4-10 巻き込まれなくても
リリリリリン、と、目覚まし時計のベルが鳴った。
リトはそっと瞳を開け、四肢を伸ばす。
「ん〜〜っ」
体中に血液が回り、活動しはじめる。
「ふはぁ」
リトは息を吐きながら起きあがった。
「よぉっく、寝たぁ〜」
そしてもう一度伸びをする。
限りなく気分爽快、いい目覚めである。
「すとん、かぁ。 確かに巳白さんの言う通りね」
リトは頷きながら身支度をする。 今日のうちにもう何粒か貰ってこよう。
その後、洗面所に行くと、何だかお肌もツルツルである。 爆睡効果か?
「お肌にもいいんなら弓にも分けてあげようかな……」
リトは自分の肌を撫でながら呟く。
明日はお休みの日。 つまり羽織と弓の城下町デートの日である。 これでも飲んで一眠りすればきっと明日はお肌ツルツルで……
「って、勝手に人の眠り玉をばらまいちゃ、ダメよね」
リトは鏡に映った自分に笑いかけた。
そこにマーヴェがやって来てすかさず言った。
「リト? 何か良い化粧品でも使いまして? 今日はお肌のつやが違いましてよ?」
やっぱり分かるか?
リトは二粒一度に飲んでみようかと思った。
万が一寝過ぎても、明日は休みだ、支障はない。
その日もラムールは不在で、事務室は恒例のように書類であふれていた。
紅茶の葉が入った小瓶のある棚に、眠り玉の入った小瓶が置いてある。 リトはちょっと考えて、蓋を開けて中から眠り玉を5粒取り出す。 巳白に2個、自分に3個。 まずはこの位でいいだろう。
それらをべたつかないように油紙に包んでポケットに入れる。
ふと、リトは顔を上げた。
なんとなく今日は頭が冴えているのか、同じ事務室にいても流れる空気が違っている気がする。
――ああ、来る?
リトがなんとなくそう感じるのと、「おっはよー! せんせー!」と、デイが事務室に飛び込んでくるのはほぼ同時だった。
「うわっ、デイ、おはよ」
リトは驚いて声をあげる。
「あれ? せんせーかと思ったら、りーちゃん……」
デイも予想外、という顔をして部屋の中を見回す。
「せんせー、いないの?」
迷子の子犬のような顔をしてデイが尋ねる。
「う、うん」
リトは頷く。
「おっかしーなぁ。 いる!って気がしたんだけど」
デイは首をかしげる。
もしかしたらラムールの眠り玉を食べたせい? と、リトは思ったが、眠り玉の存在をデイに知らせると悪戯に使われそうな気がしたので黙っておくことにした。
デイがため息をつく。
「何か変なんだよなぁ。 いなくなるのはいつもの事なんだけど、今回は長すぎっていうか、いつもなら一度表彰されたら……」
「されたら?」
「……いなかった分の勉強の遅れを取り戻しますって言って2、3日は勉強時間が長くなるのに。 明日なんかも休みだから丸一日拘束されると思ったんだけどなぁ」
リトは思わず笑みがこぼれる。
なんだかんだ言って、デイはラムールの事を必要としている。
デイがいる限り、ラムールは一人じゃない。
そう思うとなんだかホッとした。
その後はごく普通の穏やかな日だった。
夕方、扉を使って陽炎の館に行って巳白に眠り玉を渡す。
明日のデートを控えた弓はちょっと嬉しそうに、そして、ちょっと緊張していた。
ちょっとだけ、羨ましかった。
そしてその日、リトは、眠り玉を一度に二粒飲んでみた。
すっきりっ!
すっきりすっきりっ!
