Juvenile~怪奇サークルと遊園地の噂~
下宿というのは気楽で良い。夜中に帰ってきたって文句の1つも言われないし、昼まで寝てても誰も起こしになんてこない。学校まで近いから、ギリギリまで寝ることができるし、多少サボっても誰も咎めになんてこない。
とある昼下がり、俺は暑さに耐えきれなくなって起床した。汗がびっしょりと身体中を濡らしていて気持ち悪かった。俺は汚れたTシャツと共に風呂場へ向かった。風呂場といってもトイレとシャワーが一緒になってるやつだ。ユニットバスって言うんだっけか。俺は服を脱いで、熱々のシャワーを存分に浴びた。昨日までの汚れを完全に洗い流すため、身体の隅々まで石鹸で綺麗にしていた。独り暮らしを始めると途端に不潔になれるものもいるらしいが、俺はそうならなかったのだ。
シャワーを浴びると余計身体が火照る。俺はタオルを首に巻いて、下着状態で歯磨きに歯磨き粉をつけた。ゴシゴシ磨きながら、徐にTVをつけ始めた。この時間はワイドショーの頃だ。しょうもない文部大臣のスキャンダル、原因不明の猛暑、芸能人同士の熱愛報道……あいも変わらず面白くない内容だ。俺は歯磨き粉をほんの少し机に零してしまいながら、そんな感想を浮かべていた。
ティッシュでゴシゴシと机を拭き終わると、出かける準備をし始めた。今日は集合日だ。一応サークル長として、活動日くらい時間通りにいかなくては行かない。そう思い地面に落ちていたヨレヨレのシャツを着ていると、注意を引くニュースが飛び込んできた。
『次のニュースです。○○県○○市表野町に住む小学生の女の子が行方不明になって1週間が経ちました。少女は友達と遊園地に行くと言い残し、家を出て以降行方がつかめなくなっているとのことです。なおこの表野町周辺にあった遊園地は先月閉園しており、また小学校での聞き取りの結果この少女と待ち合わせをしていた友達もしばらく姿を見せていないということです。警察は〜』
これは見逃せない話題だな。そう思いつつ、俺はテレビを消してGパンを履いた。そして鍵を持って、クーラーを切って、灼熱の屋外へ突き進んでいった。
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まるで砂漠を歩くかのように、暑く苦しい道のりだった。無論砂漠など歩いたことないのだが、そこにやいのやいの言うのは野暮というやつである。ともかく、暑さで溶けてしまいそうになりながら、俺は部室に着いたのだ。
最近建て替えが行われたお陰で、部室棟は全室クーラー完備になった。最高である。これまで団扇と扇風機でこの温暖化した日本の夏を耐え切っていたのだと思えば、現状はもはや天国と呼べた。そんな部室にはもう、全部員が集結していた。
「先輩遅いっすよー」
部室に入ってすぐにそう言ってきたのは後輩の高下だった。毛先パーマを当てたかのようにチリチリだった。本人曰く地毛らしいが真偽は不明である。こんな暑さにその髪は暑くないのか?と言いたくなるほどもっさりした頭をしていた。
「遅くねーだろ時間通りだ」
「社会人の基本は10分前行動っすよー」
「そういう高下はついさっき来たところだけどね」
靴を脱いでいるときにそうフォローを飛ばして来たのは同級生の嘉門だった。
「そうだろうと思った」
そう言って俺は部室に上がり、輪を作るように奥の方に腰を下ろした。
「それじゃあ、部会始めますか」
嘉門はそう言って手をパンと叩いた。
「皆はどこに行くのがよいと思いますかな???小生といたしましてはやはり何度も申し立てておるように富士の樹海へと赴きたく存じておりましてですな…」
いきなり話し始めたのは1つ後輩の岡戸だった。やたらと大げさぶった話し方と、牛脂のような汗が印象的な太った男だった。ん?悪口だって?それはまあ、口に出さず心の中で思っているだけだから許していただきたい。
「えーやだー。あそこがちで気持ち悪いじゃん」
この岡戸の提案は毎度のことだ。毎回この案は議題に上がるが、すぐに却下されてしまう。その原因はこの少女だ。
「どぶーまじないわー」
「き、貴様ああああ。また人のことをどぶと申すか!!!」
「いいじゃん。憧武だからどぶー。悪いとこないじゃん」
そう言ってにかっと笑ったこの少女も1つ下の後輩だ。名前を芦里都子という。少しだけ主張する八重歯と幼い顔立ちが特徴だった。岡戸と同学年ということもあり、2人はとても忌憚なく言い合いをすることが多かった。
「因みに都子ちゃんはどっか行きたいところとかあるの?」
嘉門がそう尋ねると、芦里はニコッと笑って答えた。
「ほら、あれとかよくないっすか??最近話題の裏野ドリームランド!!廃園前後から心霊話とか都市伝説とか溢れまくってるじゃないですか」
ほう、俺が裏野ドリームランド提案する前に、別の人からその案が出るとは…俺が思う以上に有名だということだろうか。
「へえ、そんなのあるんだ」
「知らなかったっす」
「僕も、知らなかったです」
嘉門高下、そして高下と同じ1年生の初田もまた、よく知らないという反応をしていた。彼ら彼女ら3人の顔色を見たのちに、芦里は自慢げにこう語り始めた。
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「裏野ドリームランドは昭和がそろそろ終わろうとする1980年代後半にできた遊園地でね。その頃はバブルの夜明けみたいなもので、そりゃものすごい額を儲けたんだって。そもそも裏野って所謂ベットタウンで、周りにマンションとか社宅とかそんなの一杯で、とにかく市内にファミリー層がいっぱいいたんだよね。そのあたりの人らも巻き込んで、とっても繁盛してたんだ。
でもバブルも崩壊して、どんどんと儲かんなくなってってさ。どんどんと客足も遠ざかったって行ったんだ。極め付きにはUSR、ユニバーサルスタジオリゾートができたことで、客足離れに拍車がかかっちゃってさ。つい先月廃業に追い込まれちゃったんだよ。っていう、ここまでは極々一般的に言われている話。
実はこの遊園地には色んな噂があってね。一番有名なのは『子供がいなくなる』ってやつだね。これは開業当時から言われててね。当時はまだまだ都市伝説なんてものが広く信じられていたから、『子供がいなくなる遊園地』として度々取り上げられてたんだよね。しかも当時の人達によると、時折園内に何かを探している様子の女の子を目撃したって情報もあるんだ。死んだ魚の目をしてて、まるで生気を感じなかったらしいよ。
他にもいろんなオカルトな噂があってね。忘れられたジェットコースター事故とか、アクアツアーに住む不気味な生き物とか、ドリームキャッスルの地下にあるという拷問部屋とか……こうした噂が閉園の原因になったんじゃないかって言われてるんだよね。
特に最近は観覧車から女の子の叫び声が聞こえたっていう話も舞い込んできててね。テレビは取り上げてなかったけれども警察が来たり大変だったって、Twitterに書かれてたんだよね。そうした、子供の神隠しが行われていて、今でも行われているのがこの、裏野ドリームランドなんだよ」
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そう一気に言い切った芦里は、一転キャッキャした声で話し始めた。
「どうですか???どうですか先輩方???ちょっとは怖くなりました??」
「うーん、イマイチかな」
そう言いつつ嘉門は首をひねった。
「いや、話としては非常に面白いしね。上手いこと設定できてるとは思うよ。でも…何でかなあ」
