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5-2  喜びの新芽

「おばさま?」


 リトは声をかけた。 その人は誰であろう、この樹を一番に世話している、ハルザ婦人だった。

 ハルザは声をかけられてからはじめて気配に気づいたようだった。 振り向きざまに返事をする。


「おやリト。 休みの日にここに来るなんてめずらしい」


 そう言ってハルザは視線を横にずらし、清流を視界に入れる。


「……おや、めずらしい」


 ハルザは再度そう呟いた。

 清流がリトに視線を投げかける。


「えっ、とね」


――清流、と名前を言っていいのだろうか。


 リトは一瞬考え込む。


「こちらのおばさまは、ハルザ婦人。 この神の樹を一番にお世話していらっしゃるのよ」


 ハルザが軽く会釈をする、と同時に清流の表情は、既に社交モードに変わっていた。


「初めまして。 ハルザ婦人。 ぼくは清流と申します。 リトさんの友達です」


 清流が微笑んで一礼する。 ハルザは二人と神の樹を交互に見る。 


「もしかして、清流さんとやら、この樹に糧を蒔いてくれたかの?」


 その言葉を聞いてほんの少し清流の表情が警戒する。

 ハルザはそれに気づいてか気づかずか、視線を神の樹に戻す。


「……めずらしい事ばかり起きる日じゃよ。 神の樹が【喜びの新芽】を出しておる」


――よろ?


 頭の中で反すうしようとしたリトよりも早く清流が分かったような口調で言った。


「【喜びの新芽】!」


 清流は慌ててハルザの隣に行くと樹を見上げてハルザの視線の先を追う。


「本当だ……」


 清流は感心したように「それ」を見る。

 リトも慌てて近づくと上を見上げる。 神の樹の若葉が太陽の光を通して鮮やかな緑色の輝きを放つ。

 なんだか水の中から空を見上げているような、そんな感じがした。


「あともう少し、という所でしょうか?」


 清流の声がした。 ハルザが応える。


「うむ。 おまえさんには分かるようじゃね。 あともう少し、という所じゃて」


――えーっ、と。


 リトは横目でハルザと清流を見る。

 そして二人の視線の先を追う。


「リトは分かっていないみたいじゃの」

「まず間違いないでしょう」


 清流とハルザが、同調した。


「リトちゃん。 ほら、あの中央よりの枝の葉っぱのすぐ側に、赤っぽいものが見えないかな?」


 清流は指さす。

 リトは言われるがままに葉っぱを見上げる。 よく見るとそこには確かに葉っぱのすぐ脇に小さな突起が見える。 確かに、それは新芽のように見えた。 一つが目にはいると、確かに他の葉のすぐ側にも同じような赤い突起が生えているのが目に入る。


「あっ、うん。 わかった。 あれね?」


 リトは頷く。 すると清流が説明をする。


「普通は新芽は緑色だよね? でもあれはあれは赤色。 だけれど、もう少ししたら黄色が混じったマーブル模様になるんだよ。 そしてそれを【喜びの新芽】と言って、これはかなり珍しいものなんだよ」

「珍しいの? 赤いから?」

「ブッブー。 不正解。 【喜びの新芽】はね、うーん、樹の実みたいなものだって言えばイメージが沸きやすいかな。 もう少し成長して黄色が混じったマーブル模様になると自然に、そう、熟したみたいに新芽はぽろりと樹から離れて落ちてくるんだよ。 新芽といってもそこから芽は出ないんだよ」

「新芽なのに芽が出ないの?」

「そう。 でもね、【喜びの新芽】はとても栄養があって、一粒で丸一日、何も飲まず食わずでも平気なんだよ。 だから滋養強壮の薬を作るのに使ったり、乾燥させて保存食にしたりもできる訳」

「へぇぇー」


 リトは感心した。

 しかし感心したのはハルザも同じだった。


「清流さんとやらは若いのによく【喜びの新芽】について知っとるんじゃのう。 まさにその通りじゃよ。 そしてこれは”歓迎の印”とも言ってな、神の樹に誰か新しい人が糧を与えた時に、神の樹がその人を歓迎する為に出す新芽だとも言われておる」