ぱちりと開けるまぶたの音が聞こえてきそうなくらい勢いよくリトは目を開いた。
「よっっく、ねたぁ!」
そう言ってベットから跳ね起きて、時計を見る。
もうすぐお昼だ。
「げっ、お昼……かぁ」
やはり二粒一度に飲むと、睡眠時間も長くなるらしい。
気持ちは良かったが、やはり休日の半分の時間を使ってしまったのかと思うとちょっと残念だ。
リトは気持ちをしゃっきりさせようと、シャワーを浴びに行く事にした。
用意をして扉を開けると、丁度ノイノイ達が出かけようとしているところだった。
「あ、リトぉ」
「やっと起きたの?」
ノイノイ達は半分呆れた口調だった。
「あっ、うん、今起きたトコ。 どうして?」
リトは尋ねてみた。
「だって爆睡しすぎで、ちっとも目をさまさないんだもン」
「えっ? 起こしに来てくれたの?」
「起こしに来た、なんてものじゃなくて、扉を叩いても、部屋に入っても。 枕元で叫んでも、鍋を叩いても、ゆすっても、こちょこちょしても、全っっ然」
「えっ?」
まったく覚えていない。
「一緒に城下町に行かない?って誘うだけだったから、そのへんでやめておいたけど」
城下町に誘うだけだったのかい
「でも、あれじゃ絶対、火事や地震があっても起きなかったよね」
「うんうん」
ノイノイ達が自信たっぷりに言うので、やはり二粒飲んだ影響らしい。
やっぱり、平日に試してみなくて良かった……
リトは頷いた。
そんなリトをまじまじと見つめてノイノイが言った。
「でも、よく寝たかいあって、お肌ツルツルだね」
そう?と言いながら、リトは自分の指先を見て驚いた。
確かに昨日まであったはずの、逆むけや小さな傷が綺麗に治っている。 キメも揃って輝いている。
――すごっ! 眠り玉
リトは思わず、また二粒飲もう、と思った。
それからノイノイ達は城下町に出かけ、リトはシャワーを浴びた。
洗面室で髪の毛を乾かしながら、ヒマなのでこの後、城下町に行こうかと考える。
そうなると思い立ったが吉日。 さっさと身支度を済ませ、白の館を出る。
青空は澄み渡り、日差しは暖かで、その日は絶好のお出かけ日和だった。
「さぁってと」
リトは城下町の広場まで来て辺りを見回した。
ノイノイ達はどこにいるだろうか。 かまど屋であんみつを食べているか、洋服をウィンドゥ・ショッピングしているか。
いやいやそれよりも。
弓と羽織もここのどこかでデートしているはずだ。
二人がどんな感じにデートしているのか興味はあるけれど、下手に出会って一緒に回ろう、なんて話になって二人の恋路の邪魔をしても悪い。 これは、二人には出会わないようにしなければ。
とはいえ、城下町はかなり広い。 今日は休日なので人も多いし、出会おうと思ってもそうそう簡単には出会えな……
「あれっ?」
リトの視界の端に、黒髪の少年がちらりとかすめた、ような気がした。
羽織ではない。 それは確かだった。
リトは気になった方を向く。 それは西地区の方。
――西地区。
リトとあまり相性の良くない地区である。 いや、治安が悪いせいもあり、みんなにとっても相性が悪いところではあるが。
しかし、ほんの一瞬だが確かに、あれは。
「デイだった」
リトは呟く。 そう、それはラフな服装に身を包み、飾り気無しの姿で遊び歩いている、デイに間違いなかった。 しかし、一国の王子ともあろうものが護衛もつけずに西地区に遊びに行っていいのだろうか。
リトはおそるおそる西地区へ向かう通路に近づく。
そして数秒、じっと通路の先を見つめる。
行き先は、「正面」だ。 「右」ではない。
――来意君が注意して、と言ったのは「右」だから……これは「右」じゃないから……
「面倒な事には巻き込まれない、と」
リトは自分を説得した。
――面倒には巻き込まれなくても、危険な事には巻き込まれるかもよ
そう心のどこかで勘が告げたが、リトは無視した。
西地区は相変わらずひっそりとしているような、こそこそと何かが動き回っているような、とても微妙な空気が漂っていた。 ただ、今日はとても天気が良く穏やかな感じのする日中の為か、ほんの少し暖かみがあるような気もした。
リトは人の気配に注意しながら歩いた。 曲がり道を曲がる時はあらかじめほんの少しだけ顔を出して覗いて、スラムの不良達がたむろしていないか確かめながら進んだ。
西地区も何度目かになると少しずつ地形を覚えてくる。 大丈夫。 今なら仮に誰かに見つかってもすぐ来た道を引き返せる。
すると、ざわざわと声がして一本向こう側の通路の方で数人が歩いている気配がした。
リトはとっさに壁の出っ張りに隠れて様子を窺う。 ほどなくして一本先の通路を数人の男達が歩いていく。 皆、服装もバラバラでどこか他の国から来たような少年や青年達だった。
――あ、スラムの不良達とは違う……
リトはそう思った。 リトが最初紛れ込んだ時は、皆おそろいの黒色の革の服に身を包んでいたり、体にドクロの入れ墨をしていたり、と「いかにも」的な奴らが多かった。
しかし今、歩いていった彼らは一見してふつうの市民と代わりがなかった。 ただし、手にナイフを持ったりすさんだ瞳で辺りを見回してはいたが。
『たいしたことはありません。 最近、夜間にタチの悪い若者達が悪さをするので、兵士の一部と自警隊が警戒で回る事になったのですよ。 余計なトラブルを避けるためにも一般人は外に出るのを控えましょう、という事ですよ』
ふと、夜間外出禁止令が出た日に女官長が言った言葉が頭をかすめる。
――こいつらか。
リトは気づいて、ごくりとつばを飲む。
すると。
「あっはっはー」
と、その集団の中から聞き慣れた笑い声が聞こえてくる。
リトは驚いて声のした方角に目を向ける。
「!」
そこには、その少年達と雑談をしながらまるで一員のように歩いていくデイ。
そう、間違いなく、デイ。
「どういう事?」
リトは思わず呟いた。
「何がどういうこと、なんだ?」
するとリトのすぐ背後で男の低い声がした。
振り返るとそこには猪を人間にしたような出で立ちの男が笑いながら立っていた。
いや、目だけ笑わずに。
そして、リトが声を出す間もなく、リトは腹を殴られて気を失った。




