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一〇五話

 特別な力がわからない。瑠がすぐに答えてくれるかもわからない。けれどじっともしていられずアトリエに向かった。しかし途中で慧が近づいてきた。

「どこに行くんだ? 昇降口はあっちだぞ」

「あたし……調べ物があって……」

「なら俺も手伝うよ。二人でやった方が捗るじゃないか」

「大丈夫。一人で充分だから」

 途端に慧の目が半信半疑になった。鋭い眼力にぎくりと冷や汗が流れた。

「調べ物じゃなくて、隠しごとがあるのか?」

「違うよ。隠してることなんかないもん」

「本当かな。瑠と二人でこそこそ何かしてるんだろ」

 体が震えそうになるのを抑え、掠れる声で答えた。

「何もしてないよ。ただ調べたいことが……」

 ぎりっと手を掴まれ、ぎゅっと目を閉じた。

「痛い。放して」

「正直に答えるまで放さないよ。ほら、早く教えてくれ」

 力が強く振り払えない。男子の方が力があるのだから当たり前だ。

「さっさと答えないと夜になっちゃうよ。爽花、お願いだから」

「やめてください!」

 突然遠くから声が飛んできた。はっと視線を移すと、以前カッター切り裂きをしようとしたいじめのリーダーが駆け寄ってきた。

「水無瀬様、新井さんに酷いことしないでください。新井さんに惚れてるんでしょ? 好きな子を傷付けて嬉しいんですか?」

 爽花と慧の手を勢いよく引き離し、慧を睨みつけた。

「惚れている子を傷つけるなんて、彼氏失格ですよ。最低な行為です。水無瀬様がそんな酷い人だなんて私もショックです。水無瀬様は優しくて穏やかな王子様じゃなかったんですか?」

 軽蔑する響きも感じられた。爽花も慧も驚き言葉を失っていた。

「女の子には男の子には知られたくない秘密がたくさんあるんです。水無瀬様だって一つは秘密あるでしょ? さっさと帰ってください。汚い水無瀬様なんか見たくありませんから」

 わけがわからないという表情で慧は後ずさり、逃げるように立ち去った。ふう、とリーダーは息を吐き、心配そうに爽花を見つめた。

「怪我してない?」

「してないけど……。どうして……」

 えへへ、とリーダーは笑い即答した。

「水無瀬様と別れていじめをやめたの。水無瀬様を奪われて悔しかったけど、きっとこれは罰なんだなって思って。これからは逆にいじめられてたら助けようって決めたら、昔よりずっと楽しくなったの。新井さんに会わなかったら、まだいじめ続けてたよ」

「そ……そうなの?」

「うん。全部新井さんのおかげ。ものすごく感謝してる。友だちもたくさん増えたし、どうしていじめなんかしてたんだろって反省してるんだ。もしまた困ったことがあったら私を呼んでね」

 衝撃でどきどきしたが、爽花も自然に笑顔になった。

「ありがとう。あたしも感謝してる」

「新井さんにそう言ってもらえると嬉しいな。……じゃあ私帰るね」

「うん。気を付けてね」

 はっきりと伝えると、リーダーは微笑んで頷き、くるりと後ろを向いた。

「……人って変わるものなんだなあ……」

 しみじみと胸が暖かくなった。まさかいじめられた子に助けてもらうとは。爽花のおかげと話したが、一番はリーダーの心の強さだ。変わりたいと思っても簡単ではなく努力が必要で、それをクリアしてリーダーは幸せを掴んだ。こんな風に瑠も変わればいいのに。

 いろいろと想像しながらアトリエに辿り着いた。ドアを開けると瑠の姿はなく、油彩道具がぽつんと置かれていた。イーゼルには描きかけのキャンバスが乗っている。

「休みか……。しょうがない……」

 もやもやして堪らないが、とりあえずリーダーの優しい笑顔が見れてよかった。

 翌日は朝から慧がしつこくつきまとってアトリエに行く余裕がなかった。「昨日はごめん」「もうあんな酷いことはしない」「疑ったりして悪かった」「信じてあげなくて俺って最低だよな」と何回聞かせるのかと辟易した。もちろん嫌なわけではないがうんざりしてしまう。親のしつけを守らないわがままな子供みたいで、いつまで繰り返すのかと気が重くなった。そして肝心の瑠は学校に来ない。まるで爽花の心を見透かしているかのように、おかしいほど会えるチャンスがない。イチジクの屋敷にも試しに行ってみたが、イチジクも同じように瑠を待っているらしい。

