【7部 洞窟の外の現実】 7-1 アリドからの手紙
リトは寝ぼけ眼をこすって起きあがった。
「ほらリト、変化鳥が来てる」
再度耳に届いたのは巳白の声である。
リトはゆっくり辺りを見回す。 変化鳥といえばアリドが飼っている、周囲のものに色を合わせることができる異生物を思い出すが――
「あ」
リトは思わず口に出た。 全体的には少し首の長い鷹のような、オウムのような頭の鳥。 星空を切り取ったようなその姿から赤や黄、緑や青などのカラフルな羽毛。
そう、この洞窟の中に確かにその変化鳥がやってきていた。
変化鳥は、キィイと一声鳴いた。
「変化鳥!」
リトが声をあげると、まるで返事をするかのようにもう一度変化鳥が鳴く。
巳白が顔でしゃくって変化鳥の足をさす。
「足にアリドからの手紙がついてる。 俺の分は取ったんだけど、リトの分は取らせてくれなくてさ。 取ってきなよ」
巳白の言うとおり、変化鳥の足を見ると伝書鳩のように手紙が結わえ付けられていた。
「えっと、これって、アリドから?」
リトが口にすると変化鳥が再度キイイ、と鳴いてすぐ手紙を取れと言わんばかりに足を振る。
「ああ、ハイハイ」
リトは慌てて手紙を外す。 今度はクルル、と変化鳥が鳴く。 読めとせかしているようだ。
「あら! クルル、って? 大人と同じ鳴き方ができるようになったのね! 変化鳥……って、ゴメンなさい。 はい、読みます」
変化鳥にギロリと睨まれてリトは慌てて手紙を開く。
手紙にはアリドの下手な文字がつづられていた。
リトへ
生きてるか? 安心しろ。
来意が何も言ってなかったから絶対助かるから。
ラムールさんだっているし。
必ず無事に助かるから諦めるなよ。
たったそれだけの手紙だった。
しかしリトはそれだけでも嬉しかった。
手紙をきちんと折りたたんで握りしめる。
「俺のも読む?」
巳白がリトに自分の手紙も見せる。
巳白へ
もうガキは喰ったか?
って冗談はさておき、お前のことだから平気だろ?
なかなか帰ってこないのは翼でも怪我して飛べないってとこか? 間抜けだなぁ。
実はそんな中悪いんだけど、お前を捜しに行ったリトが同じ洞窟のどこかに落ちたらしい。
オレも探そうとしたんだけど、ちょっとマジ無理。 暗すぎて見えない。
だから来意が帰ってくるまで手も足も出ない状況。
とりあえず無事には助かると思うんだけど、やっぱり一人ではリトも心細いと思う訳
お前ならこの暗闇でも多少目は利くだろ? どーにかしてリトを見つけて一緒にいてくんないかな?
検討を祈る。
そうそう。 この変化鳥、お前とリトは喰わないと思うけど
他の人間はどうか分からないから子供だけを先に外の世界に運べなんて命令はするなよ。
それとこの変化鳥に捕まって飛んで脱出しようともするなよ?
こいつ、体力はあるけどつかまっている人間の分のスペースとか考えずに小さい横穴とか平気で入って行くからな。(体験済)
リトは微笑んだ。
巳白はリトから手紙を取ると、自分の羽を一本抜き、羽ペンがわりにして返事を書く
了解! もう、リトも一緒だよ
水も食い物もあるから元気だって弓に伝えてくれ
「ゴメン、これを変化鳥の足に結わえてくれるかな?」
巳白がリトに手紙を渡す。
リトは頷き変化鳥の足に手紙を結わえる。 変化鳥は驚くほど静かに結わえさせた。
手紙を結び終えたその時、リトは自分の腕が両方あることに微妙な違和感を覚えた。
――ああ、あれは夢だったから……
リトはそう感じながら両手を見る。
「んじゃ、変化鳥。 アリドによろしくな?」
巳白が変化鳥に声をかけると、変化鳥はクルル、と一度鳴いて洞窟の中を飛び立つ。 変化鳥の鳴き声と羽ばたく音が聞こえなくなるのにそう時間はかからなかった。
「さ、あともう少しの辛抱だ」
巳白が励まし、リトは頷いた。
キーボードを叩く指の軽やかな音が、やっと止まる。
「……で、enter、ね。 これで完成」
シンディは小指でenterのキーを押す。 行動室の部屋に久々に静寂が訪れる。
「思ったより長くかかったな、シンディ」
コーヒーを飲みながらトシが視線を向ける。
