10-9 絶対絶命
いきなり羽織が現れたのにはセルビーズも驚き、弾かれるように羽織達から一旦離れた。
羽織が剣を構え直してセルビーズと向かい合う。
「羽織!リトと離れろ!」
巳白の声が響く。
羽織はすかさずリトの手を掴んで横に飛ぶ。
巳白の羽がナイフのように硬質化してあられのようにセルビーズに降り注ぐ。 大量の羽がセルビーズの体に突き刺さる。
「やったか!?」
羽織が叫んだ。
だがしかし、何食わぬ顔でセルビーズは体を左右にねじり、咆哮と同時に突き刺さった巳白の羽を一気に燃やして灰にしてしまう。 そしてセルビーズは再び飛んで巳白につかみかかった。
「巳白!」
羽織が飛び上がり、セルビーズの背後から斬りかかった。
セルビーズの瞳が怪しく光る。
するとセルビーズの翼が色を変えて硬質化し、羽織の振り下ろした剣から盾のように身を守る。
「羽織くん危ないっ!」
リトが叫んだ。
セルビーズのもう片方の翼がぐにゃりとやわらかくムチのようにしなり羽織を襲った。
「ん゛っ!」
羽織は跳ねとばされながらも体勢を整えて着地する。
だがそのたった一撃で、羽織のひたいから血が流れる。
「羽織様っ!」
ゲストルームで弓が叫ぶ。
「ちっくしょおっ! どうにかこれをぶち破れねぇのかよ!」
世尊が何度も壁を叩く。
「羽織の動きが鈍い」
来意が呟き、世尊が怒鳴る。
「羽織はキれてなんぼの男だぜ!? このままじゃ勝てねぇぜ!」
「違うよ。 翼族が相手だからだよ。 すごい。 さすが翼族だ……」
清流はそう言った。
来意が悔しそうに目を閉じた。
「二人がかりでも絶対勝てない」
再び巳白が床に投げつけられる。
大きな音を立てて巳白が床に転がる。
次の瞬間セルビーズは羽織に襲いかかる。 羽織も迎えうつ。
セルビーズの振り下ろす腕をはじきふところに潜り込む。 しかしセルビーズがとっさに絶対威嚇を放つ。 羽織はその圧に押されはじき飛ばされる。
体勢を整えようと羽織が一瞬セルビーズから目を離した隙にセルビーズは羽織の背後にまわりその手で羽織の体を掴む。 そして大きく振り回して巳白と同じように高いところから床に向けて投げつけたたき落とした。
その戦いは、まるで赤子と大人の戦いのようでもあった。 全く歯が立たない。 レベルが違いすぎた。
「まだまだぁっ!」
しかし羽織は血を流しながらも闘争心は一切消さず立ち上がる。
だがセルビーズは羽織にも巳白にも目をくれず、一人離れたリトに飛びかかった。
「リト!」
「逃げろ!」
巳白と羽織は叫ぶがリトがセルビーズの速さから逃れられるはずがない。 あっという間にセルビーズはリトの手首をつかんで持ち上げた。
リトはセルビーズに持ち上げられて体が宙に浮く。
「いやっ! 離し……」
リトが一瞬言葉に詰まった。
「きゃぁあああ!」
しかし次の瞬間、リトの体はものすごい勢いで壁に向かって投げられた。 壁がどんどん近づいてくる。 この勢いで壁に当たってしまえばリトなら間違いなく死ぬだろう。
リトは目を閉じた。
もうすぐ壁にぶち当たる、まさにその時、リトの体を何かが包んだ。
そして激しい衝撃が体中に届く。
ゴキッ、という、太い木の枝が折れたような、そんな音がした。
だが
だが――
体は確かに壁にぶち当たったはずなのに、さほど痛くない。
リトはそっと瞳を開ける。
リトの視界は、真っ白な羽でいっぱいだ。
ふわふわで、真っ白で、いい匂いのするこの羽に包まれたこの感覚。
リトはよく覚えていた。
「……平気か? リト」
そしてそう話しかけるこの声も。
「巳白さんっ!!」
巳白がとっさに壁とリトの間自分の右翼を差し込み、その翼をクッションにしてリトを守ったのだった。
リトは巳白の翼に包まれたまま、巳白と一緒に床に落ちる。 しかしやはりここでも巳白の翼がクッションになってリトは衝撃を免れた。
その時、検査室全体が軽く揺れ、壁に一カ所、小さな出入り口が姿を現した。
『巳白! 早くその出入り口から脱出するんだ! その出入り口ならセルビーズには小さすぎて追って来られない!』
スピーカーからトシの声が響いた。
出口に一番近いのは羽織だった。 間にセルビーズがおり、巳白とリトは出入り口とは丁度反対側の場所にいた。
巳白は立ち上がると、リトを左翼で包む。