「もうちょっと短くまとめたらよかったかな?ほら、バブルの頃とかの背景はあまり入れないで、何があったかにもうちょい焦点のいく話し方の方が怖く思うかな?」
言葉にするのを難しがっていた嘉門に対し、俺はこうフォローを入れた。
「先輩方は甘いですなあ。この小生から言わせてもらいますと論外甚だしいですね!」
「はあああ!?!?!?お前に言われたくないねどぶー」
「またどぶだと、またどぶと言い腐りよったなあこのクソ女!!」
「未だに現地調査に連れて行ってもらえないどぶーに何言われても動じないもんー」
「貴様言わせておけばああああああああああ」
「はいはい、もう岡戸くんも芦里さんも喧嘩しないの」
そうやって仲裁に入った嘉門を横目に見ながら、俺は1年生に話を振った。
「高下に初田。2人はどう思った?」
こう聞くと高下はまるで話を振られるのを見越していたかのように言った。
「いや俺は結構興味あるっすよ。しかも今廃園してて、これから絶対に入りにくくなるっすから、まあ現地調査行くなら今じゃないっすか?」
そう言って高下はにこって笑った。理由がどことなく俗物的だなあと思った。芦里にしてもそうだが、経営学部生ということもあってこのあたりの着眼点が理系や文学部とは種類が違うと思った。
「初田君はどう思った?」
芦里は初田に訊いた。初田はただでさえくりくりした目をさらに丸くしていた。
「いや……うん……いいと思いました」
「めちゃくちゃ気を遣われているではないかあ!!!!!!」
「いいから、いいからぁぁ。どぶーは別にいいんだよぉぉぉ」
喧々諤々、様々な意見が出てきた。これを纏めるのがサークル長たる俺の役割だ。と言っても今回に関しては、ある程度意見が固まっているような気がした。
「よし、それじゃあ今週末の現地調査は旧裏野ドリームランドにしよう!!」
俺の宣言に、部員達は一斉に自分を見てきた。どうやらあまり反対意見は出ていないようだ。まあテスト前だし、富士の樹海に行くよりは近場の裏野町に行く方が現実的だろうしな。俺は自分の思っていた以上に物事がうまく進んでしまい、拍子抜けするほど驚いていた。
これが俺の所属しているサークルの、主な活動内容だ。週に1回部室に集まり、オカルトや都市伝説に関する話をとりとめなくして、2週に1回のペースで現地調査と称して全国の霊的スポットを巡っていく。その名を『怪奇サークルあやかし』という。俺はそのサークル長なのだ。この現地調査に行く場所は、発案者の話に怖いと思ったかどうかで決まる…のだが、最近はだいぶ形骸化していた。それでもまあ、2週に1回もしっかり課外で活動しているだけ、他のサークルよりはましだと思っていただきたい。
「それじゃあ、今週土曜日の昼13時から、JR裏野駅前に集合な!!廃園している遊園地に行くのだから、迷惑にならないように気を引き締めていきましょう」
そう言ってから、みんなでおーっと言って、部会は終了した。まあ部会が終了したからと言ってみんなが帰るわけではない。というかここからが本番で、ただひたすら部室でだべり続けるのだ。我々6人はみなそれぞれ怪奇話や都市伝説にある程度興味関心のあるメンバーがそろっている。ただだべるだけならほかにもいっぱいサークルはある。つまりわざわざこんな色んな意味で怪しいサークルに入る奴なんて一癖も二癖もあるやつしかいなかったのだ。
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おそらくもっともそう言った話に薀蓄を持っているのは岡戸だ。彼は小学2年生の頃から今までずっと月刊ムー大陸を買い続けているような猛者である。彼が富士の樹海を推しているのは、単なるミーハーではなく、本気であそこには現世と来世の境目が存在しており、それ故人は自殺場所にあそこを選ぶのだと主張しているからだ。まあ今まで、『遠い』『怖い』『気持ち悪い』と言われ続けて実現こそしていないが、個人的には行ってみたいとすら思っていた。先程は芦里に否定されていたが、彼は話も上手い。活舌とイラッと来る話し方と流れ出る汗さえなくなれば、もっと彼女からの扱いもよくなると思う。難しいが。
そんな芦里は、所謂都市伝説が好きな女の子だ。しかし彼女の好きな都市伝説は大体がスケールが小さく、少女の神隠しや霊的体験といったものばかりだ。血が流れるようなものは少ないし、過去にはパワースポットのようなものを行きたいと挙げていたこともある。まあ一言で言ってしまえばミーハーだ。ここまでくれば、岡戸と対立するのもよくわかるだろう。その一方で、基本フォローを入れてくれる嘉門にとても懐いていて、まるで実のお姉さんのように慕っていた。
嘉門は3年生になってからあまり本性を出さなくなったが、実は彼女は怪奇事件や未解決の殺人事件などに詳しい。本人曰く、そういった事件は実際に起こっているというリアル感と実際には起こりえないであろう手口や死体の状況といったフィクション性が混在している不完全さの揺動がたまらないらしい。何を言っているかわからない?それは俺も同感だ。こういう言葉選びは文学部たる彼女のセンスであろう。我がサークル数年ぶりの女子部員ながら、初日から四肢を切り落とされた殺人事件の話をして自分含め当時の部員全員から引かれたのは未だに記憶に新しかった。
1年生はまだまだ日が浅いので、どの分野に一番強いのかよくわかっていない。印象としては、初田は宇宙人やノストラダムス、マヤの予言といった昭和臭香るオカルトものに興味があり、よく岡戸とそのあたりの話をしている印象だ。一方で高下は自分に近いバランス方な印象だが、自分と違い少しミーハーなオカルト話に強いイメージだ。無理やり定義するならば芦里に近いだろうか。しかしながら失礼な物言いとは裏腹にどんな話をしても面白い着眼点をくれる後輩であり、個人的に話をしていて一番面白いと思える新人だった。以上6人が、我がサークルの現役メンバーだ。
ん?それじゃあ俺の専門領域はどのへんだって?まあぶっちゃけ、どんな話でも一定の薀蓄はある自信がある。その辺りはサークルの長として身につけたというよりは、昔からそういったものに興味があって、勝手に身についたといった方が正しい。その中でも…
「そういや杉常先輩、最近のマスコミの現政権批判めっちゃ強まってないっすか?」
おお、ちょうどいいタイミングで高下がそう話題を振ってきた。こんな何気ない会話も、怪奇サークルにかかればオカルト話に発展するのだ。
「そりゃあな。奴らは嘘をでっちあげてまでも日本転覆を狙っているからな」
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俺はすううっと息を吐いて、得意げに語り始めた。
「遡るならば10年前、前政権はテロ参加罪を施行し、いかなる小さな組織も届け出を必要とし、届け出の無い組織はテロリストとして扱うことでテロリスト集団の抑圧を始めた。これは国民から一定の評価を得て、現政権にも引き継がれているのだが、この法案はテロリストの撲滅以外にある目的を持ってできたものなんだ」
「ある目的…?」
「国民総監視社会の実現だよ。この法案と、それと同時にできたパーソナルナンバー制によって、政府は我々の個人情報をすべて掌握することに成功した。それこそが真の目的なんだ」
「これによって人々の出自や所属組織が権力者に筒抜けになってしまった。そんな中、とある秘密組織に関してもそのメンバーが大方把握されてしまうことになった。これこそ、はるか昔より世界を牛耳る超秘密組織…」
