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三階から屋上へとつながる階段の前に着いたところで、遙一たちは足を止めた。
ここに辿り着くまでに鷹谷はしきりにカメラのシャッターを切っていた。天井や踊り場の隅など至る所でだ。おそらく一人で二階を歩いていた時にも数え切れないほどシャッターを切っていたのだろう。
「行くぜ」
三枝が懐中電灯を照らしながら先頭を行き、平然とする鷹谷が続く。遙一はその後を気後れしながらも追った。
三人それぞれの足音によって、それまで静かだった階段が途端に騒がしくなる。踊り場を経由し、更に階段を上がってようやく屋上の外につながる白い鉄扉の前に着いた。ここで鷹谷は白い鉄扉を写真に収めた。
「覚悟はいいな? 一気に開けるぞ」
三枝は鉄扉の前に立ち、ドアノブを回そうとした。と、同時に固まった。そしてドアノブを握ったまま不満げな面持ちで背後の二人に振り返る。
「なあ? 鍵かかってるんだが?」
「え!?」
遙一の顔が瞬く間に険しくなり、盗まれて空になった金庫を目の当たりにした持ち主のように狼狽しだした。
三枝を押しのけるようにして遙一はドアノブを奪いとると、それを右へ左へと何度も回そうとしてみた。だが、ピクリとも動かない。遙一の後ろでは三枝と鷹谷が互いに怪訝そうな顔をつきあわせていた。
「どうなってんだ!? さっきは確かに開いたんだ!」
遙一は二人に振り返ると、自分は無実だと言わんばかりの勢いで訴えかけた。
「わかってるよ。だから屋上の写真があるんだろ。でもいったいどういうことだ?」
試験で難問にでも直面したかのように三枝は顔を強張らせた。
遙一はもう一度ドアノブを見る。本当に鍵がかかっているのかと疑念を抱いたのだ。
ここの建物自体は老朽化しているのだ。先程は楽に開いたが、少しの時間差で何らかの変化が起こったのではないか。
例えば、建物の構造に少しの歪みがごく数分の間に発生して、それが扉に干渉して開けにくくなってるのではないかと思った。だが、それくらいならばドアノブくらいは回ってもいいはずだ。
もしくは、先ほど自分が逃げ出した直後に、さっきの少女が屋上を去る際に鍵をかけたのだろうか? いや、そもそもさっきの少女は人間だったのか? それとも三枝の言う幽霊なのか? またその疑問に行き着くのか。
「何がどうなってるんだよ!」
遙一は両手を扉に押し付けたままうなだれた。それを見た鷹谷が何かを思いついたように開口した。
「一つ考えられることがある。ここを管理している人がいたってのはどうかな?」
遙一と三枝が驚いた顔で同時に鷹谷を見た。
「仮にこの旧校舎に管理人が住んでいたとしよう。管理人が俺たちの侵入に気づき、たまたま遙一の後をつけた。そしたら遙一は屋上に向かい、なんとここの扉を開けてしまった。管理人はうっかり屋上の鍵をかけ忘れていたのだ。そして遙一が屋上を去った後、管理人は鍵をかけてここを去った。だから、何も知らない俺たちが屋上に戻ってきた時には既に鍵がかかっていた」
「え!? じゃあここ管理人いんのかよ? ネットにはそんな情報はなかったんだろ? それに校内でもそんな話一度も聞いたことないが」
「ああ。でもここも一応は学校の敷地内なんだ。いたとしてもおかしくはないよ」
鷹谷が即席で組み上げた仮説に三枝が納得しているところへ、遙一が割り込んだ。
「ちょっと待てよ! なら、俺が見た女子は?」
「錯覚だろう」
鷹谷がさも当然であるかのように即答した。
「錯覚って……俺この目でちゃんと見たんだぞ」
「怖い怖いと思ってたから、そこにあった何かを人と見間違えたんだ」
「見間違えって……さっきの写真じゃあ柵以外何も写ってなかったろ! 何と見間違えたって言うんだ?」
「はいはいそこまで!」
遙一と鷹谷の応酬を遮るように三枝が両手で二人の距離を押し広げた。
「とにかく、管理人がいるってんなら早々に出ちまおうぜ。言い争いは外でもできる」
「そうだな。ひとまず引き上げよう」
屋上の鉄扉に背を向けた三枝と鷹谷はそそくさと階段を下りていく。
遙一は口を閉ざしたまま、階段を下っていく二人を唖然とした面もちで見届けた。
やがてその場にうなだれた遙一だけが残された。
もう一度だけドアノブを回してみたが、やはりそれはぴくりとも回らなかった。
