3- 5 話せない
さて、今、隣国の姫から”デイの事を教えて欲しい”と言われた訳だが。
リトは考えた。
――話せない。
勿論、デイがいつも気軽に遊び回ったり、女官の風呂を覗こうとしたことがあるんですよ、と言えるはずもないのだが、それ以前に……
「二人だけでしたら、話せないこともないのですが……」
リトは言いにくそうに返事をした。
この姫の目の輝きは、確かに素直に恋する乙女だった。 リトは何かしら彼女が知りたい事で話せるものがあったならば教えてあげたいとも思った。 しかし、周囲に近衛兵が常に控えており、こともあろうか最後尾の一人は手持ちのメモに姫の周りであった会話を記録しているではないか。
ほら、また手を動かした。
「それは無理に御座います」
姫より先に近衛兵がリトの前に立って言った。
「では無理です」
リトはそう答えた。
「お前達、ほんの一分で構わぬ。 私を一人にしてくれないか」
姫はそう口にするが、みな、首を横に振る。 姫は今度は自国語に変えて命令するが、やはり表情を見ている限り許してはもらえないようだった。
姫は苛ただしげに握り拳を作って下を向く。
「方法はないのか?」
そう言って顔を上げ、リトを見つめる姫の瞳はとても寂しげだった。
「あの、姫様は一人にはなれないのですか?」
リトは思わず近衛兵に尋ねた。
「当然にございます。 第一皇女として大事な御体。 万が一の事があってはなりませんゆえ、常に我々がお側に控えて御守りするのです」
「朝から晩まで?」
「いいえ」
近衛兵は言った。
「お休みになっていらっしゃる間もです」
「はぁ?」
思わずリトはすっとんきょうな声を上げる。
「当然、入浴時及び御手洗いに行かれる時まで女性近衛兵がついてまいります」
「ってことは、ずっと誰かが側に控えてるってこと?」
「左様でございます」
リトは次の言葉が出なかった。
「いつお命を狙われるか分からないお立場にございますゆえ、当然なのです」
そう言われればそうなのだが……
リトは姫を見た。 姫は少し視線を逸らした。
「デイは自由で羨ましい。 私と違って厚く守ってくれる者はいても監視する者がいない」
「何を仰いますか、姫。 我々も御守りしているではあり……」
近衛兵の言葉を姫は遮った。
「デイがされているほど厚く守ってくれているのか?」
「それは……」
近衛兵はもごもごと口ごもる。
姫はため息を一つつくと、リトをまっすぐ見た。
最初、リトはこの姫の視線を敵意だと勘違いしたが、今、よく考えるとそれは間違いだと思った。
ただ、必死なだけだ。 デイに対して。
「すまぬ。 迷惑をかけた。 デイにはこの事は言わないでくれ」
リトの瞳をみつめて乞うように姫は言った。
「行くぞ」
そしてリトの返事も待たず身を翻すと王族居住区へ続く廊下へと進む。
「あ、待って!」
リトは思わず呼び止めた。
姫達が振り向く。
リトは考えた。 自分が姫なら、何を知りたいか。
「デイ……王子は、常に明るく気軽な方で、皆から慕われています」
「うん」
「ですが特別におつきあいされている女性はおりません」
姫の目が、見開く。
「ご交際は男友達とばかりです」
「ほんとか?」
姫は確かに、嬉しそうだ。
リトは頷いた。
「そして、先ほど図書館で拝見した限りは、デイ王子はとても姫を慈しんでいらっしゃるように見えました」
それを聞くと姫の頬がぱあっと赤くなり、笑顔になる。
「ほんとか? いやがってはないか?」
「本当です」
リトが断言すると姫は更に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。 こんなに嬉しい気持ちになったのはシンセが自由をくれた時以来だ」
姫はそう言うと再び前を向き歩き出した。
――え?
リトは我が耳を疑った。
だがしかし、確かに姫は言ったのだ。 「シンセ」と。