一話
『またフラれちゃった』
この言葉を耳にすると、新井爽花はうんざりする。また、ということは、以前も告白をして失敗したのだ。それなのになぜもう一度挑戦するのか理解できない。心の傷を、さらに深くえぐるだけだというのに。相手の態度や返事で一喜一憂するなんて誰もしたくないだろう。恋愛は、とても細い綱渡りを、びくびくしながら進むのと同じだ。足を踏み出したら後戻りはできない。助けてほしくても、差し伸べてくれる手はない。そのまま安全な場所へ行けるか、足を踏み外して下に落ちるかのどちらかだ。爽花は、そんな危なっかしいことは、まっぴらごめんだった。友人と仲良く気楽に過ごすのが一番だ。
「爽花って、彼氏とかいらないの?」
よく聞かれるが、すぐに首を横に振った。
「彼氏がいなくても死ぬわけじゃないし、他人と合わせるなんて面倒くさいもん。特に男はね」
「結婚とかどうするのよ?」
「もちろん結婚だってする気ないよ。一生独身で生きていく。子供だっていらないし産むの痛そうだし。とにかく恋愛だけは嫌なの」
はっきりと答えると、「爽花って変わってるね」と必ず不思議な目つきで見られる。
恋愛は、楽しいより苦しいものだと考えた方が賢明だ。世の中の人間たちはその事実を知らないから不倫だの離婚だのと騒いで損な人生を歩んでいると辟易する。相手に合わせて無理をしても、裏切られて別れるなど酷すぎるではないか。だから始めからやめておくのがいい。触らぬ神に祟りなしとはよくいったものだ。そういった理由から、爽花は誰かを好きになったことも好きだと言われたこともない。
「人それぞれ違うからね。あたしは一人で生きる方を選んでるってだけだよ。それにまだ中学生なんだから今焦ってもしょうがないし。恋愛って、もっと大人になってからするでしょ」
もう一度言い切ると、すぐにその場から立ち去った。
家に帰ると、台所で夕飯の支度をしている母親の京花に声をかけた。
「ねえ、お母さんは、どうやってお父さんと出会ったの? 好きになったの?」
娘の質問に京花は不思議なものを見る目に変わった。
「お父さんはねえ、お母さんが大学生の時に学校の人気者だったんだよ。すごくモテて素敵だったの。だから恋人同士になれないって思ってたけど卒業式の日に好きだったって告白されて、そのまま結婚しちゃった。みんなから早いってびっくりされたよ」
「ふうん……。苦しい目に遭ったりしなかったの? 悲しくて泣いたりとか」
「苦しい目?」
首を横に傾げて、京花は答えた。
「苦しい目なんて一度も起きてないよ。毎日幸せでいっぱいだったよ」
ふと疑問が浮かんだのか、爽花の顔を覗き込むように聞いてきた。
「爽花は好きな男の子とか、まだいないの? 爽花が男の子と仲良くしてたら、お母さん嬉しいんだけどな」
ははは、と苦笑いをし、爽花は即答した。
「中学生なのに好きな男なんかいるわけないよ。でも、大人になってもあたしは一人でいるつもりだけど」
「えっ?」
京花が目を丸くしたので、急いで部屋に入った。これ以上何も聞かれないように逃げた。