「へぇっ。 誰か新しい人が糧を? それはぼくも知りませんでした」


 清流が頷いてハルザを見る。


「あっ、それでおばさまは清流くんが糧を蒔いたか、と尋ねたのね?」


 リトもびんと来た。

 ハルザは頷く。


――しかし。


「……でも、おばさま? 私がお手伝いした時は何も起こらなかった……ような」

「あはは。 リトちゃん。 それはやっぱりぼくだからだったんじゃないの?」


 ちょっと嬉しそうに清流が口を挟む。


「んー」


 リトは納得いかないようにふて腐れる。


「妬かない妬かない」


 清流はご機嫌だ。

 ハルザはそれを見てちょっと苦笑いする。


「リト、わたしも喜びの新芽を見るのは初めてじゃよ。 じゃから気にするでない」

「んー」


 リトは納得いかない。


「リトちゃん。 【喜びの新芽】自体、滅多にお目にかかれるものじゃないんだから、今見る事が出来てラッキーなんだよ。 それ以上拗ねないでよ」


 清流が諭す。

 清流に諭されるのも何だかしっくり来ないのだが……


「まぁ、リトの気持ちも分かるがの。 しかしまだ新芽は熟してはおらぬ。 今から少しなりとも糧を蒔こうじゃないか、の?」


――あ、そうだ。 葉書。


 リトは一瞬にしてポケットの中に入れた葉書の事を思いだした。

 服の上から押さえるとごわごわと堅い感触が伝わってきた。


「ほらっ、リトちゃん、おいでよ」


 はと気がつくと清流が呼んでいる。 清流はハルザが持ってきた布袋を開いている。  ハルザもいつの間にか袋の中から色あせた布を取り出して神の樹に近づいていた。

 ハルザの表情がいつもにも増して穏やかになる。

 ハルザの手が色あせた布を裂いて、地面に散らす。 それはいつものように雪のように溶けて消える。

 清流も同じように布を裂いて蒔く。 これも先日同様、小さな炎を発して地面に消えていく。

 ハルザが自分の蒔き方と違う清流のそれにちらりと視線を送る。 しかし特に気にならなかったようで再び、自分の布を蒔く。 

 リトはポケットの中に手を入れ、細かく裂いた葉書の一片を手にした。 そしてそれを握りしめてハルザ達に気づかれないように手を出す。 そしてハルザが持ってきた古布をもう片方の手で掴んで裂き、その布で葉書の切れ端を包むようにして、そっと神の樹の側に地面に置く。

 一瞬、何も起こらなかった。

 しかしそう思ったのはほんの一瞬で、布と葉書はいつもの通り淡雪のようにすっと溶けていく。

 リトは小さく安堵のため息を漏らすと再度ポケットの中の葉書の切れ端と古布を一緒にして少しずつ神の樹に蒔いていく。

 それを何度か繰り返すとポケットの中は葉書の小さな切れ端が数片だけになった。 リトは一気にそれらをまとめて掴んで取り出すと、そのまま地面に掌を置いた。

 地面の感触とそれを遮る葉書の感触。

 しかしすぐ葉書だけがチリチリと掌の下で逃げ場を求めるように小刻みに動き、次の瞬間何かに吸い込まれるように勢いよく地面に混ざっていった。


――あ、神の樹って……


 リトはふと気がついた。


――「私」は吸収しなかった。


 リトは掌を地面から離し、裏返してまじまじと見る。 掌についた土はただの土だ。 ぱんぱん、とはたくと土は綺麗に掌から落ちていく。


「ハルザ婦人、ほら。 見て下さい」


 その時、清流が上を指さした。


「おお」


 ハルザの感嘆の声があがる。

 リトもそれに誘われるように上を見上げる。

 するとどうだろう、先ほどまで赤かった【喜びの新芽】が黄色が混じったマーブル模様に変化していく。 同時に新芽は少し大きさを増し、まるで卵から雛が孵るかのように小刻みにその姿を揺らすと、ぱらり、ぱらりと地面に落ちてきた。


「あ、イタっ」


 リトは思わずおでこを押さえた。 新芽が当たったのだ。


「あ、リトちゃん、ラッキーだよ。 新芽が当たったら良い事があるんだって」


 清流が笑ってそう言う。


「ホントにぃ?」


 リトは疑いながら地面に落ちてきた【喜びの新芽】を拾う。 それは小指の爪くらいの大きさで赤と黄色が見事に混ざり合ったマーブル模様になっている。 ほんのりと暖かく弾力性がある。


「ほりゃ、リト。 じっくり見るのは後じゃ。 拾わぬか」


 ハルザがしゃがみこんで言う。


「あっ、はい。 ごめんなさい」


 リトもしゃがんで地面に落ちた【喜びの新芽】を拾う。


「何粒落ちてきたんじゃろうかのう……」


 ハルザが呟いた。


「15粒ですよ」


 清流が答える。


「ぼく、数えながら見てましたから」


 リトは改めて驚いて清流を見た。 しかしハルザは「若い者は目が良くていいのぉ」と言った。

 程なくしてみんなが拾った【喜びの新芽】を全部ハルザに渡して数を数える。 それは確かに15粒あった。


――どうやって分けるんだろ?


