよ」
「でね、お願いがあるの。瑠と仲良くなってほしい。産まれた子供に喧嘩なんか見せたくないし、あたしも辛いから仲良しになってほしいの」
父親と叔父が睨み合っているなど可哀想だ。意外だったのか少し驚いた表情で慧は答えた。
「確かにその方がいいね。あいつには勝てないって完全に知ったし、あいつも優しくなってるかもしれない。何とか仲直りしてみるよ」
「ありがとう」
これで瑠がアリアを母親と認めたら全員の夢が叶う。爽花を愛せるなら、育ててはいないが必死に産んでくれたアリアも愛せる。
「それからもう一つ。フランス語教えてほしいの。将来フランスに住むかもしれないでしょ?」
というか、二人が幼い頃に過ごした国を知りたい。フランスはとても魅力に溢れている。
「昔はフランス語なんか興味なかったのにね」
「そうだっけ?」
「俺がフランス語の本読んでて、爽花もフランス語の勉強してみるかって聞いたの、覚えてないか?」
ぐるぐると記憶を遡ってみたが真っ白で何も浮かばない。
「さすがに覚えてないよ。……瑠がフランスで絵を学ぶなら、あたしは日本でフランス語を学ばなくちゃ」
その時、何もない場所で転んでしまった。三年間履き続けた革靴なのに、まだドジなのだ。からかう声がすかさず飛んできた。
「果たして爽花はフランス語を修得できるかな?」
「ば……馬鹿にしないでよ」
むっとすると慧は手を差し伸べて起こしてくれた。
「慧は教え方が上手だから、きっとフランス語も話せるようになるよ」
「そうだね。二人で頑張ろう」
ははは、と軽く笑い、爽花も自然に笑顔に変わった。
この先、未来がどう動くのか、どんな出来事があるのか誰にもわからない。ただ一つ明らかなのは、恋愛は苦しいものではなく楽しいものだということだ。愛し合う二人の元にやって来るのは拾う神。触らぬ神に祟りなしと決めて逃げてはいけない。悩みや迷いは多いが、その壁を乗り越えた後の清々しさは半端なく心地いい。三人の幸せを祈るかのように、セルリアンブルーの空はどこまでも広がっていた。
読了、ありがとうございます。
こんなに長い話を飽きっぽい私が書けるなんて、正直驚いています。
でも、長ければ長いほど書くのが楽しくなりますね!
今回は、薔薇や油彩など少し大人っぽいイメージで書いてみました。
また、私が全然描けなかったため、「油絵の上手なキャラ」が書けてよかったなあと思っています。
きちんと最後まで終わらせることが何より嬉しいです。
直したい点や書き加えたい点もいろいろとありますが、とりあえずこれで完結です!
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。