5-3 翼族調査委員シルバーメンバー
リトは清流の姿が見えなくなってから、白の館に帰ろうとした。
すると清流と入れ違いに教会の敷地に誰かが入って来た。 それは40代半ば位の男と、それよりいくつか若そうな女の二人組だった。
――旅行者かな?
リトはその二人を見てそう思った。 男は体格は良いが少し猫背で無精髭を生やしており、着ているマントも土で所々汚れている。 肩にかけた大きな旅行カバンも年期が入ってくたびれている。 女はウエーブのかかっている肩まで伸びた栗色の髪は手入れが行き届いていたが、着ているシャツとズボンにはあちこちにポケットがついていて、動きやすく実用的なデザインになっていた。 しかもよくこなれている感じがした。
二人は教会の敷地の中をきょろきょろと見回す。 どうも迷った、そんな感じでもある。
先にリトの姿に気づいたのは女の方だった。
「あぁ、ねぇ、あなた」
女は迷うことなくリトに近づいて来た。
「はい?」
リトも二人に近づいた。
女は辺りを見回しながら尋ねる。
「白の館、というのはどこかしら?」
リトの心臓がどくんと脈うった。
「白の館はこの横の建物ですけど……」
リトは横を向いて白の館に目を向ける。
「あらっ。 ホント。 こっちに出入り口があったのね」
女は目を輝かせる。
「何だ、こっちだったのか。 教会にしか気づかなかったな」
男が近づいてくる。
――あれ?
リトは男の顔に見入った。 黒縁のアンティークな眼鏡の下の瞳に。
――どこかで見た事、ある?
なんとなく知った顔だった。 しかしどこで?
「?」
リトの視線に男も気づく。 男は不思議そうな顔をしてリトを見た。
「ぼくの顔に何かついているかな? 女官さん」
「あっ、いえ!」
リトは慌てて視線を逸らした。
男と女は顔を見あわせ、白の館への門へと向かう。 すると門兵が二人の前を遮って立った。
「失礼ですが、どちらに御用でしょうか?」
男と女はもう一度顔を見あわせ頷くと、右手の平をグラスを持つように上に向けた。 同時に掌の上の空間に翼を鎖と剣で切り裂いたマークと名前が浮かび上がった。
「翼族調査委員会、シルバーメンバー296及び562。 調査の為ラムール教育係にお目通り願いたい」
翼族調査委員会、という言葉を聞いて、門兵の身体が緊張する。 そしてリトにちらりと目を走らせる。 それを見逃さず、男と女はリトに視線を移す。
「まさかこの子がラ……?」
女がとても驚いたように目を見開く。
「ち、違いますっ!」
リトは慌てて訂正する。
「ははは、だよなぁ」
男が笑う。 だが兵士は困ったようにリトに告げる。
「す、すみません。 リトゥア様。 あの、この方々をご案内するのをお願いしても宜しいで
しょうか?」
男は笑うのを止めて真面目な顔でリトを見る。
リトは何故かちょっとためらった。 いや、何故か、なんて理由ははっきりしていた。 彼らが「翼族調査委員会メンバー」だからだ。 しかし、断る訳にもいかない。 いや、でも。
「……あの、ラムール様でしたら、今、不在ですのでまた後日お越し頂けますか?」
リトはそう言った。 しかしその返事に男と女はひどく驚いた。
「どうしてあなたに不在だと分かるの?」
咎めるように言ったのは女だった。
「私たちはさっき、本館の方にも出向いたのよ。 そうしたら今日はまだ宮殿にお見えになられていないから白の館の事務室では、と言われてこちらに来たのよ?」
そこに兵士が助け船を出す。
「それでしたら、その女官はラムール様専属の女官ですので」
すると二人は今度はまた違った驚きの目でリトを見る。 まさかこんな冴えない女官が?という表情である。
なんだかいつもより人の表情がよめる気がした。
「どうぞ」
そう言ってリトはお茶を三つ、テーブルに置く。
結局二人を一階の女官長執務室まで案内することとなったのである。
「やや、これはどうも」
そう言って男はお茶を一口飲む。 向かいのソファーには女官長が、やはり警戒した面持ちで座っていた。
