3- 9 皇女来室
翌日、というより、日付が変わっても本を読んでいたので、その日の朝からリトは熱を出した。
数時間前まで翼族の歴史を読んでいたせいで知恵熱でも出たのだろうか?
「リト、今日はここでゆっくり休んでいなよ。 私が女官長様に病欠届は出しておくからさ」
ルティが体温計の数値を見ながら言った。
彼女はリトがなかなか起きてこないのを心配してやってきてくれたのだ。
「女官長様がオクナル家にも連絡してくれると思うからさ」
ルティはリトの頭に冷やしタオルをそっと置く。
「ありがと、ルティ」
リトは小さい声で返事をする。
目を閉じたまま、頭を冷やすタオルの気持ちよい感触に集中する。
でないと、でないとまた、悪い夢を見てしまいそうだ。
しばらくして、弓が来る。
リトが発熱したと聞いたのだろう、目を閉じているリトを眠っていると思ったらしく、音をたてないようにすばやく荷物を置き、授業の用意をして、ほんのちょっとリトの顔を見て、部屋を出て行く。
リトは目を閉じてじっと外の物音に耳を傾ける。
微かに聞こえる、兵士達の訓練の声、鳥のさえずり、遠くの遠くの、何かの音。
ザッザッザッ、とどこからか規則正しい足音で階段を上ってくる集団がいる。
女官長が何やら話している。
すると、足音の数がとても少なくなり、廊下を近づいてくる。
どの部屋に用事なのか。
いや、なんとなく分かった。
案の定、リトの部屋の扉がノックされる。
「リト。 私です。 入りますよ」
女官長だ。
リトの返事を待たず扉が開き、女官長が入ってくる。
リトは頭にかけてあった冷やしタオルを手に取りゆっくり体を起こし――た、その時。
「入るぞ」
いきなり女官長の背後からレイホウ姫が現れ、部屋の中に入ってきた。
「お、お待ち下さい、姫!」
慌ててその背後から女性近衛兵が入り込み、姫を部屋の外に出す。
「何をする。 いいではないか。 あのとおり狭くて何もない部屋だ」
「いいえ、規則でございますから従って頂きます! 万が一の事があったらどうするのですか? 私が中を確認してくるまでお待ち下さい!」
それを聞いて女官長がふぅ、とため息をつく。 そして振り返り、近衛兵に向かって言う。
「この部屋が危険だと疑うのでしたら、それは我が国の中核を担う場所が危険だという事。 そのようなおつもりでそなたは言っているのですか?」
「い、いぇ、そんなことは……!」
近衛兵は言葉を濁す。
「ほーら、女官長の言う通りだ。 平気だから私が見舞い終わるまで部屋の外で待っていろ」
姫が嬉しそうに言う。
「私の椅子をを運ばぬか」
その言葉を合図に立派な椅子が部屋の中に運ばれてくる。 たった1脚だったがあまりにも豪勢でそれを入れたらこの部屋の開いている空間は全て埋め尽くされてしまう。
「えーっと……」
リトは訳が分からずに女官長を見る。
女官長はにこっと笑う。
「レイホウ皇女があなたのお見舞いに来て下さいました。 粗相のないように」
「はい……」
「私たちは部屋の外で待っていますからね」
そう言って女官長は部屋を出る。 それと入れ替わりに皇女レイホウと、女性書記官が部屋に入ってくる。 姫は生き生きと顔を輝かせ、椅子に腰を下ろす。 それと同時に部屋の扉が閉じられた。
姫はリトの顔を見てニコリと笑う。
――粗相をするなと言われたけど、え? 私、ここでどう返事をすれば? 御礼? 作法は??
リトの頭の中を「作法」の二文字がぐるぐると回る。 何と言っても昨日、図書館で会った時は女官全員に向かって「無礼者」と言い放ったのだから。 が、それ以前にどうしてリトにお見舞いなど?
訳が分からない事ばかりで困ったリトとは逆に、姫は興味深そうに部屋の中を見回している。
「本当にこんな狭い部屋で寝泊まりをしているのだなぁ」
等と感心したように呟く。
いや、そりゃ、王族の人から見ればそうでしょうとも。
カチンとする気すら沸かず、リトは頷く。 すると姫の背後で書記官がサラサラサラとペンを走らせる。
――うっわぁ、話すこと、全部記録されちゃうの?