「あ゛ーっ、疲れたわっ。 思ったより長くかかったですってぇ? 当然でしょ。 全部の資料のつじつまを合わせてこの国を襲った翼族が他国で発見、退治されました、って物語を作らなきゃいけないんだから」
コンピューターの画面がちかちか点滅する。
シンディはそれを斜めに見る。
「【狂った翼族】の存在は翼族調査委員会の中でもトップシークレットなんだから、色んな鑑定をしたところでヒットしないわ。 だから証拠を残さないように、後から他の人が検索をかけても分からないように書類を作るのって大変」
それを聞いてトシが軽く笑う。
「しかも今回は保護責任者が立ち会ったからな。 奴にも書類を見せなければならないだろうし」
「そうなのよ。 ラムールに見せないでいいのなら簡単だったんだけどねぇ。 もしも書類の写しを渡せと言われたら面倒だし。 この国に片腕の翼族しかいないんなら両腕持っている【狂った翼族】は用無しも用無し。 あいつの片腕を切り落としてもう一度放つって手もあるけど、それじゃあその後が使えないし」
シンディが深くため息をつく。
「……私達が探している人間がこの国にいるかもしれないって分かったのにとんだ手間だわ」
そして大きく背伸びをする。
それを見てトシが少し考える。
「だがなぁシンディ、俺は考えたんだが、翼族が絶対手出しをしない人間、なんて本当にいるのか? あの手形だけじゃどうにも確信が持てないんだけどな。 だいたい、あの【狂った翼族】も、おまえには手を出さないじゃないか」
シンディがムッとした表情で「制御器を使うからよ」と一言、トシに告げる。 トシは鼻の頭をかきながら続ける。
「俺はそれより早くあの巳白という翼族のハーフが危険じゃないか、そこを調べたい。 絶対危険なはずなんだ。 早く調査して人間界から追放したい。 それにもう一人、危険な奴が側にいるはずだし……」
「もう一人、危険な奴?」
シンディが不思議そうに繰り返す。
「ああ。 この国には翼族の血を引く者がまだいるはずだ。 俺は早くそいつを見つけて調べたい。 なぁ、翼族が絶対手を出さない人間を捜すよりまずはそっちを探さないか? だいたい、翼族が絶対手を出さないなんてどうやって見分けるんだ? まさか【狂った翼族】に片っ端から襲わせる訳にもいかないだろう?」
「……それは、そうなんだけど」
「ならまずはこの報告書を仕上げて、そして巳白をどうにかして調べて……」
身を乗り出すトシをシンディがなだめる。
「トシ、ちょっと待って。 巳白にはもう保護責任者がいるじゃない。 だから発見されても私達に奴を調べる権利はないわ。 ラムールがまとめた報告書を読めるだけよ。 私達には一緒に消えた男の子の記憶を調べることしかできないの、分かってるでしょう?」
「だけど危険な翼族を調査して排除するのが俺たちの仕事だろう?」
トシは声を荒げた。 シンディも身を乗り出す。
「それは勿論だけど、翼族が絶対手を出さない人間を探すのは私達だけに科せられた特別任務よ? あなたが誰を捜し出したいのかは知りませんけどね、その人間を捜さないともっと――」
ところがシンディは言葉を最後まで言わずに飲み込んだ。 それで逆にトシの気が逸れた。
「もっと――何だい?」
だがシンディは答えずに立ち上がり、パソコンから印字された書類をひとまとめにする。
行動室に沈黙が流れる。
シンディが書類をクリップでとめ、パチンという音が部屋に響いた。
シンディが振り向く。 無表情のその姿はあえて何かから目を背けているようだった。
「ねぇ、どちらにしろ、まずは情報が必要よね」
シンディの抑揚のない言葉に、トシは頷いた。 シンディは俯き書類を封筒に入れる。
「あのリトという女官に会わないとね。 行きましょう」
白の館の一階、軍隊長の執務室ではボルゾン軍隊長が机に向かってじっと前を向き座っていた。
机の上には一枚の書類がおいてある。
コンコン、と扉がノックされる。 ボルゾンの返事を待たず扉を開けたのは女官長だ。
女官長はゆっくりボルゾンの机の前まで来るとその書類を見て、ため息をついた。
「……難しい、ものですわね」
そう呟く。
ボルゾンは視線を合わせずに頷く。
