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一一〇話

 朝早くに昇降口で慧を見つけると、後ろから声をかけた。

「慧、ちょっと」

「あっ、爽花、おはよう」

「おはようじゃないよ。こっちに来て」

 他の生徒に聞かれたくないため、腕を掴んで廊下の端に移動した。

「どうしたんだ?」

「とぼけないでよ。瑠のスケッチブック、墨で真っ黒にしたでしょ」

 途端に慧の目つきが鋭くなった。

「それがどうしたのか?」

「どうして塗ったの? 瑠が嫌いだから? 瑠が傷付いて落ち込んでる姿を見て、いい気味って笑いたいから?」

 負けじと爽花も睨んだ。慧を睨んだのは初めてだ。

「別に。あんなのまた描けるだろ。あいつは油絵でできてる奴だし」

「勘違いしてるよ。あの鉛筆画を描いたのは瑠じゃなくて先生なんだよ」

「えっ」

 驚いて慧は目を丸くした。身を乗り出して爽花は続けた。

「まさか知らなかったの? あれは亡くなった先生が描いたスケッチブックなんだよ。すでに先生は亡くなったから、塗りつぶされたら元に戻らないの。たった一つの瑠の生きがいをどうして壊したの?」

 慧の顔色が青白くなっていた。全く知らないまま塗りつぶしたらしい。

「そんなの聞いてない……」

「ショック受けるなら最初から嫌がらせしなきゃよかったんだよ。慧はあたしだけじゃなくて瑠の宝物も平気で壊すんだね」

 欲しいから、奪われたくないからといって、相手の持ち物まで消す必要はない。どちらかというと先生のスケッチブックを塗りつぶしたのではなく、爽花に非難されたことにショックを受けているようだ。

「慧はわがまますぎるよ。勝手に行動して失敗してからごめんって謝っても遅いの。スケッチブックを真っ黒にされて瑠本当に辛そうだったよ。いくら何でもスケッチブックを塗るのはいけないよ」

「うるさいな」

 反撃するように言い返してきた。爽花の両肩を掴み、じろりと覗き込む。

「爽花はあいつの話ばっかりするよな。俺が目の前にいてもあいつに気を遣ってる。どうしてあんな奴の心配なんかするんだよ。放っておけばいいのに。暗くてダンマリでとっつきにくい性格で面白くないだろ」

 ぶんぶんと首を横に振って、爽花も答えた。

「瑠にも思いやりや優しさがあるんだよ。慧は瑠の悪い部分しか見てないんだよ。もっと瑠には魅力があって、きらきら輝く権利もあるの。ほったらかしにされる理由も白い目を向けられる理由も一つもない。瑠じゃなくて周りの人たちがおかしいの。このまま孤独にさせちゃだめ。瑠はもっと愛されなきゃ……」

 慧に口を塞がれ、言葉が途切れた。慧は疑う詮索魔に豹変していた。

「瑠の名前なんか聞きたくない。爽花の口からあいつの名前が出るとイライラする。護ろうとしても助けようとしても、あいつは爽花に興味ゼロだろ。今まであいつから、ありがとうや嬉しいって言われたか? 言われてないだろ。あいつはそういう奴なんだ。瑠のために努力したって意味がないんだ。無駄な時間を作るだけでもったいないって思わないか?」

 まくし立てられて固まってしまった。確かに一度も感謝されたことはない。逆にしつこいやくだらないおしゃべりなど、邪魔扱いされている。話も聞いてもらえずアパートに帰る日も多い。しかしそれでも爽花にとっては癒しであり心地よく感じる。手を外され、爽花も呟いた。

「そりゃあ、ありがとうとか嬉しいとかはないよ。瑠がそんなこと言ったらびっくりだもん。だけどそれはしょうがないって割り切ってるの」

 瑠と慧が正反対なのはすでに知っている。優しく微笑む瑠は、きっといつまで経っても見られない。だが最初から諦めれば不満にならずに済む。友人になりたいと期待もしていない。三年間も一緒にいたのに未だに関係は同じで変わっていないのだから無理だ。無理でも爽花は瑠のそばにいようと決めている。とにかく瑠は癒しで離れたくない存在だからだ。

