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一〇七話

「爽花? 熱があるんじゃないのか?」

 慧に覗き込まれ、はっと我に返った。首を横に振って即答した。

「熱なんかないよ。大丈夫」

「それならいいけど」

 ほっと安心したように慧は微笑んだ。瑠と慧は双子でそっくりなため、一緒にいると必ず頭の隅に瑠の姿が浮かぶ。それを隠そうと焦り、冷や汗が流れる。

「ねえ、慧は、あたしをどんな女の子に見てるの?」

 ふと気になって聞いてみた。予想通り「好きな女の子だよ」と返してきた。

「どうしていちいち聞くんだ?」

「だって好きだって言われると嬉しいでしょ。しかも慧に言われるなんて最高だよ」

「そっか。俺も爽花が喜んでくれると嬉しい。爽花は俺の癒しなんだ」

 あたしも、と答えようとしたのに口が動かなかった。あたしも慧に愛されて癒されていると伝えたかったのに、無意識に拒んだ。慧にそう言ってしまったら後戻りできなくなる予感がした。

「可愛い爽花を誰にも取られたくない。爽花が誰かに奪われたら、俺生きていけないよ」

「大袈裟だなあ。生きていけないなんて」

「大袈裟じゃないよ。本当に爽花が欲しいんだ」

 慧の言う誰かが瑠なのはわかっていた。ライバルで大嫌いな瑠に最愛の爽花を奪われたくない。自分の恋人にしたい。そのためには、たとえ爽花の宝物であっても邪魔なら壊す。決して爽花と瑠が触れ合わないように引き裂き、爽花を束縛し瑠を檻に閉じ込める。だが慧の立ち入れない場所で、確かに爽花と瑠は距離を縮めている。爽花がそう感じるだけで瑠は完全に興味を示していないが、となりに座ることは許されている。

「そうだ。また図書館で勉強しないか? 一人より二人の方が捗るだろ」

「うん。慧が家庭教師になってくれるから安心するよ」

「帰りにお茶飲もう。爽花の好きな喫茶店でいいよ」

「ありがとう。慧って本当に優しいね」

 爽花のためならどんなこともする。爽花を助けて護る存在でありたい。惚れている証だとひしひしと伝わる。爽花が嘘をついたり誤魔化したりしなければ素敵な王子様だ。穏やかなら爽花も怖くないし辟易もしない。最近はなるべく傷つかないように、お互いに気遣っている。日時や待ち合わせ場所を慧が決めて、もう一度「ありがとう」と感謝を告げた。しかし慧の姿が消えてから、罪悪感で胸がいっぱいになった。慧とこうしておしゃべりしていても、どきどきしなくなっていた。以前はデートに誘われるとわくわくと心が弾んだのに、今は面倒くさくなっている。それよりも瑠のとなりに座って絵を見ている方が楽しい。無表情でダンマリで声をかけても無視されるのに、それで充分だと思っている。瑠が爽花の手に触れた日からずっとこんな状態だ。爽花が喜ぶように頑張っている慧に申し訳なく、自己嫌悪に陥りそうになる。慧に向けている笑顔が仮面みたいで、いつからこうなったのかわからない。慧は大好きだし大事な人だ。たくさん世話になっているし迷惑もかけているのにイラつかず「いいんだよ」と許してくれる王子様なのだ。彼氏が欲しい女子に知られたら殴られそうだ。もし慧も絵を描ける人だったらと想像してみた。アトリエの中で二人きりで笑い合い、幸せなひとときを過ごせる。けれどいつしか飽きて、アトリエに行くのが苦痛になるだろう。おしゃべりもかったるく、嫌気が差してしまう。つまり絵ではなく付き合い方が関係しているのだ。慧の前では女の子らしく立派な彼女でいなくてはならない。けっして慧の顔に泥を塗るようなドジや失敗をしてはいけない。無理をしてでも立派な人間を演じなくてはいけない。美しく非の打ちどころがない慧に恥をかかせてはいけないのだ。爽花はそんな難しい役をするのは不可能だ。きっとどこかで周りから呆れられる行為を起こす。そして絶対に慧に責められる。怒鳴られはしないだろうが、不満はぶつけるに違いない。苦しみとストレスで爽花は破裂しかける。その点、瑠は爽花がどんなヘマをしても気にせずマイペースに絵を描いている。アトリエは他人は立ち入り禁止なため、いくらでもドジを踏んでも叱られない。感情の起伏もないのでいちいち口出ししない。素の爽花でいられる。無理に演じなくてもいいので、ストレスも溜まらず自由に動ける。もちろん迷惑をかけたりしつこくすると睨まれるが、じっと座っているならそばにいられる。暗くてとっつきにくくてダンマリな男子など普通は嫌がられるが、爽花にとって瑠はちょうどいい。綺麗な絵と誰にも邪魔されないアトリエ。全てが爽花の心も体も洗ってくれる。ただしこれはバレてはいけない秘密で、こっそりと隠れながらでしか許されない。毎日アトリエには行けず、慧とデートの約束をしたら潰されてしまう。その上瑠が学校を休んだら、アトリエに行っても油彩道具がぽつんと置かれているだけで、結局アパートに帰るしかない。まさに貴重な時間といえる。この貴重な時間を失くしてはいけない。ストレスでパンパンに膨れた胸を落ち着かせるのはここだけだ。




 翌日の放課後、アトリエに向かうと瑠が絵画の準備をしていた。来たばかりのようだ。

「あっ、瑠、いてくれてよかった……」

 ほっと呟くと、瑠は道具を並べながらぶっきらぼうに話した。

「今週の土曜日に、あいつとデートらしいな」

「えっ? どうして知ってるの?」

「同じ家に住んでるんだから、耳に入るんだよ」

 そうか、とすぐに頷いた。そういえば瑠と慧は血の繋がった家族だ。たぶん慧はアリアに爽花とどこへ行くのか、どんなことをするのか話しているだろう。アリアも爽花を愛しているから、聞きながら喜んでいるはずだ。可愛い息子と可愛い娘が仲睦まじくしていて嫌な想いになる母親はいない。

「まあね。デートというより勉強がメインだけど。慧は教え方が上手で、とても助かるんだ」

「ふうん……。そりゃよかったな」

 抑揚のない声に、むっとしてしまった。

「よかったなじゃなくて、瑠も人と仲良くしなきゃ。別に助けるとか護るとか考えないで、単純に孤独っていう生活をやめるんだよ。もう先生は亡くなったんだから、次に愛してくれる人を探すべきだよ。先生だって奥さんが亡くなって、愛してくれる人を探して瑠に出会ったんだよ。いつまでもネガティブになってちゃ幸せになれないよ」

 過去は変えられない。どんなに願っても消えてなくなりたい地獄は記憶に残る。だからこそ他人と関わる必要がある。先生との楽しいひとときをたまに思い出し、現在繋がっている恋人と愛し合えば、瑠は真っ直ぐ歩いて行ける。なぜ立ち上がろうとしないのだ。恋愛は一つだけではないとカンナが教えてくれた。

「……ずいぶんと偉そうな態度だな」

「だって瑠は大間違いしてるんだもん。人は誰かの愛を受け取らないと生きていけないんだよ。今、瑠を愛してくれる人はいる? いないでしょ。もっと前向きに考えなきゃだめだよ」

 爽花の言葉を瑠は一切信用しない。なにおかしなことを言っているのだと馬鹿にして終わりだ。その日も瑠が黙って絵を描き始めて、残念な想いで爽花も帰った。

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