「軍というのに自分達で行方不明者を見つけ出すこともできずに、俺はとても情けない」
女官長は首を横に振る。
「自分が情けないと思っているのは私も同じです。 ボルゾンだけではありませんわ」
そして二人とも押し黙ったまま、時間だけが過ぎていく。
ふと、白の館の外が微かに騒がしくなった。 窓から視線を向けると、あの翼族調査委員会の二人が裏庭に入ってきたのだった。 ボルゾンは慌てて机の上の書類を引き出しに直す。
するとほどなくして兵士に案内されてトシとシンディが部屋に入ってきた。
「ねぇ! 報告書が出来たのだけど、ラムール教育係が不在ってのは本当なの?」
入って来るなりシンディは声を荒げた。
「こっちはかなり急いで報告書を作ったし、他にやらなければならない事もある訳よ! 教育係はいったいどこ?」
シンディはボルゾンにつめよる。
「……ラムール教育係が不在だというのは本当だ。 いつ帰ってくるかは俺にもわからん」
ボルゾンが答える。
それを聞いてシンディは明らかに悔しそうな顔をした。 そうと知っていれば、という顔である。
「あー、ああ、じゃあ、あの女官さん。 リトとか言った、あの彼女。 彼女に書類を渡したい。 ここに彼女を呼んでもらえるかな? 女官長さん」
トシが少しだけ生き生きといた表情になって尋ねる。
女官長の表情が曇る。 それを見てトシが眉をしかめる。
「書類を渡すだけだ。 別に取り調べようって訳じゃない。 早く呼んでくれないか、女官長?」
大げさに肩をすくめるトシと視線を合わせずに女官長が小声で答える。
「……彼女は……リトは今、洞窟に落ちたまま行方不明……です」
「はあっ?」
トシの声が裏返る。
「行方不明、だなんて冗談じゃない! あの子に会わないと……いや、失礼。 そ、そうか、行方不明、ですか。 むうう……」
シンディがそっと近づき、トシに耳打ちする。
「一度行動室に帰って報告書を書き直しましょう。 まだこの村を襲った翼族が他国で発見も退治もされていないと書き換えてしまえば保護観察者もいない、女官も一名行方不明のこの状況なら緊急事態とみなされるから私達に全権が移るわ」
トシも頷いた。
「それじゃあ、私達は――」
シンディが軍隊長達に向き直るのと、軍隊長室の扉がノックされるのは同時だった。
「入ってもよろしいですか」
扉の向こう側から少年の声が聞こえてきた時、軍隊長と女官長の顔がぱっと晴れた。
聞いた事のない少年の声にシンディとトシが顔を見あわせる。
「おお! すぐ入ってこい!」
待ちかねた、という感じで軍隊長が返事をする。
扉が開くとそこには栗色の髪をおかっぱにした少年が正面を向いて立っている。 少年は迷わず軍隊長の机の前まで歩み出ると言った。
「軍隊長殿。 担当の教育係殿が不在の為、代理を依頼いたします。 陽炎隊の活動休止解除をお願いします」
「確かに承知した!」
軍隊長がにっ、と笑って引き出しから先ほど隠した書類を机に出して勢いよく判を押す。
「休止活動、解除だ! ……で、早速だが」
来意は指を一本たてて軍隊長の言葉を制した。
「行方不明者3名の捜索にあたります」
軍隊長は嬉しそうに頷く。
トシとシンディは訳も分からず来意を見つめる。
女官長が来意におそるおそる尋ねる。
「それで来意。 リト達は、無事ですか?」
「僕の勘では3人とも元気です。 おそらく一緒の場所にいるでしょう。 今から洞窟内を救助に向かいます」
来意は迷うことなく答えた。
「え!? どういうこと? あなた、行方不明になった女官や翼族の居場所が分かるの?!」
シンディが驚いて声を上げる。
「彼の勘は人一倍鋭く、当たるのです」
女官長が嬉しそうに頷き――
「女官は翼族のハーフと一緒にいるのね!?」
嬉しそうに繰り返すシンディの声を聞いて、女官長は真っ青になる。
シンディが自信満々に告げる。
「許可を受けずに翼族と一夜を共にいた人間は調査することが決められています。 翼族調査委員会の私達が!」
そして来意に向き直る。
「女官を発見したらまず私達に引き渡すように! これは命令です!」
来意は――頷いた。
もちろん、シンディがそう言うと、予想していた表情で。