セルビーズが巳白達に向かって飛んでくる。
「羽織、頼むっ!」
巳白はぎりぎりまでセルビーズを引きつけてからそう言うと左翼に力をこめてリトを羽織に向かって投げた。
「きゃあっ!」
リトはセルビーズをかわして羽織のもとへと飛ぶ。 羽織は剣を背中に納めてリトを抱きとめた。
セルビーズが慌てて振り向く。 間髪いれず巳白が叫ぶ。
「早く脱出しろ羽織っ!!」
おう、と言いかけて羽織が言葉を失った。 リトも首だけ振り向いて巳白を見て愕然とした。
巳白の右側の翼がだらりと垂れ下がっている。 翼が折れていた。
「巳白っ!」
「巳白さんっ!」
羽織とリトが叫ぶ。
だが巳白は激しく言う。
「いいから早く行けっ! こいつは俺がなんとかする!」
その言葉を聞いたセルビーズがゆっくり巳白を見る。
先に動いたのは巳白だった。
巳白は体をひねると左翼をまるでムチのようにしならせセルビーズに放った。 巳白の翼がぐにゃりと曲がり、セルビーズの体に巻き付く。 セルビーズは動きを封じられた。
「さっさと行けっ!」
巳白は羽織達に向かって叫ぶ。
「でも……!」
羽織とリトは踏ん切りがつかないでいた。
セルビーズの翼が脱出を計ってフルフルと小さく震えた。 巳白の翼がピシピシと音をたてて裂けていく。
羽織がリトを下ろした。
「ごめん、リトちゃん。 先に逃げて」
一言だけ告げて羽織はセルビーズに向かって駆けだした。
「羽織くんっ!」
リトは叫ぶ。 しかし、リトもその場を離れる決心はつかなかった。
セルビーズの翼が震えて巳白の翼を解こうとするが、巳白は力を緩めない。
{ソンナニ マモリタイノカ?}
巳白の耳にセルビーズの微かな声が聞こえた。
巳白は驚いてセルビーズを見た。
セルビーズの唇が微かに動く。
{マモルトハ ソンナニカンタンナ コトジャナイ}
セルビーズの握り拳に力が入る。
{ハーフノ ワカゾウガ コノオレノ アイテニナルトデモ?}
セルビーズの翼一本一本が淡く光り出す。
巳白の翼がジリジリと焦げていく。
巳白の視界に羽織が入った。
「うおぉっ!」
羽織が剣を抜いて飛び上がり、セルビーズに斬りかかった。
セルビーズがその気配を感じて唇の端を微かに上げた。
巳白に悪寒が走る。
セルビーズが叫んだ。
「見ろ、若造!! これが翼族の力だ!!!!」
次の瞬間、セルビーズの拳から無数の黒い光が鋭く放たれた。 黒い光は暴れ狂う龍のようにあたりをかけめぐり、重力を狂わせ感覚を麻痺させた。 巳白をはじめその場にセルビーズ以外の全員が数倍になった重力に逆らえず床にへばりつく。 巳白の翼も力に負けてセルビーズを解き放った。
セルビーズがゆっくりと巳白に向かって歩いていく。
その両手には雷と炎、そして氷と風が吹いていた。
セルビーズが告げた。
「人間界の自然は実に素直だ。 水を愛で火を肴に金を育み風と共に生きれば、空間はすべて大地となり我らのために存在する」
巳白は床にはいつくばったまま顔を上げて答えた。
「だけどここは翼族のために存在している訳じゃない。 俺達、人間の世界だ」
セルビーズは黙って、その両手を巳白にかざした。
巳白が殺される、誰もがそう思った時だった。
ものすごい大音量とともに検査室の壁の一部が吹き飛んだ。
大きな衝撃派の固まりが地上から検査室に向かって放たれたのだ。
「何っ!?」
セルビーズが動きを止めた。
空から――いや、地上から放たれた衝撃波は容赦なく検査室のあちこちに降り注ぐ。 それはゲストルームや行動室も例外なく、その床や壁に穴を開けた。
「弓っ!」
ゲストルームの窓が割れたのを見て羽織が叫ぶ。 しかし立つことは叶わない。
セルビーズは降り注ぐ衝撃波を見ながら呟いた。
「この超重力の中、動けるとは……? 翼族か……?」
行動室の壁が崩れ、シンディとトシが重なり合うように検査室に落ちてくる。
セルビーズはそれに気づくと体の向きを変えて二人を見た。
トシがシンディを庇うように抱いて隠す。 制御器が無い今、セルビーズが真っ先に襲う相手は二人の他にはいなかった。
するとよそ見をしたセルビーズを威嚇するように衝撃波が彼の足下の床を破壊した。
セルビーズが再び視線を元に戻す。
そして軽く鼻で笑った。
「翼族でないならば――悪魔、お前か」
セルビーズが空中に浮かんだ者に向かって言った。
