3-17 「それでか」
リトは神の樹を見上げた。
――神の樹の肥料となるのは色々な感情。 それもあらゆる感情……
「でもおばさま、そんな利己主義ばっかりの手紙をあげすぎたら、神の樹、消化不良起こさない?」
ハルザが目を丸くして、笑い出す。
「ほっほっほっ。 それは気づかなかったわい。 そうか、そういう事もあるかのぅ。 それでか」
何が「それでか」なのか。
「まぁ、平気じゃて。 今度はちゃんと別の物をあげるようにしておるから」
ハルザはそう言って、封書を撒く。
リトも脱線してばかりでは何なので、気をとりなおして別の封書を手にしようと箱を見る。
――あれ?
リトは箱の奥の方に上等な封書の束があるのに気が付いた。
きちんと封書に縁取りの模様がされ、ロウで封がされている……これが、ラムール宛だと知らなければきっと気が付かなかっただろうが、間違いない。 この封書も、昨日、ラムールの事務室に届いたものだ。
開封はされてない。
「ねぇ、おばさま。 こっちの手紙も封を開けていいの?」
「ああ、構わんよ」
「でも、あちこちの王国の封書もあるよ?」
リトはその中の一通を取り出した。
これはなんとオルラジア国の紋章入りである。 一番巨大な国だ。 リトですら知っている。
「構わんよ。 ラムール様にとっては不要なんじゃろう。 なんなら開けてみることだね」
「開けて、平気?」
「平気じゃよ。 私も慣れるまでは大事な手紙が混じっていないか確認していたが、読むだけ無駄じゃったよ。 内容を他の人に話したこともないし、話さないとラムール様は信頼しているからこそ私に預けたのだろうからね」
リトはそれを聞いておそるおそる開けてみる。
内容はどれもこれも、いかによい待遇でラムールを迎えるからぜひ我が国の家臣になってくれ、というものばかりだった。
「何これ。 ラムール様はテノス国民だから、他の国に仕えるはずが無いじゃない」
リトは憤慨しながら言った。
「じゃがのう、ラムール様はこの国の出身では無いからの。 元々は天災で滅んだある国の、ほぼ唯一と言って良い生き残りだからね。 赤子の時の旅行中に預けられたという話は聞いた事があるだろう?」
「それは、そうなんだけど……」
「だから御国復興の為にも戻ってきて国王になってください、という手紙も多いぞ。 ――もっとも、その手紙を送ってきた者の本当の狙いは自分も一緒に地位を得たいと考えているだけだろうがね」
「うーん」
リトはうなりながら、封書を土に置く。 封書はあっという間に土に吸収される。
「まぁ、心配しなさんな、リト。 こうやって神の樹に処分させているってことは、ラムール様にその気が無いという事じゃろう?」
「うーん」
リトは納得したような、したくないようなうなり声をあげながら、封書を置く。
――あれ?
リトは気づいた。
昨日、鳥が持ってきた葉書が無い。
そして、その、一瞬躊躇するリトを見て、ハルザが呟いた。
「――これで、いいのかい? 神の樹……」
と。
リトは「あの葉書」が無いか探していると、今度は例のあの封筒を見つけた。
【翼族調査委員会 資格取得へのご招待】
一瞬にしてリトの興味はそちらに移る。
「なんだい、リトはそんなものに興味があるのかい?」
思わず封書を握りしめて取り出したリトを見てハルザがぎょっとする。
「あ、興味があるっていうか、こんなものもあるんだなぁって思って」
「翼族調査委員会……ま、大変な仕事じゃからねぇ。 なりたいと思う者も滅多にいなくなっただろうから今じゃダイレクトメールで資格取得の案内、っていうのも、時代だねぇ」
「そうなの?」
リトは封を開けて中の広告を取り出す。 が。
「どうだい。 読めないだろう?」
リトの言葉を待つまでもなくハルザが言った。
「どうして分かるの?」
リトは驚いた。
そうなのだ。 何と書いてあるか分からないのだ。 知っている文字なのに。
「相当の理由が無い限り、一見さんはお断りなんだよ」
「相当の理由?」
「それだけ半端な気持ちじゃ務まらない資格ってことさ」
「んー」
リトは唸ってからその封書を神の樹の根元に置く。
封書は瞬く間に土になる。
「どうしてリトはそんなものに興味を持ったんだい?」
諦めがつかない表情のリトに、ハルザが尋ねる。
「そんなもの……って、そんなもの、な、ところなの?」
「そんなもの、っていうかね。 普通の人間はその職には就かないよ。 翼族に命は狙われるわ、翼族が問題を起こしたら調査しなければならないわ、まず普通の生活は送れなくなるからね。 翼族とは近寄らず触れず交わらず、が一番だからね。 進んで資格を取ろうとするのは親兄弟や大切な人を翼族に殺されて復讐をしたいと思う者ばかりさ。 だから遠慮が無いし慈悲もない。 まぁね、そんな人達が”狂った翼族”退治もしてくれるから今はだいぶん平和な時代になったのじゃがね」
「狂った翼族?」
あの本にも度々出てきた言葉だ。
「人の血肉を食べて、それがクセになった翼族の人のことさ。 まだ私が若い頃はしょっちゅうあちこちの村で夜になると子供が襲われておったよ。 しかもその村に翼族の者がたまたま住んでたりしてごらんよ。 翼族は翼族の居場所が分かるというからね。 エサ場だと思ったのか翼族の大群が襲ってきた、という話も聞いた事がある」
それは、リトも小さい頃に聞かされていた。
「じゃから北のスイルビ村に翼族のハーフの娘が住んでいる、と聞いた時はもうみんな、生きた心地がしなくてのぉ。 保護責任者がしっかりしたお方だったから何の問題も無かったと思うがね。 今はどうしているのじゃろうねぇ」
――新世さんの事だ。
「おばさまは、翼族が、怖い?」
リトは尋ねた。
「当然じゃよ。 親切そうに近づいてきて、仲が良くなれば食べてしまうんじゃ、怖くて仕方ないよ。 空も飛べるし、術も使える。 人間はどうやっても敵わないからね。 ……まぁ、もっとも、親切なうちはとても頼りになる相手じゃあるんだが……ね」
「どういうこと?」
ハルザは手を止めて言葉を選んだ。
「……人間も自分勝手ってことかねぇ」
ハルザは神の樹を見上げながら言った。
「それより、リト。 大分おしゃべりが過ぎたみたいじゃぞ。 もうそろそろ学びの時間じゃろう?」
リトはまだ沢山の事を尋ねたかったが、時間と言われれば仕方が無かった。
リトは適当に封書を掴むと土にかえした。
神の樹は満足そうにさわさわと揺れた。