少しだけ間をあけたら、高下がベストなタイミングでツッコミを入れた。
「フリーメイソン?」
「そうだ。日本にいるフリーメイソンのメンバーが筒抜けになってしまったんだ」
「恐らくフリーメイソンのメンバーも、まさか日本政府がここまでやるとは思っていなかっただろう。もしかしたら日本政府を牛耳る組織、大日本会議と何かしらの確執があったのかもしれない。しかしながら政府はそうした秘密組織の所属状況まで正確に把握し始めた。これにはフリーメイソン側も不満であろう」
「つまるところ、フリーメイソンがマスコミを焚きつけているということですかな?」
「そういうことだ!!岡戸、察しが良いな」
「マスコミは政権批判が許される唯一の集団だ。多少荒っぽい言説を並べても、ジャーナリスト集団であることからテロ組織と認定はできない。圧力をかけることができないんだ。一方で国民は前政権時代に骨抜きにされてしまい、現政権を無条件に受け入れてしまっている。これには経済が比較的に安定しているからというものもあるだろう。国民が現政権を望んでいる、フリーメイソンや革命家たちは全く望んでいない。そしてそうした日本転覆、現状破壊を望むものがマスコミに働きかけ、もしくは直接マスコミに入り、火の無いところに煙を立てているんだよ。これが、現在のマスコミによる過剰な現政権批判の裏側さ。本当、自分たちの都合で民意を歪めるなんて、自分勝手甚だしいやつらだよ」
こういう訳で、俺の一番の専門は政治における陰謀論だ。この分野が好きすぎて、大学も法学部の政治学科の日本政治学を専攻するほどだ。元々あった陰謀論的考えと、法学部での知識を織り交ぜつつ話すのが最も好きだった。まあ、今回はあまり法学的知識を動員できなかったので、そこは少し反省である。
「相変わらず、要はフリーメイソンが好きだねえ」
嘉門はそう言って笑っていた。未だに自分のことを下の名前で呼ぶのは彼女くらいだ。彼女からしたらフリーメイソンの陰謀論など聞きあきているだろう。まあ、人の絶命方法について論じる昔の嘉門の方がよっぽど異端だと思うが。
こういう風に、それぞれの長所、専門領域を持ちつつも、怪奇現象、都市伝説についての考察を深めていくのが、我々のサークルだった。この後も岡戸が今月のムー大陸の内容と絡めてテロ参加罪の組織規制が異常性癖者への当てつけになっている記事を紹介したり、初田が昔海外で起こった少女集団誘拐事件を話題に上げたり、嘉門が珍しく専門である最近の未解決事件に関してオブラートに包みながら解説したり、芦里が少女の祀られている寺社を紹介し高下がそこの絵馬に可愛いアニメのイラストがあったことを紹介したりと、取り留めのない話をしながらその日の部会も過ぎていった。 土曜日になっても未だに暑いまんまだった。未だに、ではないか。7月の頭であるということを考慮するならば、これからが夏本番というやつだろうか。ならばこれからさらに暑くなるということだろうか。それは流石に嫌だ。すでにもう暑さは限界値まで来ていて、今日もだらだらに掻いた汗を拭いながら来たというのに、本当に自重して遠慮していただきたい。何に向けて言っているのだろう。強いて言うならこの社会だろうか。
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「あ、杉常先輩ラストっすよーー!!!」
デジャブであろうか。今週の部会と全く同じように高下が言ってきた。待ち合わせにした裏野駅の改札にはもうすでに5人集結していた。まだ集合5分前なのに、優秀な後輩たちだ。
「要最後だからアイスおごりね」
嘉門はそう軽く茶化したのだが、後輩達は過剰に反応していた。
「ゴチになるっす!!先輩!!」
高下がそう口火を切ると、
「小生バニラアイスがいいですな。イチゴアイスでもいいですぞ」
岡戸がそう便乗する。
「どぶーは痩せた方がいいんじゃない?その分初田君にあげちゃってさ」
芦里がそう言いつつ初田に話を振り、
「え……僕は全然大丈夫です……暑いの得意なので」
彼はいい子なので擁護してくれていた。
「何で遅刻してねーのに奢らなきゃダメなんだ?いいから行くぞ」
そう強引に纏めて、後輩たちのブーイングを背中で受けつつ歩き始めた。
「なんか、要リーダーっぽくなってきたね」
隣を歩く嘉門がそう声をかけてきた。
「そ、そうかなあ」
「なんか昔の要って、楽しそうに話はしているけれども、みんなを引っ張るって感じなかったじゃん。最近はそう、責任感というか、そう言うのが出てきてる気がする。決める時にびしって決断できるし」
「ほめてもアイスは奢らねぇぞ」
嘉門はくそうという顔をしていた。どれだけアイスが食べたいんだよこいつは。
後ろでは既に岡戸と芦里の言い合いが始まっていた。
「そもそもどぶー痩せる気あるの?全然痩せないどころか、むしろどんどん太ってる気さえするんですけどー」
「ほう、そもそも太っていて何が悪いというのかね?小生にご教授してくれたまえ」
「え?見た目が醜い」
えらく直球な文句だな。俺は声に出さずにそう突っこんだ。
「貴様ぁぁぁぁ!!!」
「だって事実でしょ?後くさい、幅とる、邪魔」
「すべて己の個人的価値観ではないかぁぁぁぁぁ」
「違うわよ極々一般的な価値観よ。だからこそこの世はダイエットだの低脂肪だのがはやるんでしょ?あんなのが流行るってことは、みんな心の底でデブに対し嫌悪感を持ってるってことなのよ」
「そうした社会の同調圧力がそもそも間違っているのだ!!!デブで何が悪い!!!そもそもデブはその体型を維持するために多量のご飯を食うことで経済を回しているのだぞ。己も経営学部ならばそれくらいのこと容易く理解できるであろう!!!」
「はあ?うるさいよ理系の分際で。そもそもあんたら肥満体系の人は病気に罹りやすいってデータが出てるのよ。治療費7割負担のこの国だと病気にかかる方が国庫を圧迫するのよ。あんたもデブならそれくらい理解しろっての!!!」
この2人の論争を止めにかかっていたのは初田と高下だった。なんで2年生が喧嘩して1年生がその仲裁に入っているんですかねえ。
「あいつらも来年にはリーダーとして責任もって行動できるのかなあ」
「そもそも仲良くするところから始めなきゃだめだね」
こうして最上階生2人は、今後の部の行く末を不安に思いながら裏野ドリームランドまでの道なりを歩いていた。
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入場口は完全にしまっていた。そりゃそうだもう閉園しているのだから。外から見るだけでも寂れてしまっているのがありありと感じられた。雰囲気は完全に廃墟のそれだった。廃園して2週間と少しでそこまで老朽化するというのは、ある意味すごいなと思った。
「そういや、この遊園地、中には入れないの?」
そう訊かれた芦里はどや顔でこう答えた。
「ふっふっふ!お任せください」
ものの数分で、我々は廃墟に足を踏み入れることができた。芦里が誰か知らない年配者と交渉し、ものの見事に現地調査を実現させたのだ。
「コネでも持ってたの?」
俺の疑問に芦里は照れながら答えた。
「まあ、そんなところですね。この遊園地がつぶれる前に授業のフィールドワークでここきたことあって。その時のつながりで連絡とりました」
「そんなことまで……ありがとうね、芦里さん」
「そんなそんな、褒められたものじゃないですよ」