その者がゆっくりと空中を降りてくる。
セルビーズが手を軽く振ると部屋中の重力がもとに戻る。
「弓っ!」
すかさず羽織が立ち上がり弓を呼ぶ。
がれきの埃がたちのぼる中、世尊が返事をする。
「こっちは大丈夫だぜ!」
「羽織さま!」
弓が壁の切れ間から顔を見せた。 リトがそれを見て目を丸くする。
「弓ぃ!?」
「リト、大丈夫!?」
弓の問いにリトは頷く。 弓がホッとした笑顔を見せた。
「邪魔だから少し下がっていなさい」
その時、リトに向かって空中から降りてきた者が声をかけた。
皆の視線が彼に集中する。
少しイライラとしたような口調で、そう言った人物。
「ラムール様!?」
リトがその人物――ラムールの名を呼んだが、ラムールはセルビーズを見据えたまま視線を動かさない。 その表情はかなり機嫌が悪そうだった。
「噂通りの悪魔ぶりだな」
セルビーズが言った。
何も言わずラムールは手で大きく空中に模様を描く。 すると空中に大きな魔法陣が銀色で浮かび上がり、顔色を変えたセルビーズを包む。 魔法陣は銀色の雷に姿を変えセルビーズの動きを封じる。
「ヴァあっ!」
セルビーズが叫んだ。 その指を、腕を、動かそうとするが銀の雷はまるで獲物を絞め殺す蛇のようにセルビーズを締め付け僅かな動きも許さない。
そこではじめてラムールが口を開いた。
「テノス国に危害を加える者は何人たりとも見逃しはしません」
そして左手を目の前に差し出すとそこに光の粒子が集まり剣が現れる。
「イルフ村の家畜の殺害、ジャッジュ国マーク村での養鶏殺害、ポロナーム国にてケレ村襲撃、私の所に持ち込まれた相談から判別してもお前の仕業である襲撃行為はまだまだある。 酌量の余地は無い」
光の粒子がしっかりとした剣の形を作り、ラムールがその柄を握る。
「3秒やろう。 祈るがいい」
その時ラムールを睨み付けていたセルビーズの視線が左右に泳いで、トシ、シンディを見て、リトとほんの一瞬、目が合った。
リトは無意識に自分の右手首を左手で掴んだ。
――あ……!
ラムールが剣をセルビーズの首に一度押し当ててから振りかぶる。
その時リトが叫んだ。
「ラムール様! 待って! 彼を殺さないで!!」
リトの声でラムールが振り下ろしかけた剣を止める。
皆が不思議そうにリトを見つめた。
当然だろう。 危険な【狂った翼族】を退治できると思ったその瞬間、リトがそれを制したのだから。
ただラムールだけは何かを考えるように目を閉じて、小さくため息をついた。
そしてセルビーズは……セルビーズも、目を閉じて小さく微笑んだ。
「どういう事だ!?」
トシが呟いた。 シンディは首を横に振った。
リトは立ち上がった。 そしてラムールとセルビーズの側に行く。
「来ては危ないですよ。 リト」
ラムールが目を開いて告げた。
しかしリトは構わず側に行く。
そして体の動きを封じられているセルビーズに近づく。
リトはセルビーズの瞳を見た。
「……このひと、私を助けてくれました」
そして自分で掴んだ右手首に視線を移す。
「巳白さんを探しに行って……穴に落ちた時……手首を誰かがつかんだんです。 覚えていなかったけど……でも、さっき、このひとに腕をつかまれて投げられた時の感じが同じっていうか……絶対このひとで……」
リトが呟く。
「何言ってんだぜ! リト! さっきのは巳白が助けなかったらリトは死んでたぜ! そいつはお前を殺そうとしたんだぜ!」
見ていた世尊が叫んだ。
リトは頷いた。
確かに、さっきは殺されそうになった。
でも、でも、
「つかまれた感じが……」
リトは目を閉じる。
「助けてくれて……」
そして何かを思い出そうとする。
ラムールが無情に告げる。
「仮に洞窟に落ちた瞬間のあなたを助けたとしても、これだけの事をやった今、処罰するしかない」
セルビーズは何も言わずに、ただリトを見た。 リトを見た。 願うように。
リトが再度目を開けて、セルビーズにもう一歩近づく。 そして顔をあげてセルビーズの瞳を見る。
リトの目が一瞬だけ灰色を帯びる。
リトは見る。 セルビーズを見る。
「――違う」
リトはやっと口を開いた。
「このひと、狂ってなんかいない」
リトはもう一歩、近づいた。
そして予想しない言葉を吐いた。
あなた、レセッドよね?
と。