「――さて――、ラムール教育係が不在ですのでご希望の調査について、あなた方の望むような回答をすることはできかねます、とだけ最初から申し上げておきます。」
穏やかな女官長にしてはとても不親切な物言いだった。
「構いませんよ」
男は両手を膝の上に置いて少し身を乗り出した。
「私どもとしては、数日間調査を進めるにあたってその拠点ともなる場所の提供をして頂ければ。 ええ、勝手にやります」
女は足を組み、背もたれによりかかって部屋の中を見回しながら言った。
「拠点たる場所はこの白の館の敷地内。 空いている事務室ならどこでも構いませんわ。 あまり強攻策は使いたくありませんので、できたら全員の協力が得られるように特別な許可証を出して頂けますかしら?」
かなり威圧的な態度だった。
女官長はつとめて穏やかに言った。
「ですから、私はただの女官長です。 そのような権限は私には一切ありません」
男はすかさず切り返す。
「でも女官長ですから女官に命令する権利はお持ちだ。 違いますか?」
「それは……」
口ごもる女官長に今度は女が自分の爪を見ながら言う。
「ラムール教育係殿が不在なら誰か代理の者がいてもいいんじゃないかしら? その方を連れてきて」
「そうだな。 軍隊長でいいんじゃないか?」
男も頷く。
「……少々、お待ち下さい」
女官長は少し青ざめながら席を立つ。 そしてリトを見る。
「リト。 私はボルゾンを連れてきます。 それまでここで”気をつけて”待っていてくれるかしら?」
――気をつけて
リトは頷いた。
女官長の顔にはどうにか時間を稼いでラムールが帰ってくるのを待っているような感じがした。
女官長が部屋を一旦出ると、男がお茶を飲み干す。
「女官さん。 もう一杯、頂けるかな?」
「あっ、はい」
リトは言われるがままもう一度お茶を入れるためカップを引く。
執務室の端にある給湯室で急須にお茶を入れ、静かに注ぐ。
「さすが、ラムール教育係付の女官さんだね。 手際が良い」
「ひゃっ」
いきなりすぐ隣に男が来て言ったので、リトはひどく驚いた。
全く気配に気が付かなかったのだ。
「安心してくれ。 別にどうこうしようという気はあまり無いんだ」
男はそう言って笑うと、入れ立てのカップを手に持ち、ソファーへと戻る。
――あまり、か。
リトは胸に手を当てて呼吸を整える。
「お嬢ちゃんは、翼族と会った事あるぅ?」
ソファーに座っていた女が唐突にそう尋ねた。
「えっ? あ〜……」
リトはソファーの側まで歩いてきながら考える。
――翼族、には。
「会った事はありません」
リトはそう答えた。
「会ったこと無いのぉ? この国では珍しいのかしら?」
女は少し不満そうに言いながら、持ってきていたバックの中から本を1冊取り出す。 かなり分厚い本はまるで二冊の本を重ねたような――
――あれって。
リトが黙って見ていると、女はその分厚い本のちょうど真ん中あたりに手を置いた。 するとまるで中でページから増えたかのようにその部分だけ厚みが増す。
――科学魔法?
女は厚みの増した部分を開く。 そこには細かい文字でびっしりと何かが書かれている。 女はペラペラとページをめくる。
「ホント。 テノス国在住、ってのはどこにもいないわね」
女は何度も何度もページを行き来する。
――翼族の名簿?
リトは黙って見ている。
「あーん、もう。 どうして名前順なのかしら。 国別に分けてくれたら見やすいのに」
女は文句を言いながらめくっていた。
「仕方ないだろう。 国別での名簿ならその国の担当者が持つきまりになっているからな」
男はリトの顔を見た。
「そうだよ。 この国で担当者はラムール教育係殿だ」
「……だろうな、とは思いました」
リトもおそるおそる返事をした。 男は頷く。
「君はラムール教育係殿がこんな名簿をお持ちかどうか、知らないか?」
リトは首を横に振る。
男は残念そうに言った。
「そうか……。 それさえあれば用件は済んでしまうんだが」
そのとき、廊下の遠くの方からガツガツと音を立てて歩いてくる足音が聞こえて来てリトはホッとした。
あの足音。 ボルゾン軍隊長である。