そう言いながらも照れた顔をしていた芦里も、いざ裏口から園内に入ってみたら一気に口数が減った。入った瞬間に、何があったわけではない。いきなり幽霊出てきたり、血が流れてたりしていたわけではない。それでも、完全に廃墟と化していた裏野ドリームランドの雰囲気に、6人とも圧倒されてしまっていた。汚れた看板、完全に止まったままのアトラクション、人がいなくなって久しい不気味な雰囲気。見た目で廃墟だなとは思っていたものの、実際に中に入るとその恐怖は留まるところを知らなかった。
「これは…中々にやばい所っすね」
高下は少しビビった声でそう強がっていた。
「僕、まだこの現地調査に参加するの数回目ですけど、いつもはこれくらい怖い場所なんですか?」
初田は少し怯えながらこちらの方を見てきた。
「や、ここまでのものは中々ないよ、年に1回くらい?」
俺はそうフォローを入れた。1年生にとっては確かに少し怖いのかもしれない。
「ここ……しまったの最近ですよね?」
「ひどい状況ね」
「感じる、感じるぞぉぉぉぉぉ!!!人ならぬ気配が!!!!」
芦里、嘉門、岡戸もそれぞれに感じた恐怖を表現していた。俺も正直、たった2週間でここまで荒廃する物なのかと恐れおののいてしまうほどだった。ここは、これまでの現地調査で訪れた場所とは一線を画す、何かがあった。
「ど、どうする……」
少し怖気づいた嘉門がそう言ったが、俺は力強くこう言った。
「いや、怖いけど確かめに行こう」
少し声を震わしながらも、俺、杉常要はサークル長として部員達を鼓舞した。
「怪しい場所には現地調査に出かける!これぞ我が怪奇サークルの本領ってもんじゃねえか?」
絶対に足を踏み入れてはいけない場所だなんて、本人ですらわかっていたことだった。それでも彼は、まるでそう言わされたかのように無表情のまま宣言したのだった。
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まず我々はジェットコースターの方に向かった。
「忘れられたジェットコースター事故だっけ?」
「でももう生の声聞くのは無理ですよねえ」
言い出しっぺながらも芦里は俺の質問に対し自虐的に答えていた。
「あくまで私らは怪奇サークルだからね。ミステリー研究会じゃないから謎は解かなくてもいいんだよ」
そう言いながら我々はジェットコースターの前に立った。
ジェットコースターは老朽化以上に、安全面について怪しい面がたくさんあった。所謂絶叫系というやつなのだろうが、鉄の寂れた部分が目立ち、一部塗装がはがれていた。年季を感じさせる一方で、風が吹くたびにギーギーと鳴っているのも怖かったし、何ならこの裏野ドリームランドのマスコットである奇妙なウサギすら怖いと感じてしまった。
まるで何かに引き寄せられていくかのように、嘉門が近づいていった。
「せ、先輩!!どうしたんですか??」
あまりにもふらっと近づいたから、慌てて芦里が嘉門を心配した声を出してしまった。そして他の5人は彼女について行くかのように歩き始めた。
「ちょっとさ、気になっている所があるんだ」
そう言いながら彼女はさびた鉄の部分を指差した。
「あそこ、ほんの少しだけど奇妙なシミがあるんだ」
みんな覗き込んだけれど、ただのシミにしか見えなかった。
「ど、どういう風に??」
「あれはシミにしてはあそこ微妙に切れてるんだよね。ほんの少し下の方が細くなってるでしょ?あれは多分上から何かしらの液体がついたんだと思う。劣化によるものではない。それに…あんな黒いシミ、普通の液体じゃないよ。しかも赤黒く変色してる。こんな色になる液体…」
そう聞いてみんな、閉口してしまった。黒いシミ…誰しもが想像したであろうその想像を、俺は勇気をもって言葉にした。
「血液、ってことか?」
「多分ね…しかも結構多量じゃないかな。軽傷だったらあんなにしっかりとシミにはならない。どうやらここで事故があったことは信憑性の高い情報みたいね」
「す、すごいです!!!先輩!!!」
そう言いながら芦里は震えた声を必死に隠しながら嘉門の服袖を引っ張った。
「なるほど…こういうのが現地調査ってやつなんすね」
「や、一応突っこんどくけどこんなミステリー研究会みたいなことしないからな、いつもは」
「少し…見回っていいかな?」
そう言って小首を傾げる嘉門が、生き生きしているのが痛いほど伝わってきた。そしてサークル長である俺の許可もなくジェットコースターの周りを歩き回り始めた。
「なんか先輩元気ですね」
「知らなかったかもしれないけれど、嘉門はあー言うやつだ」
「それじゃあその間にアクアツアーの方行きますか?」
そう提案した初田の案に乗っかって、一言断ってからアクアツアーの方に歩いて行った。
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アクアツアーってなんだっけ?池に住む不気味な怪物、だっけか?怪奇現象の定番といえば定番だが、しかしそんなもの池の水でも抜かない限りわからないことだ。逆に言うと水さえ抜けばその真偽は明るみになる。こういう確かめようとするとすぐ真相がわかってしまう噂話は、正直言ってあまり好きではなかった。
「なー芦里、こっちの方向であって…」
方角を確かめようと後ろを振り向くと、岡戸と初田の2人しか居なかった。俺は少しだけ嫌な予感を覚えつつ、2人に尋ねた。
「あれ?高下と芦里は?」
2人はキョトンとした顔をして答えた。
「2人とも嘉門先輩のところに行きましたよ」
「ふふん、差し詰めアクアツアーの不気味な怪物に怯えてしまったと言うところでしょう。これだからチャラ男と女子はダメなのですよ」
俺は一瞬だけ浮かんだ杞憂を胸にしまいこんで、まっすぐ歩いて行った。そうだそうだ気をぬくな。ここは怪奇スポットなのだから。
「ここの怪物の話は、結構広まってるかも知れないですよ」
そう気合を入れている時に突然初田が口を開いたため俺は少し反応が遅れてしまった。
「ほう、何処情報ですかな??」
「知り合いの女子高生に…聞いたんですよ。こんな噂知ってる?って。そしたらこのアクアツアーの話だけは知ってました」
俺はより突っ込んだ話をしたいと思った。
「知り合いの女子高生って、高校の後輩とか?」
初田は少し困った顔をしつつ、耳を赤くしていた。
「そ、そうですね。高校の部活の後輩です」
「へええ、交流あるものなんだ。高校の部活の後輩とか」
少し嫌味が過ぎたかと思ったが、えへへと笑う初田の顔を見て、もっと弄ってやろうと思ってしまった。唇を噛み、ある種憎悪にも似た感情を彼に抱いてしまった。
「小生こうした怪物伝説には目がなくてですなあ〜いやあ楽しみですなあ。ネッシーやイっシーにしてもそうですが、やはりロマンが、ロマンが違いましてですねえ〜」
そう語り始めた岡戸の言葉で、俺ははっと目を覚ました。
「あ、そろそろですよ」
そう初田が言って、俺は切り替え眼前のアクアツアーに集中することにした。流石に彼にぶつけるのはお門違いだと、僅かに残った理性がそう言ったのだった。
アクアツアーの場所は、想像以上に無残だった。何がかと言うと、不気味な化け物がいると噂されていた池の水が、全て抜かれていたのだ。
「なんですかねこれ…」
無論そこに生物など全く見えなかった。流石に興ざめである。初田も拍子抜けな顔をしていた。
「なるほどなるほど成歩堂!!」
その中で1人だけ勝手に納得している男がいた。岡戸憧武である。彼は眼鏡をぐいっと持ち上げてからこう言い始めた。