「ふうん。でも俺はすぐにやめるべきだと思うけどな。もっと楽しい高校生活を送ればよかったなって後悔するに違いないよ。もう一度高校生をやり直したいって願っても叶わないんだよ? 爽花は後悔しても構わないのか?」

 たった一度きりの人生を台無しにはしたくない。幼い頃から、人生をもったいなく終わらせるのは嫌だった。慧の言うことも痛いほど伝わる。普通なら、慧に告白された時点で彼女になるのを選ぶだろう。王子様に心から愛され可愛がられているなら恋人になりたいと考えるのが当然だ。しかし爽花には瑠がいる。瑠の綺麗な絵に惹かれ、素晴らしい作品を生み出す瑠の正体を暴きたいという目標が生まれてしまった。謎だらけで秘密で有り余る瑠の本心を探りたい。

「爽花、聞いてるのか?」

 肩を揺すられて我に返った。これ以上の会話は続けられないと走って逃げてしまった。

 授業中も慧の凍った声が耳の奥に響いた。暗くてダンマリでとっつきにくい性格で面白くない。放っておけばいいのに。瑠のために努力したって意味がないんだ。もっと楽しい高校生活を送ればよかった。もう一度高校生をやり直したいと願っても叶わない……。どの言葉も爽花の胸に突き刺さる。

「あたしは間違ってるのかな……」

 テスト中なのに独り言を漏らし、クラスメイト全員から注目され恥ずかしかった。

 放課後、アトリエに向かいドアを開いた。瑠はキャンバスに色を塗り、ほっと安心した。また沈んでいる状態だったらと不安だった。机の上には墨で塗られたスケッチブックが置かれていた。そっと手に取って中をめくってみたが、やはり白い部分はない。

「何回確認したってしょうがないぞ」

「うん……。だけど夢だったらいいなって思って……」

「夢ね。そういや俺は夢って見たことねえな」

「えっ? そうなの?」

 意外な事実に驚いた。スケッチブックを机に戻し、瑠のとなりに座った。

「まあ、夢なんか毎日出てくるわけではないし、全然夢を見ない体質の人もいっぱいいるもんね」

「そっちの夢じゃねえよ。将来の夢の方。俺は現実の夢も見たことがない。見たってそうなるかわかんねえし、あやふやでぼやけてるしな。まさに神のみぞ知るだな」

 ふと「捨てる神あれば拾う神あり」が蘇った。この世には捨てる神より拾う神の方がたくさんいる。だからくよくよする心配はない。どこかの誰かが自分を助けて護ってくれる。爽花も瑠も慧も、そういう存在はいる。

「あたしも将来の夢見てないよ。どんな大人になってどんな暮らしをしているかわからないよ。あたしたちっていろいろとそっくりだね。外じゃなくて中で共通してるんだよね」

 好きな物や考え方が一緒なのが不思議で堪らなかった。何か答えるかと予想していたが瑠は黙って手を動かした。仕方なく爽花もアパートに帰った。




「あたしの夢って何だろう……」

 風呂からあがりベッドにごろんと寝っ転がった。自分の人生は自分で作るものだ。幸せになる道を歩むか不幸になる道を歩むかも自分で選ぶ。母親の京花に相談はできない。たとえ血が繋がっていても、最後は自分で決めるのだから。他人の意見は単なるアドバイスにしかならず、はっきりと答えは出せない。爽花が幸せを掴むにはどうすればいいのか。生きていれば誰にでもぶち当たる大きな壁だ。これをクリアすると、もっと愛に満ちた未来が手に入る。瑠も孤独から抜け出して明るくなれる。

「瑠もきらきらに輝かせなくちゃ。慧よりもずっと」

 想像していたが急に睡魔に襲われて眠っていた。悩みや迷いから逃れるには現実逃避しかない。久しぶりに熟睡し、心の疲れをとった。



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