「本当、何がどうなってんだか……」
そうぼやいて鉄扉から視線を逸らして振り返る。先程は怖ろしさのあまり全力疾走したルートだということすら忘れて、遙一は力なくとぼとぼと階段を下りていった。
その後、先ほどの肝試しのゴール地点である旧校舎一階の階段前で待っていた二人に合流すると、侵入に使った窓を潜り抜けて外に出たのだった。
旧校舎の前にある雑木林の中を歩く。来た時同様に三枝が懐中電灯片手に先頭を、そのすぐ後ろを鷹谷があちこちの木や地面に向け一眼レフのシャッターを押しながら続く。
鷹谷から二メートル程後ろに遙一がいるが、苦手だった肝試しも済んだというのに活気なく歩いていた。
鷹谷のカメラが放つフラッシュが、雑木林の中を壊れた街灯のように瞬間的に照らす。それをぼんやりと見ながら遙一はふと考えた。
今回の結末は全く予想だにしていなかったものだった。何も見ることなく無味乾燥としたまま肝試しを終えるか、はたまた、この世のものではない何かが現れて三人で旧校舎大脱出が勃発するか――そんなことは是が非でも回避したいが――そのどちらかだと思っていた。だから、こんな中途半端な終わり方に、遙一は自分でもよくわからないもやもやしたもどかしさを抱いていた。
ふと頭上を見上げると、絡み合う木々の枝葉の隙間から星空が見えた。夕方の天気予報では今日に引き続き明日も晴天だといっていた。雑木林を抜ければ、頭上には雲一つない星空が広がっているだろう。
「うわっ!?」
と、遙一は頭上を仰いだまま歩いていたものだから、地面から這い出た太い根っ子に足をとられて転倒してしまった。
ドサッという音に、前方を照らしていた三枝の懐中電灯がぐるりと高速半回転し、遙一を照らし出した。
「何やってんだよ! びびったじゃねーか!」
「悪い。足をとられた」
ばつが悪そうに遙一は苦笑いしながら立ち上がり、土のついた膝やお腹をはたく。が、その時、背筋にゾクッと不快な寒気が走り、はたいていた手が止まった。
遙一に起こった異変を目にして、どうした? と三枝が声をかける。が、それよりも早く、遙一は背後へ振り返る。
だが、後ろは延々と闇が続くばかり。
(違う。もっと上だ!)
視線を少し上げると、雑木林の枝葉の隙間からは旧校舎の三階部分が見えた。そして旧校舎の屋上が視界に入る。更に言えば、屋上の中心辺りに人影のようなものが月明かりを浴びてうっすらと見えた。
闇の中に溶け込んでじっと獲物を狙っているかのように、不気味に輝く双眸。動物ならまだしも、あの人影が本当に人だとするなら眼が光ることはない。そうなると、あの人影の正体はなんだというのか。
遙一にはその人影が真っ直ぐこちらを見下ろしているように思えた。
(まさかさっきの!?)
ここから旧校舎屋上までは直線距離でもかなり開いている。だが、どう見てもそれは幻覚や見間違いなどでは決してないと確信できた。
「おーい! どうしたんだ?」
三枝の声に我に返った遙一は二人に振り返る。
「屋上だ! 誰かいる!」
一大事が起こったような遙一の物言いに、三枝と鷹谷は気圧されつつも言われた通り屋上の方角へ視線を向けた。
二人からコンマ数秒遅れて遙一も再び旧校舎屋上を見上げる。が、人影はもうそこにはなかった。おそらく二人が見たときには人影はもう消えていたかもしれない。
まるで翻弄されてるように思えて、こみ上げてきた怒りから遙一は舌打ちし、二人に視線を戻した。
「悪い。何でもないわ」
二人は怪訝そうに遙一を見る。案の定二人は人影を見れなかったらしい。
鷹谷は心配そうな面持ちで遙一の前までやってきた。
「疲れてるんだ。帰ったらゆっくり休みなよ」
その後ろでは居たたまれなさそうに三枝が遙一を見ている。
「なんか……すんげー罪悪感。強引に連れてきちまって悪かったな」
「ちょっと待て! そんな痛いやつを見るような目で俺を見るな! 俺は正常だ! おい! ちょっと!」
右腕を三枝に、左腕を鷹谷につかまれた遙一は、雑木林の中を引っ張られていく。
「俺は捕獲された宇宙人じゃねえぞ!」
遙一はたまらず雄叫びを上げた。
その後、三人は雑木林を抜けて、来た時と同様にグラウンドを縦断し、柵を飛び越えて学校の敷地から出た。
日付はとうに変わっていた。心配されるあまり、遙一は二人に付き添われて帰路を歩いたのだった。