「これはつまり、錯覚というやつですね。巨大怪物の噂において最も簡潔とされる帰結ですね」
???普段のもったいぶる話し方も相まって、なかなか把握しずらかった。もう少し話を聞いてみよう。そう思い暫く岡戸の独演会に付き合うことにした。
「ほら、遠くの方に管のようなものがあるでしょう??恐らく水量を調節するための管なのでしょう。あの管が尻尾として、枠組みをずっと追っていってみてください。真上から見たら、まるで竜のように見え無いでしょうか??」
た、確かにそう見えなくもない。無機質な鉄の枠組みが地底に潜む竜のように感じた。遠くからならそう見えても不思議でないほどの文様だった。
「でもこれ、相当深いですし、水深まで見ようと思ったらかなり高くないとダメなんじゃないですか?」
「いいところに気付きましたねえ初田君!!!!」
そう言ってぐいっと顔を近づけてくる岡戸に、初田は少しのけ反っていた。
「ここからは私の完全なる主観的見地になるのですが、恐らくこの怪物伝説は一種のプラシーボ効果によるものなのではないかと結論付けられると存じております」
「プラシーボ??」
「そうです。不気味な怪物を実際に目撃したのではなく、とある地点から池を見ると怪物がいるように見えてしまい、不気味さを感じた人々が広めた噂なのではないか。実際に確かめることができないのが惜しいですが、ほらあそこですよ」
そうして岡戸が指をさした場所は、ジェットコースターの頂上だった。
「あそこまで高い所からこの池を見たならば、地底に住む不気味な生き物だと錯覚してもおかしくないのではないか。ジェットコースターは頂上で周りの景色を見るのも楽しみの一つですしね。その中で斜め下を見下ろせば見えるこの池を見た一部の人間の錯覚によって、この噂が立たれたのではないか!」
ここまで言って岡戸は大きく息を吸った。
「そう、小生は結論付けるであります!!!!」
「面白い意見だな」
俺は単純にそう思った。もしかしたら真実は違うのかもしれないが、その説の方がオカルトじみていて面白い。そう思ったのだ。
「僕も思いました…それはありそうですね」
「小生にしては些か現実的なものになってしまいましたがな」
その後、ジェットコースターを調べていた3人が合流し、岡戸は同じ説明を3人にもしていた。
「面白そうな説ね……」
「そうっすね。でも先輩にしては現実的な気もするっすけど」
嘉門も高下も一定の評価を与えていた。
「ねえ、芦里さんはどう思う?」
「えええっ私ですか??」
そう言って少し伏し目になって、
「まあ、面白いと思いますよ。どぶーにしては」
と彼女らしくない小さな声で言った。岡戸は満足そうかつ少し照れつつどや顔をしていたので、
「調子乗るなよお前」
と釘をさすのも忘れていなかった。
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それからまた6人に戻って、今度はお城の調査に勤しむことにした。いくら都市型遊園地と言えどその敷地はだだっ広い。移動するだけで結構な時間がかかってしまっていた。
「先輩暑いですぅぅ」
隣の芦里はすでにバテバテなのか、腰を曲げたまま歩いていた。
「芦里先輩おばあちゃん観たいっすよ」
「な、なんだとぅ」
高下にそう言われ、彼女は姿勢を戻して歩き始めた。
「そもそもここどのくらいまで居れるんですか?」
初田が素朴な疑問をぶつけた。その回答は芦里しか知らなかった。芦里は小学生男子のようなごつい腕時計をみていた。というか今日の芦里の服、Tシャツにパンツルックって彼女がしたら色気より幼さが出る服を着ているな。そんなことを今更ながら思い、少し唾を飲み込み自重した。
「後30分くらいかなあ」
時刻は2時を少し回ったところだった。案外ここに入れない非情だなと思うのか、それとも何の利害関係者でもない俺達をこんな時間まで放置して入れてくれている優しいなと考えるのか、これは人によって分かれるところだろう。
「あまり時間はないですなあ」
どうやら岡戸は前者の考えだったようだ。そして相変らず牛脂のような汗を流していた。
「にしても…本当に広いですね。僕バテそうです」
初田も疲れが顔に色濃く映り始めていた。
「この広さが、少女が消えるって話を生み出したのかもね」
不意に嘉門がそう言った。
「そうかもな」
これに関しては俺も賛成だった。鬱蒼と生える森に、見通しの悪い道に、だだっ広い敷地。これなら、少女がいなくなったりいなくなった少女を見てもおかしくないだろう。たとえそれが誤認であっても、事実であってもだ。
「ふ、ふん!!こんな程度でびびってもらっては、決して富士の樹海には行けないでしょうな」
岡戸は確かに平気そうに歩いていた。まあ暑さには相当やられてそうだったけれど。
「マジすか樹海マジ無理っす」
「な!!!高下氏もか!!!」
「ほら、そんなのあんた1人で行ってこればいいのよ」
「なにをいうか!!!!!一人では何度も行ってい……」
「ついたよ、みんな」
少し先を歩いていた嘉門が、そう言ってドリームキャッスルを指差した。他のものと比べて、このドリームキャッスルはまるで時が止まったかのように綺麗なままだった。汚れ1つない白壁に、屋根部分の赤色と門に飾られたウサギキャラクターのピンク色が鮮やかに主張していた。まるでここだけ、誰かが住みついていて、誰かの手によって掃除されているかのようだった。
こうした外見を見て、むしろ怪しいとなるのが真のオカルト好きである。
「違和感しかないっすね」
高下だけ、それを言葉にしていた。そしてまた、嘉門はふらっとドリームキャッスルへ近づいていった。
「もう1つ、観覧車の方もあるんですよね」
芦里は困った顔をしていた。
「それじゃあ、このドリームキャッスルは上級生で調べるから、観覧車は下級生で調べてくれないか?」
俺は少し焦りながらこの提案をした。こんな時にサークル長という立場は強かった。この案は特に反対されずに可決された。
「14時45分にそこの東門集合でお願いします」
そう芦里が指差した場所を認識して、俺は嘉門の方へついて行った。
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嘉門は夢中になるとどんどんと進んでいくキャラだ。それは前へ進む推進力になる一方で、ある種の危うさも重ね持っていた。
「なんか、面白いものでも見つかったか?」
そう訊いても、彼女は何も返事をしなかった。いつものことだ。嘉門はずんずんと歩いていた。1年生の頃を思い出すな。大体勝手にこんな行動をとって、先輩方に呆れられていた嘉門が、今になって戻ってきた気がした。その懐かしい感覚と、当時の純粋な気持ちが折り重なって、ほんの少し心がほっこりした。
「ねえねえ、要」
嘉門が突然声をかけてきたので、俺はびっくりして一瞬目が虚ろになった。
「ここ見て、ここ」
そう言って指差している場所は、何の変哲もない城壁と草むらとの間だった。
「ん?どこ?」
あまりにも変哲がなかったので、もしかしたら自分の見る場所が間違っているのではないかと思い聞き返してしまった。
「ほらあそこの城壁だよ」
「……何の変哲もない草むらと壁に思えるけど?」
「あのあたり、微妙に草がへなってるでしょ?」
確かに、よく見てみると草がお辞儀したかのように折れていた。少し丈が低くなっていた。
「で?それがどうしたんだよ」
俺は少しぶっきらぼうに訊いた。
