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真っ暗闇のグラウンドを三枝が一瞬だけ懐中電灯で照らし、すぐに消灯する。
「あっちだ」
彼が灯りで示したその先が、進むべき方角だ。
再び三枝が先頭を行き、遙一と鷹谷が後に続く。三人はグラウンドを、右手側にある校舎側へ向かうように斜めに横断していった。
しばらく進むと目の前に校舎の白い側壁が現れた。
ここでまた三枝は懐中電灯をつけた。今度は点灯させたままである。先ほどの車道からはもう離れているので、この灯りで目立つことはないはずだ。
目的の場所はここから少し歩いた先にある旧校舎だ。
校舎から少し離れると闇の中から雑木林が姿を現した。
突如暗中から姿を見せたこの雑木林は日中でも暗く、年中ほとんど人がよりつかない場所である。旧校舎はこの雑木林の奥だ。
遙一はここから先に進むことには抵抗があった。昼間なら誰かと一緒でならなんとか入っていける。だが真夜中ともなると話は別だ。日中とはまるで違うその不気味な様相に、入るのを躊躇しないわけがない。だが、二人が平然と先を進むので、取り残されるわけにはいかないと、遙一はなくなく後に続いた。
暫く歩いていると、
「おい! こんなとこにエロ本落ちてるぞ!」
雑木林の中で三枝が突然声を上げ、懐中電灯でとある木の根元を照らした。そこには半裸の女性が表紙を飾る数冊の雑誌が落ちていた。
遙一はそれらに微かに見覚えがあった。鷹谷もどうやらそのようで、前に立つ三枝の左肩を叩いて、
「自分のだろ。もう忘れたのか」
呆れ顔でそう呟く。三枝はばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「ホントだわ。そういえば捨てる場所に困ってここに放置したんだっけ」
それから再び三人は進み、雑木林に入ってから数十メートル程歩いたところで、ようやくそれは影を現した。
三枝は懐中電灯で眼前の不気味な建物を、大きな円を描くように照らし出した。
その建物は木造三階建てだった。旧校舎のその全容は、使われていた当時と差ほど変わってないのではないかと思われた。外観からは荒らされたり落書きされたような形跡がほとんど見受けられなかったからだ。規則的に配置されたいくつもある窓ガラスも全く割られていなかった。やはり、学校の敷地内にあるからだろう。侵入を企む者がいたとしても、そう簡単には手が出しにくいのかもしれない。
実はこの旧校舎であるが、数週間後に迫った夏休みの間に解体予定となっていた。そのために出入口は全て立ち入り禁止となっており、完全に締め切られていた。
遙一は建物の周りを漂う重苦しい空気を肌に感じながら、どちらにともなく尋ねた。
「今更だけど、なんで男三人で肝試しなんだ? 虚しいだろ」
「仕方ないだろ。俺らみんな女子に縁ないんだからな」
三枝は自嘲気味に笑う。
「それに、旧校舎の取り壊しも近々行われるんだ。ここで心霊写真をばっちり撮ってやりますよ」
鷹谷は身につけたウェストバッグを漁ると、そこからいかにも高価そうな一眼レフのデジカメを取り出した。そして唐突に旧校舎の中央にある出入口周辺を撮影した。
「いらねーし! いきなり撮るな!!」
遙一は不満そうにごねた。
「見る?」
と、鷹谷がデジカメの画面を無理やり見せようとしてきたので、遙一はそれを両手で押し返した。
「例の噂が本当かどうか確かめてやる。上半身だけの女がすごいスピードで這って追いかけてくるってやつ」
三枝の言う噂とは、ホラーを扱った書籍や漫画などで語られるような、そんなありきたりのものだった。それでも遙一の頭にはその映像がありありと浮かんでしまい、肩を震わせ慄いた。
「おい! 思い出させんな!」
その噂の女は、夜の旧校舎のいずれかの階の廊下に出没するという。
実はこの旧校舎、インターネットの心霊サイトにも度々掲載されるくらい巷では有名な心霊スポットとなっていた。しかし先述したように潜入は困難を極めるため、旧校舎の外観や中を写した写真は他の有名心霊スポットに比べると少なかった。そんな心霊スポットである旧校舎が近々取り壊されるということになったため、遙一を除いた二人が肝試しをしようと決断したのだ。
遙一は前述のとおり極度の怖がりだ。だが二人にある弱みを握られているため、いくら怖くても成す術もなくついていくしかなかった。
その弱みとは極度の怖がりということ自体である。そのことを周りに言いふらされたくなかったのだ。
弱みを握られている挙句、更にその弱みが悪化しそうなことを無理強いさせられているのだから最悪である。
鷹谷が先ほど写真を撮った旧校舎のちょうど真ん中に位置する出入口は、緑色のペンキで塗られた観音開きの鉄製の扉によって重く閉ざされていた。
単に扉の鍵が壊れているからか、もしくは旧校舎内への侵入を扉の施錠に加えて更に困難にするためにか、その答えはわかりかねるが、緑色の鉄扉は南京錠と鎖で厳重に封鎖されていた。
左右の鉄扉の上半分には窓がはめ込まれてあるが、窓の向こう側は当然真っ暗闇で何も見えない。南京錠の繋がれた鎖にはラミネートされた『立入禁止』の標識がぶら下がっていて、夜風に小さく揺れていた。
これだけ厳重に封鎖されているのだから、侵入するのは困難を極めるだろうと誰もが思いそうだが、遙一は安堵できないでいた。
旧校舎には学校関係者も知らない秘密の進入口があるというのだ。
これは事前に鷹谷がネットで調べて見つけた情報なので嘘か本当かは試してみないとわからない。その情報とは、今三人がいる旧校舎の中央出入り口の向かって右側にあるいくつかの窓のうち、一つだけ鍵が壊れていて常時開いている窓があるというのだ。
三枝は懐中電灯片手に、出入口のすぐ傍の窓から順に開いてないか確かめていった。その間、遙一は全てが閉まっていますようにと心中で懇願した。が、その願いは呆気なく散った。
扉から五つ目の窓が、がらがらと音を立てて開いたのである。
「ひぃっ!!」
遙一は反射的に驚いてびくっと体を揺らした。
「よっと!」
戦慄している遙一を意に介すことなく、三枝は開いた窓から旧校舎の中へと侵入する。
「なあ? 帰ろうぜ。幽霊だか妖怪だかを写真に収めたって何の得もないんじゃん」
「は? いいじゃん。こういうのって取り壊される前に記念に撮っときたいもんだろ」
窓枠越しに三枝が楽しげに答える。
遙一のすぐ隣では、鷹谷がいざ侵入しようと、開いた窓枠に両手を置いていた。
「意味わかんねえよ」
三枝に続いて難なく侵入を果たした鷹谷を尻目に、遙一はため息をつくと、弱みを握られているが故、なくなく窓枠から旧校舎内に侵入したのだった。