リトの視線に気づいたのだろう。 姫は背もたれに寄りかかるとゆっくりと言った。
「そういう目をするな。 仕方ないのだ」
「は、はぁ……」
するとやはりペンがサラサラサラ。
「お前もいい気はしないだろうからな。 別に返事をしなくてもよい。 さて、昨日は失礼した。 まさかラムール教育係の髪結い係とは知らなかったのでな、無礼を許せ」
「あ、”元”です」
思わずリトは付け加える。
やはりペンはサラサラサラ。
「ふふふ。 構わぬ。 ラムール教育係は今、出張中なのだろう? こちらからお詫びすることもできなかった。 お帰りになったら粗相を詫びると伝えてくれ」
――あ、もしかして
リトは気が付いた。
姫は続ける。 相変わらず書記官はサラサラサラ
「ついてはお詫びと、そなたのお見舞いの品を用意したのだが、そ……」
「申し訳ありませんが、ご遠慮いたします。 お受け取りすることはできません」
リトは姫の言葉を遮って言った。
書記官はサラサラサラ
一瞬、姫が驚いたような顔を見せた。
リトは姫が口を開く前に続けた。
「ラムール様も、一切お受け取りになりませんのでお気遣いは無用です」
そう、そうなのだ。 姫が一女官がたまたま休んだからと言って見舞いにくるはずがない。 彼女はリトがラムールにとても近い者だから来ただけなのだ。 これは受け取ってはいけないのだ。
リトは仮に姫が激怒しても、何も受け取らないと強く思った。
「遠慮は無用だぞ?」
「いいえ。 ご遠慮します」
姫の再度の言葉にもリトははっきりと告げる。
書記官はサラサラサラ
リトは姫が怒ると思った。 だがしかし――
「ふ、ふふ」
姫は予想とは裏腹に笑い出した。
「あはは。 流石テノス国の女官というべきか。 先ほどの女官長といい、お主達はなかなかのものだな」
そして嬉しそうに笑っている。
「私はこの国のそんなところは大好きだ」
くっくっくっ、と笑う。
「あの……、女官長が何か……?」
リトはつい尋ねてしまう。
「ん? ああ、先ほどこちらに来ようとした時だが。 本来は私が入る前に我が近衛兵達によって安全を確認するきまりとなっておる。 だが外で連れている近衛兵は殆どが男なのでな。 ここは男性の立ち入りは認められんから女性近衛兵以外は通さぬとすごまれた。 近衛隊長が迫力負けして目を白黒させておった。 かなり痛快だったわ」
そうか、それで何かもめているようだったのか。 しかし、聞こえてきたあの足音。 一体何人いたのだろうか。
「この部屋も私と書記官だけだしな。 こんな事は入浴中でもあり得ない。 かなり快適だ」
そうか。 一番守られて嫌な思いをしているのは姫かもしれない。 常に誰かが側にいて、行く先は先回りをし、言動はすべて控えられ……
リトは少し姫に同情した。
もしかしたら、昨日、姫が図書館で厳しい態度を取っていたのも、こんな生活でストレスがたまっていたからかもしれないと考えたからだ。
しかも、大好きなデイ王子とも二人きりになる事も、ないしょ話もできないのだ。
姫の背後で書記官がサラサラサラとペンを走らせる。
「何もいらぬと言ったのはシンセに次いでお前が二人目だ」
姫が言った。
――あ、また、シンセと言った。
リトがそう思うのと、書記官がオホッオホッと咳き込むのは同時であった。
――あれ?
リトは書記官を見た。 わざと咳き込んで筆を走らせていない。
「あのー」
リトが声を出すと、書記官は筆を走らせる体制を取った。
「姫はー」
書記官が何か単語を書く。
「シンセ、とおっしゃいましたか?」
すると、再び書記官が咳き込む。 筆は走らせない。
「ああ、言ったぞ?」
そう姫が言ったが、その姫の言葉も記録しない。