「あんな風に草がへなってなるのは、上から何かしらの重力がかかった時くらいよ。大きな動物か…人間か…とにかく、何かしらの生き物があの壁沿いによく行くってことね」
「そんなこと……なんでわかるんだよ」
「私の専門は未解決事件の怪奇現象よ。これくらいのミステリーチックな知識、持ち合わせないと始まらないのよ」
そう言うものなのか…と思いつつも、俺はもう少し彼女の仮説を聴いてみることにした。
「しかも植物の折れ具合は、壁に行くほどどんどんひどくなっていっているわ。普通、あの部分の壁際だけ顕著になるってのは、少なくとも自然的ではない。人工的、意図的な物よ。私はそう思う」
「で、それが何だっていうんだよ」
「ドリームキャッスルにあるとされる地下拷問部屋」
嘉門はそう言って俺の方を見てニヤッと笑った。
「まあ、分かんないけどね」
そうして嘉門は急に立ち上がると、そのまま城壁の方へ歩いて行った。俺はそれを、慌てて追いかけていったのであった。そしてなぜか、鞄の中に入れていた2本の細く頑丈な紐の存在を、思い出してしまったのであった。
集合時間に5人は集まった。真っ先に訊かれたのは嘉門の処遇だ。
「嘉門先輩は?」
そう訊く芦里に俺は少し流し目をしながら答えた。
「あー嘉門なら先に帰ったよ。なんか、バイト先から呼び出されたらしい」
「嘉門先輩、確か飲食っすよね?忙しそうっすもんね」
高下はそう付け足してくれた。それを聞いて他のみんなも納得したようだった。
「そっちはどんな感じだった?」
俺のこの問いに、他のみんなの返事はあまり芳しくない様子だった。
「我が求めるものは何もございませんでしたな」
「ビミョーっすね」
「不気味ではあるんですが、特に何かオカルトめいたものはなかったです」
「成果なしって感じですかね?」
「まあそんなものもあるさ。こっちも微妙だったし」
そしてその日は、現地調査を終え解散した。やらなければいけないことを思い出して、その後よくやっているレジャーや飲み会の予定をキャンセルしたのであった。そして俺は、まっすぐ家に帰っていった。速くなっていく胸の鼓動を、そんな自分存在しないと押さえつけながら……
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夏の日は、夜になってもその気温を下げようとは決してしない。正直言って苦手だ。夏か冬かどちらが好きかと聞かれたら、間違いなく冬と答える自信がある。それほどまでに夏は嫌いだ。何でこんなに暑くするのだ。そう社会のせいにしたくなる。いやここでは社会のせいではなく、環境や自然のせいか。日頃フリーメイソンや政府のことについて批判ばかりしているから、こんな時にも自然物ではなく人工物を列挙してしまった。これも、情けない社会が悪いのだ。
そんなしょうもない愚痴を垂れていた夜の11時、裏野町の駅前に俺はいた。この駅前といってもJRではなく、少し便の悪い私鉄側だ。こちら側からならば、遊園地の裏手側に出ることができた。正門とは反対側であり、入口は存在していない。その結果あまり栄えてはおらず、近くには飲食街も住宅街もないことから人通りは極端に少なかった。
その時の自分の格好は、黒色のズボンに黒色のTシャツだったので、闇に同化してしまうことがしばしばあった。その上黒のカバンを背負ってきていたから、その同化率は増していた。車に轢かれないだろうかという、無駄な心配までしてしまう心の余裕は、いったいどこから湧いてくるのだろう。自分のこの胆力を自画自賛しつつ、俺は遊園地の外壁の前に立った。
よいしょよいしょと、最初の壁をよじ登っていく。この遊園地は二重の壁構造になっており、1重目の壁は低くすんなりと登ることができ、重い荷物を持った状態でも突破可能だ。しかし、2つ目の壁は高くそびえたち、外から中を、中から外を見えなくしていた。遊園地は中にいる人が特別感や異国感を感じてもらうために、このように外界と隔てる高い壁を作る場合が多い。そのため外からこの遊園地で何が起こっているか、把握するのは困難なのだ。しかも裏野ドリームランドは園内にも鬱蒼と木がそこらかしこと生い茂っているから、余計にややこしかった。
俺はそんな、この遊園地に無許可で入場するためのある仕掛けについて知っている。それに気づいたのは本当に偶然だった。今日と同じような熱帯夜に、この壁に沿って行く人が、偶然にも壁の下へ滑り落ちてしまったのを目撃したことだ。最初にそれに遭遇した時にはいたく動揺したことを覚えていた。そしてそれが後々の自分にとって幸運なことであるということは、当時の自分には知りえないことだった。
僕は印としていた蛍光塗料を見つけた。なあに、ただの蛍光ペンの漏れたものだ。夜にならなきゃ目立ちはしない。僕はそこから壁に沿って歩き出し、そして数歩歩いた瞬間にぐっと脚に力を込めて踏み込んだ。ここが異世界への入り口、外界からおとぎの世界への通用口だ。
ずずずずっとズボンが擦れながら、俺は水の無いウォータースライダーを行くがごとく落ちていった。しばらくしたら道がなくなり、そのまま落下。それもすぐに終わり、地面に尻餅をついた。何度やってもお尻が痛い。何かクッションになりそうなものを置いた方がいいのだがこの地下部屋に適切なものは見当たらなかった。いやあるにはあるが、俺はそこまでサイコパスではない。俺は痛がる尻を擦りながら歩き始めた。
「要ーーーー!!!!要ーーーーー!!!!!!!」
大したスペースもないドリームキャッスルの地下部屋だというのに、いやそれだからこそという訳かもしれないが、俺の名前を叫ぶ声がこだましていた。俺はその声を聴いて、つい舌で下唇をペロッと舐めてしまった。
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地下部屋は2つある。園の内部から降りてこられる方と、園の外部から降りてこられる方という表現をするのが最もわかりやすいであろう。昼間に嘉門がこの部屋に入ったのは内部の方だ。俺はぎぎっという音を立ててドアを開けた。そしてスマホであたりを照らすと、そこには細いが硬い紐のようなものでで手足を縛られうつ伏せになっている嘉門の姿があった。
「要!要!!」
そう俺の名前を呼ぶ彼女を見て、滑稽に思えた。俺は黒を基調としたカバンの中から、絵が真っ黒な刃物を取り出した。
「ふざけないでよ!!!要!!!離してよ。1日中ここに閉じ込めちゃって、何かした……」
「お前、今の自分の状況がわかってんのか?」
俺は少し苛立ちながらそう言った。
「ねえ、要。意味わからないんだけど……なんで、なんで私、こんな風に……」
「そんなこと一つしかないだろ?隣の部屋を見たからだ。ったく、ここの部屋に入ったのもそうだけど、昔から嘉門は好奇心が強すぎるんだ。まさかここに落ちる奴が他にいるとは思ってなかったよ」
そう言いながら俺は刃渡り10センチほどの小さい包丁サイズの刃物をぐっと握った。
「ってことは………向こうの部屋にあった少女の死体の山は……」
「勿論、全員俺が殺したんだ」
「何でそんなこと……」
そう言って口ごもった嘉門は、急にはっとなって俺に尋ねてきた。
「もしかして、最近続いている神隠し事件って……」
「そうだよ。あれは全部、俺が犯人だ」
タンタンと足音を鳴らしながら俺は嘉門に近づいた。
「残念なことにな、ここは何のためかわからんが拷問部屋になっている。防音になっているから泣いても叫んでも誰も助けになんて来ないさ。人を殺すにはうってつけだし、何より直に潰れてしまうこの建物ならば、ほぼ誰も立ち寄らない」
