一〇〇話
アパートに帰ってからも、瑠の言葉はしっかりと胸に残っていた。ずっと今まで爽花が考え瑠に聞かせたことは、すでに体験済みという驚きと、結局白い目を向けられ放っておかれたという空しさ。生まれつき孤独などあまりにも酷い。人に恵まれなさ過ぎだ。瑠の言う通りあっちへ行けと冷たくあしらわれるなら、こちらから関わろうとはしない。自分から傷つくようなことはわざわざしない方が賢い。まさに「触らぬ神に祟りなし」だ。きっと瑠は危ない道を渡らないように悩みながら歩いてきたはずだ。しかも相談にのってくれる人もいないので独りで努力するしかないのだ。そんな辛い日々の中で瑠を助けに来たのはフランスに住んでいる先生だ。瑠を愛し大切に護り生きがいや画力や恋愛についてまで、さまざまな宝物を与えてくれた。だから瑠も先生だけを慕い、いつまでも想い続けている。徹底的に絵を仕上げるのも先生の喜ぶ顔が見たいからで、言ってしまえば先生は瑠にとって神様だ。瑠は神様だったら本当の自分を教えてもいいと決めている。心の扉を開き友人になれる。もしかしたらにっこりと笑うかもしれない。誰だって優しくされたら、ありがとうという気持ちで距離を縮めるだろう。爽花は神様になれないか。ドジで半人前な爽花が神様になれる確率はゼロだ。絵も描けないし失敗ばかりで、とても瑠を護れない。絶対に爽花は神様になれない。どれほど頑張っても瑠は爽花に興味を持たず、何か話しても聞く耳持たずで突き放す。お前なんかいらない。先生がいれば生きていける。母親のアリアでさえ無理なのだから、爽花はさらに可能性が低い。アリアは爽花が瑠の人生を明るくさせると期待しているようだが、かなり厳しい現実だ。先生しか瑠の渇いた胸に愛を注げないのか。爽花は完全に赤の他人なのか。こんなに難しい問題にぶち当たるとは予想していなかった。
ふと「無理」という言葉が頭に浮かんだ。これほどまでに先生を愛しているのに、なぜ会いに行かないのか。パスポートもあるしフランス語も話せるのに無理だと頑なに否定して動こうとしない。フランスで、先生は立派に成長した我が子を待っているのに。絵を描いて、常にそばにいたいと考えているのに。
「どうして会いに行かないんだろう……。大好きな先生なのに……」
大学生になったら瑠がどうやって暮らすのかは不明なため答えは出てこない。瑠本人に聞いても、またうるさいと怒鳴られてお終いだ。狭い檻に入れられたような、出口のない迷路にいるような息苦しさを感じた。この状態で受験勉強などできない。
「嫌になっちゃう……。もう……」
呟いてベッドに寝っ転がり、窓の外に視線を移した。どんよりと朧月夜が爽花を見つめていた。そういえば最近セルリアンブルーの空を見ていない。空を眺めて癒される暇もないくらい毎日忙しく過ごしている。爽花の場合、自分だけでなく瑠の心配もしているから尚更しんどい。泣いて祈っても雲に被っていては、神様は爽花の存在に気づかない。灰色の眼鏡をかけたように周囲の色が消え、微笑む力さえ失ってしまう。
とりあえず、あの古紙の文章を書いた人が誰かという謎を明かそうと決めた。慧に電話をかけ、今週の土曜日にお茶飲みに行こうと誘うと「もちろん」と嬉しそうな返事が戻ってきた。楽しいお茶会ではないとは言わなかった。「いつもの駅前のお店で」と約束し、さっさと電話を切った。激しい雷が降りかかって来るとは、その時は全く想像していなかった。