 リトは思った。 すると清流が真っ先に


「ぼくは記念に一つ頂けたら、それで構いませんけど……」


と言い出した。


「あっ、それじゃ私も、記念に一個で」


 リトは便乗する。

 ハルザが苦笑いする。


「記念記念と言うならあたしも1個で構わんのじゃよ。 ここは平等に5個ずつじゃ」


 そう言ってリトと清流に5つずつ渡す。


「じゃが、本当に滅多に手に入らぬものじゃから、大事にするんじゃぞ」


 リトと清流は頷く。

 リトは手にした新芽をまじまじと見て、ふとある事に気づく。


「あっ、おばさま。 もしかしてこの【喜びの新芽】って、食べたら傷が早く治ったりする?」

『それはないよ』


 ところがハルザと清流の二人から一緒に同じ答えが返ってきた。


「全く無いとは言わないけど、劇的に治ったりとかは、しないですよね?」

「そうじゃな。 あくまで栄養価の高い食べ物、 飢饉の時などに重宝したとは聞いておるが」


 清流とハルザは頷く。


「そっかぁ……」


 リトはちょっと残念だった。

 もしかしたら、神の樹がラムール様の為に特別に出してくれた新芽のような気がしたものだから。 


「そういえば、どうしておばさまは決まった日でも無いのに、ここに来たの?」


 リトはふと思い出して尋ねた。

 ハルザは少し困ったように神の樹を見上げた。


「神の樹が、呼ぶんじゃよ。 とりあえず、来いと」

「呼ぶ?」


 リトは前に神の樹の夢を見た事を思いだした。 あのときのような事を「呼ばれる」というのだろうか。


「ハルザ婦人は神の樹の声が聞こえるんですね?」


 清流が言った。


「ずっとお世話をされてきたのですから聞こえても何ら不思議はありませんよ」


 その口調は、自分自身を特別扱いしたがる清流にしてはとても素直な感じがした。


「聞こえだしたのは、つい最近の事なんじゃけどねぇ。 ある時は風に乗って。 ある時は雨とともに。 神の樹の巫女になるには、ほりゃ、年がいきすぎなんじゃがのぅ」


 ハルザはおどけて笑う。


「清流さんとやらは、神の樹に好かれておるね。 ああ、勿論、リトもじゃよ。 最近、分かるんじゃよ。 神の樹は「今」ここでこうする為に、わたしから貰われてここに接ぎ木されたのじゃなぁ、とな。 今は大きな時間の流れのほんの一瞬でしか無いが、確かに過去はこの現在の為にあったのじゃなぁ、と。 いや、まだ今も未来のための過去でしか無いのじゃろうけど……」


 リトはハルザの言う事が分かるような、分からないような気がした。

 ただ、すべての物事に意味がきっとある。 ――意味が。

 リトは神の樹を見上げた。

 意味があるとは分かっていても、意味を知る事は叶わないまま。

 




 それから三人はその場所を去った。 白の館の隣の教会まで来るとハルザは祈りを捧げるために教会に入って行った。


「さぁて、じゃあぼくは帰ろうかな。 兄さんには明日の学びが始まる前の時間に、リトちゃんの所に寄ってアレを受け取るように伝えるよ。 それでいい?」

「あっ、うん」


 リトは最初に清流がやってきた理由を思い出して頷いた。 清流も頷くと、ちょっと意地悪な顔をして言った。


「ところでリトちゃんは、喜びの新芽、どうするの?」

「えっ? あ、うーん、記念に取っておこうかな。 清流くんは?」

「ぼくも記念に取っておくよ。 でも困ったなぁ」


 本気で困っていない顔だった。


「……何が困ったの?」


 本気で困っていないとは分かっていてもとりあえず尋ねるのが礼儀?


「あ、ううん、誰に分けようかなー、って思って。 絶対、来意には勘で、アリドには本能で、ばれて一粒ずつとられるし。兄さんにはあげたいし、とすると、あと一粒なんだよね。弓ちゃんにあげたら羽織も知るし、義軍にあげたら世尊も知るし。 あー、困ったなぁ」


「……つまり、3粒、欲しいの?」


 リトは苦笑いしながら言った。


「うん。 できたら」


 清流はにっこりと笑って答えた。

 できたら、とは言っているが限りなく強制だ。


「まぁ、いいよ」


 リトはちょっと呆れながら5粒のうち3粒を清流に渡した。


――それでも自分は記念に二粒あるんだから、良しとしよう。 どうせ使いはしないだろうし。


 リトはそう考えた。 しかし。 なんだかこれだけでは済まない気がした。


「リトちゃんは二粒とも記念に取っておくの?」


 清流が口を開いた。 イエスとしか答えのない問いだった。


「いいなぁ。 ぼくは貴重な保存食ができるから、それを作ってみることにするよ」


 清流はさも残念そうに言った。 そして気を取り直したかのように精一杯の笑顔をつくってみせると、


「完成したらリトちゃんにも味見させてあげるね」


と言った。


――ってことは、だ。


「じゃあ、清流くんにもう一粒あげる。 それを記念に取っておいたら?」


 リトはもう一粒を取り出した。


「嬉しいな。 ありがとう」


 清流は遠慮無く受け取る。 極上の笑顔で。

 リトはくすりと笑う。

 ばればれの詰め将棋だ。

 しかし不思議と怒る気はしなかった。

 たった一粒となれば、逆に記念としてとっておき甲斐があるというものだ。

 リトは大事な一粒をしっかり握り締めた。


「それじゃあ」

「それじゃね」


 二人はそう言って分かれる。

 清流は心なしか足取りも軽く教会の敷地を出て行った。

 

 

 そのとき敷地の外で、一人の男が清流の姿を見て「思わず」立ち止まった。

 まるで見てはいけないものを見たかのように男は硬直した。


「何よ、どうかしたの?」


 連れの女性が顔を覗き込んだ。

 男は微かに震え、しかしその表情はどこか喜びが感じられた。

 まるで獲物を見つけた獣のように。

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