そして嘉門の前に立って刃物の刃先を見せつけた。
「わかるか?もうお前は助からないんだよ。ここで俺に殺される……まあ、手足縛られた今の状況だったら、何もしないでも死んじまうかもだけど……サークル長としての優しさだよこれは」
ぶるぶると震える唇、絶望に引き締まった表情、救護と慈悲を訴える視線、全てが己の欲望を満たしてくれる。至極の幸福だ。いつからこんな風になったのか、そんなことは自分にすらよくわからない。それでも今俺は絶頂を迎えようとしている。長い髪に高い背、少し大きな胸は、個人的なストライクゾーンからは外れていたが、それでもこの興奮は収まるところを知らなかった。
「ねえ、要。1つだけいいかな?」
もう刃物を振りかざさんとしていた俺を、彼女は止めた。
「昔からあんたは、そんな人だったの?」
一瞬止まった俺を見て、彼女は続けた。
「サークルに入ってきた時からずっとそうだったの?夏の合宿で肝試ししてる時に私の話の方が怖いって無邪気に笑ってた時からそうなの?クリスマスみんな一人身で寂しいからって君の家で鍋パやって、チョコ持ってきた先輩に憤慨しながら全部食べてた時からそうだったの?春の新歓で都子ちゃんと岡戸君が来て、そのどちらの話にもしっかりと丁寧に答えてた時からそうだったの?サークル長に選ばれて戸惑いながらも照れて誇らしそうだったあんたも、本当は奥深くでそんな感情を持っていたの?」
スマホのあかりしか照らさない暗闇の中で、彼女の独白は続いた。
「私、昔っから結構あんたのこと、いいやつだなって思ってたんだよ。高校の時とかは全然人に言えないようなことも、隠してしまいこんでいたようなことも、このサークルだと、あんたの前だと言えたんだ。それだけじゃない。あんたは自分の専門領域の話をしてる時、ものすごく生き生きしてた。無邪気で、活発で、それでもって周りへの配慮も怠らない。そんなあんたを、私は買ってたんだよ。こんな風に刃物を振りかざす要なんて、見たくないよ……何でこんなことになったの???」
「それとも……由梨乃さんに、手を出してから?」
ぶちん!!何かが切れる音がした。恐らく堪忍袋の緒だ。俺は持っていた刃物を振りかざし、そのまま地面に突き刺した。嘉門とは目と鼻の先の所だった。
「やめろ……………」
嫌な思い出が頭をめぐる中、俺は嘉門をぎっと睨みながら歯を食いしばって言った。
「その名前を出すな!!!」
そしてここからである。誰かの声が、部屋中に響き渡り始めたのだ。
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〈ねえ〉
一言そう聞こえた。
〈ねえねえ〉
二言に増えた。少女の声だったが、のどを支えたかのように枯れた声をしていた。不気味で仕方なかった。
〈ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ………………〉
そしてそれが何重にもセッションし始めて、俺の鼓膜を侵略し始めた。
「なんだよ!!!!なんなんだよ!!!!!!」
俺は差した刃物から手を放し、耳を抑え始めた。
「なんなんだよこれ!!!!おい、誰かいるのか!!!!おい!!!」
そして辺りを叫び始めたのに、誰も出てこなかった。誰も出てこないのに、どことなく不気味な声が響き渡っていた。
〈何で殺したの?〉
どこかで誰かがこう言った。
〈なんで私を殺したの?〉
少しだけ間をあけて更にこう続いた。
〈私が何をしたの?私何か悪いことしたの?迷惑かけた?責任とらされた?ねえなんで?なんで?なんで?〉
耳を抑えても声は消えないどころか、むしろ大きくなっていくかのように思えた。
〈なんで?なんで?なんで?〉
しかもそれは明らかに1人ではない。2人でも3人でもない。数十人の幼女が耳元で囁いているような、そんな錯覚をしていたのだった。
〈どうして私達を殺したの??〉
〈ねえなんで?〉
〈教えてよ〉
〈私、もっと長く生きたかったのに〉
「お前ら何人で言い始めてんだよこの野郎!!!でてこいぃぃぃぃ!!出て来いってんだぁぁぁぁ」
「ねえ、ねえ要どうしちゃったの??」
そんなとぼけた声を出した嘉門に、俺は改めて殺意が沸いてきていた。こんなしっかり耳元に残るざらついた声、聞こえないわけがない。恐らく俺がこうして苦しんでいる姿を見て、まるで俺が狂っているかのように演出しようとしているのだ。待てよ……
「そうか、そう言うことか……」
「お前がこの声を仕組んだんだな」
自分でも驚くほど冷酷な声が出た。
「へっ!?!?!?!?!?!?」
「お前がこの不気味な声を聴かせてんだな!!こいつ、どこにスピーカーをしかけやがった!!!」
「ねえ、ちょっと待って要!!!何言ってるの???さっき自分で言ってたじゃん、2人の声しか聞こえない、外の声は聞こえないって」
「そうやって俺を狂人扱いして、精神を崩壊させるつもりなんだな!!!!!こいつ、許さねえ」
「ちょっと待って要話を聞いて!!!それは、君の幻聴だよ」
幻聴?そんなわけないではないか。こんなにもはっきりと小声で聞こえているのに、そんなことあるわけがない。俺は正常なのだ。嘉門が異常なのだ。
「おい今すぐ止めろ!!じゃねえと殺しちまうぞ」
そう言って俺は嘉門に刃物を突き立てた。嘉門は怯えた表情でこう言った。
「やめて………やめてよ………落ち着いて……殺さないで……」
そう言いながらも耳元に残る声は継続されていた。ひたすら何でと言い続けていた。俺は狂ってしまいそうになりながら頭を抑えていた。
〈その女の子は関係ないよ〉
ある幼女がそうつぶやいた。
〈関係ない、関係ない〉
〈私は貴方みたいに、大人に汚され殺された子たちの集まり〉
〈貴方みたいな人に、復讐がしたいんだ〉
〈貴方みたいな人はいっぱいいたんだよ〉
〈貴方みたいに私達の初めてを奪って、ここに死体を捨てる人なんて、いっぱいいたんだよ〉
〈気づいたらここはこう言われるようになったんだ。拷問部屋だって〉
〈正確には『拷問された人の部屋』なんだよね〉
〈そしてここで、貴方みたいな人に責任を取らせるのよ〉
「拷問部屋???そんなもん聞いてねえぞ!!!そんな非現実なものあるわけねーだろうが!!!おいお前らいったいどこから言ってんだ!!!」
「幽霊?」
ぼそっと嘉門が言った。
「もしかして、あんた幽霊に憑りつかれてるんじゃないの??だって、私の知ってる君じゃないもん。私の知っている君は、こんなことしないもん」
〈憑りついてなんかないよ〉
幼女のこの声も、嘉門には聞こえていない様子だった。こんなことしないと呟き続けていたことから、それは自明の理だった。
〈ねえ、説明して〉
〈なんで私達、殺されなきゃいけなかったの?〉
〈なんでいきなり私達のこと襲って、痛いことしたの?〉
〈ねえなんで?なんでなんで?〉
「あーもう!!!!!!うっせぇんだよ!!!!!」
いきなりの大声に目の前の嘉門がビビってしまっていたが、それに気にも留めず俺は叫び始めた。
「悪くねぇ、俺は悪くねえよ!!!!だってあいつが、あいつが……あいつからしたいって言ったのに、俺たち愛し合ってたのに……いきなり人をストーカー扱いしやがって……そうだ。あいつが悪い。ちょっと女子高生だからって……守られてる立場だからって……そうだ!!あいつのせいでこんな幻聴が聞こえるようになったんだよ!!!あいつのせいで犯罪を犯すようになったんだ!!!!あいつが俺の愛を受け入れてくれていたならば、こんな馬鹿なこと考えすらもしなかったんだ!!!!」