「どうしたのかね? 具合でも悪いのかね?」

 俯くイチジクを「大丈夫ですよ」と励まし、なるべくそばにいるようにした。

 屋敷より広い庭には綺麗な花が咲いている。手入れされ、雑草など一つも生えていない。ふとある言葉が浮かんだ。

「イチジクさんって、昔お花屋さんで働いていたんですよね。花束も作れるとか」

「ああ、そうだよ。瑠くんに教えてもらったんだね」

「はい。すっごく綺麗な花束だって褒めてましたよ」

 花屋で働けば全員が花束を作れるわけではないだろう。きっとイチジクも勉強し、美しい花束を生み出す特技を身に付けたのだ。

「そうだ。爽花ちゃんに花束をプレゼントしようか」

「えっ? いいんですか?」

「もちろん。大事な爽花ちゃんのためなら、何個でもプレゼントするよ」

「うわあ……。嬉しいです。実際に見てみたかったし、プレゼントしてもらえるなんてありがたいです」

「花が好きな人に悪い人はいないよ。心の中が澄んだ水みたいにきらきらしてるんだよ。爽花ちゃんも瑠くんも清い心を持ってるんだね」

 やはり瑠は汚れていないと確信した。瑠は悪者ではない。あの繊細な絵を一度でも見たら、絶対に悪者とは考えないはずだ。「汚い水無瀬様」というリーダーの声が蘇った。リーダーは慧を汚れていると決めつけた。爽花を傷付けて嫉妬深い慧を汚いと呼んだ。つまり慧は上辺だけ美しいだけ。上手く取り繕って、本心を隠している。そして瑠が上辺はダンマリで暗くとっつきにくいが本心は美しい。多くの人たちは上辺ばかり評価するので慧がいい人に感じるが爽花は違った。

「瑠は薔薇が大好きなんですけど、それって瑠の心が薔薇みたいに高貴だって意味ですよね」

「そうだね。爽花ちゃんは瑠くんの大ファンだねえ。こんなに可愛いファンがいるなんて瑠くんは幸せ者だ」

 にっこりとイチジクは笑ったが爽花は頷けなかった。むしろ独りぼっちな瑠が不幸で空しい。信じる人はたった一人。しかもすでに亡くなっている。渇いた胸でただひたすら絵だけ描く人生など悲しすぎる。

「花束、すぐにはできないからしばらく待っててくれる? 早く渡したいけど、せっかくだから豪華にしたいんだ」

「いつになっても構いません。ずっと待ってます」

「ありがとね。頑張るよ」

 もう一度イチジクは笑い、次は爽花も笑い返した。

 好きな人が現れたら花束を贈ると瑠は考えている。亡くなった先生を忘れないための真似だ。ことあるごとに先生と同じことをして、常に胸に留めておこうと無意識にしているのだろう。



 瑠が学校に来なくなって二カ月が経った。その間、爽花は慧と仲良くしていた。病気なのかと知りたくて仕方なかったが、瑠の名前を出したら豹変して疑われる。傷つきたくないなら黙っていた方が賢い。それに高校三年生は受験勉強で暇も与えられなかった。元々頭もよくないしドジで半人前な爽花にとって、試験はとにかく大きな壁だ。高校受験も志望校がギリギリで決まり、合格も冷や冷やだった。

「大学も一人暮らし?」

 慧に聞かれ、しっかりと頷いた。

「できれば一人暮らししようかなって思ってる。親に甘えてちゃだめだし、ドジなのも治すつもり。治るかどうかはわからないけど……。慧は?」

「俺は実家通い。母さんが許してくれないんだよ。家が広いから寂しさが余計増すもんな。父さんは外国だし、俺が母さんを護らなきゃいけない。父さんと同じで母さんも相当寂しがり屋なんだ」

「そっか。まあアリアさんは料理も上手だし優しいから、できたら家にいる方が安心かもね」

「実は母さんって昔は料理一つも作れなかったんだよ。日本語もしゃべられなかったんだ」

「えっ? アリアさんが? 嘘でしょ?」

「父さんが母さんを成長させたって感じ。寂しがりな性格は父さんから影響されて。一緒にいると同じようになるんだね」

 リーダーの顔が頭に浮かんだ。いじめをやめたら友人も増えて明るくなった。不思議だが人は変わるのだ。しかしそれには本人の固い決意も必要で、かなり努力をしないと望みは叶えられない。このままの状態でいいと決めているから、瑠は心を開かないし笑顔も作れない。

「ねえ、爽花、大学生になる前に……教えてくれるよね?」

「教える? 何を?」

 目を丸くすると慧は真剣な眼差しを向けてきた。

「彼女になるのか、ならないのかってことだよ」

 ぎくりと冷や汗が流れた。だんだん返事をする時間が近づいているのに気が付いた。今まで曖昧にしてきた関係に終止符を打つ時間だ。彼女になるのかは、瑠の心の扉を開放し孤独ではない新しい道を歩む準備ができてからだ。瑠はもう二度と独りぼっちにはならないとはっきりしなかったら、これまでの頑張りが水の泡になる。

「ちゃんと伝えるよ。だけど、もうちょっと待ってて」

「そっか……。わかった……」

 寂しげに微笑み、慧は俯いた。申し訳なくなって爽花もがっくりと項垂れた。

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