そして俺は少し目を伏せていた嘉門にこう尋ねた。
「ほら、嘉門は知ってるよな??下宿先にあの子を持ってきて、警察に補導されかけた話の時、俺のこと庇ってくれてたよな???だからわかるよな!?あいつのせいなんだよ!!!」
〈それで?〉
冷淡な声が、脳を冷たく刺激した。
「そもそも女子高生と付き合ってはいけないなんて言う世界が間違っているんだ!!そうだろ?もう女子高生は誰かと結婚できる年齢なのに、それを拒絶するこの世界が間違っているんだ!!法律で我々の行動を縛るこの社会がおかしいんだ!!少女を守るという名目で若さに嫉妬するこの社会の大人たちの嫉妬心が生んだ悲劇なんだ!!!そうだこの社会が悪い。俺は悪くない!!!」
〈それで?〉
「マスコミだってそうだ!!!フリーメイソンだってそう!!!援助交際に関する法律改正においてある程度高校生側にも責任を生じさせる議論において多数のバッシングを飛ばしたじゃないか。そうだあいつらだ。あいつらみたいな高校生を守ろうとする集団が、こんな生きづらい世の中を作っちまったんだよ!!!」
〈それで?〉
まだ冷たい声は継続されていた。俺は更に言葉を紡いだ。
「いや……最初から殺すつもりはなかったんだ。すれ違った瞬間に嘲笑した地元の小学生にイラついて、ちょっと制裁を加えようと思っただけなんだ。最初は殺すどころか、初めてすら奪うつもりはなかったんだ。そしたら裸で逃げ出した女の子が偶然ここに落ちて………そう、そうなんだ。あいつも悪い。俺のことを笑ったやつが悪いんだ。俺は悪く……」
〈それで?〉
声色は変わらず、静かな怒りで満ちていた。その声にビビって、遂に俺は言葉を発せなくなった。誰かのせいにできなくなった。それを見透かしたかのように、彼女らは口々に呟き始めた。
〈君のせいだよね?〉
〈全部君のせいだよね?〉
〈君の欲望を満たすために、私達は襲われたんだね〉
〈それで見つかりたくないから私達を殺したんだね〉
〈しかもそれを人のせいにするんだね〉
〈社会とか誰かのせいにしてさ〉
〈私達は、何で殺されたのかな?〉
〈君の都合で、殺されたんだね〉
〈そんなの自明なことじゃん〉
〈無責任だね〉
〈自分勝手だね〉
〈最低だね〉
〈ねえ返してよ〉
〈私達の人生を、返してよ〉
やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ!!!!俺は言葉にならない声で叫んだ。それでも声が鳴りやまないから、遂に叫び始めた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
耳を抑えられない嘉門は、本当につらそうにこの叫び声を聞いていた。それでも俺は叫び続けていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
しかしながら、叫び続けていても悪魔のような声は消え去らなかった。
「ねえ、やめよう!要。自首しよう」
もう嘉門の言葉は、聞こえても脳が処理する気をなくしてしまっていた。
「今は幻聴が聞こえてるんだよ。ほら警察に行こう。それで罪をつぐな……」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
もう何も考えられず、ただかすれた声で叫び続けていた。でも、どれだけ叫び続けても、その声は決して聞こえなくならなかった。
〈許さない〉
突然の宣言だった。
〈許さない〉
次々とその声が重なっていった。
〈許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない〉
「もう、いい加減にしろよ!!!!!!!!!!!!」
そう大声で叫んでも、声は消えないどころかどんどんと大きくなっていく気がした。
〈絶対に許さないから〉
そう言われた瞬間だ。悪寒が走った。何かやばいことになる。そう思って逃げ出した。こんなところから出てやる。外側にはもう一つ帰るルートがある。そこから外に出よう……
〈逃がさない〉
〈逃がさない〉
〈久しぶりにあれをやろうよ〉
〈そうだね、やっちゃおやっちゃお〉
〈裏野ドリームランド名物、叫ぶ観覧車〉
「やめろ!!!!!くるな!!!!!!くるな!!!!!!!」
〈全部、貴方が悪いんだよ〉
その声に儂は足を止めてしまった。動きたくても動かなくなってしまった。
〈社会が悪いんじゃない。交際相手が悪いんじゃない。学校も友達も、誰かもなにかも、悪いんじゃない。悪いのは全部貴方、貴方なんだよ〉
登ろうと思った道の途中で、俺はへたり込んだ。
〈自分の責任を自分で取れないんなら、取らせてあげるよ。貴方の言う通り、強いて責任を他に押し付けてみよう。そうだね……この裏野ドリームランドに来てしまったことが、運のツキだったね〉
そしてまとわりつくかのように少女たちは囁いた。
〈私達は、ここのドリームランドに巣食う私達は、絶対に貴方みたいな人を許さないから〉
そこからの記憶はもう、なかった。
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では次のニュースです。本日未明、○○県○○市で先月廃園になった裏野ドリームランドの観覧車にて、男性の死体が入っているとの通報がありました。
死体で見つかったのは○○市立大学に通う杉常要さん(21)。遺体には首に引っかき傷が大量に残っており、また体中に大量の擦り傷の切り傷が残っていたとのことです。直接的な死因については、まだわかっておりません。
事件当時観覧車は動いておらず、外からは開けられず中からしか開けることのできない構造だったとのことです。
観覧車内には遺書のようなものが残っており、そこには血で『すべて私の責任です』と書かれていたとの情報もあります。
警察は自殺と他殺両方の面で調べています。また、この近辺では少女の失踪事件が相次いでおり、警察はその関連性について調べています。
あ、今入ってきた情報です。杉常さんはこの遊園地をサークル活動の一環として昨日訪れているとのことで、その際に同じサークルの一人が失踪し昨日の夕方から家に帰ってきていないとのことです。警察は今回の事件との関連性について調査していくとのことです。
「どう思いました?この事件」
「いやあ痛ましいですなあ。どうしてこんなことになってしまったんでしょうか」
「何か異性関係や友人関係で悩みがあったのではないでしょうか?周りの友人たちも誰か止めることはできなかったんですかね?」
「若者というのは一時の衝動に身を任せるものですからな。それを止められない親の責任では?」
「それを言うなら学校の責任でしょう。最早大学生といっても、1人の生徒、子供として扱うべきです」
「最近は鬱屈とした社会になっていますからね。これもすべて現政権が悪い」
「本当に、嫌な世の中ですね。こうした凄惨な事件が減っていくことを、切に願っています」
「それでは次のニュースへまいりましょう……」
〈全部、そいつのせいだろ〉
〈何もわかってないな、この世界の人達は〉
〈誰かのせいにして、犯罪を犯すなんてもってのほかだ〉
〈でもそれを、無理やり他のもののせいにする〉
〈何でだろうね?〉
〈そりゃ、その方が楽だからだろ〉
〈自分の批判したいことも批判できるしね〉
〈ねえ、一体次はどんな人がこの拷問部屋に落ちてくるのかな?〉
〈そう遅くないかもよ……なんてね〉