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10-6 父の記憶5〜誤認識

 その日はめずらしくシゼとマリアが子供を連れて父の家に遊びに来ていた。

 清流が勝手知ったる、という感じで家の中を走り回る。

 巳白がそれを追いかける。

 マリアが飲みかけのティーカップをゆっくりと置いて、一喝する。


「こぉらぁっ! 清流! 巳白っ! 走り回るのはお外になさいっ!」

「うわぁっ!」

「はぁーい」


 巳白と清流は元気よく返事をすると窓を開けてそこから外に飛び出す。


「窓から出入りしなぁいっ!」

 マリアがまた注意する。


「はぁーい」

「ごめんなさぁい」


 二人はとりあえず謝る。


「ねぇねぇ、ママ。 裏の森でかくれんぼしてきていい?」

 清流がふわりとマリアに近づいてお願いする。


 マリアはちょっと考えてから、笑顔で頷く。


「やった! おにいちゃん! 行こう!」


 去っていく二人に向かってマリアが窓から叫ぶ。

「仲良く遊ぶのよぉ?」


「はぁーい」

 巳白と清流は元気よく返事をする。


 二人の姿が見えなくなってから、マリアはソファーに戻る。


「元気いっぱい、いい事じゃないか、マリア」


 父が笑いながら言った。


「お前達兄妹もワシからよく叱られていたもんだ」


 父は機嫌が良かった。


 しばらくしてシゼが立ち上がる。

「それじゃあ私は子供達を迎えに行ってきます」


「もう?」

 マリアが見上げる。


「散歩がてらね」

 そう言って微笑むシゼの翼には拘束具がついている。


「んー、ねぇ、パパ、拘束具ってホントにどうにかならないの? 絶対不便だわ」

 マリアがふくれる。


「しかしなぁ――やはりそこは、規則みたいなもんだから」

 父は言葉を濁す。


 マリアは諦めたようなため息をつく。

 そしてシゼを玄関まで見送る。 マリアが唐突に言う。


「あーあ、もう、男の子って元気いっぱいなのはいいんだけど――」


 父とシゼがマリアを見る。

 マリアはシゼを見て言う。


「次は女の子もいいナァ……ね?」


 シゼが微笑む。


「はいはい」


 父が目を逸らした隙にシゼとマリアは軽くキスをした。


「じゃあ、気をつけてね。 シゼ」

 マリアが微笑んだ。








 父とマリアはその後しばらく談笑していたが、そこに来客があった。

 マリアはそのお客にお茶を出すために台所に行った。

 父が客と話をしていると――台所からガシャンガシャンと食器類が砕け散る大きな音がした。


「――マリア?」


 父が一言発する。

 マリアの返事の代わりに台所から、パリン……と、ついでのように食器が割れた音がした。


「マリア!」


 父が血相を変えて客とともに台所へ駆ける。

 台所にはテーブルクロスを掴んだまま床に倒れて苦しんでいるマリアの姿があった。


「マリア!」


 周囲に破片が散乱しているのも気にせず、父はマリアに駆け寄った。 マリアは胸を押さえて顔色が真っ青だ。


「苦しいのか!? 心臓か?! しっかりしろ、マリア!」


 父の問いかけにマリアが微かに頷く。


「医者だ! 医者を連れてこい!」


 父が客に向かって叫び、客は慌てて家を出る。

 父はマリアの片手をしっかり握って呼びかけた。


「マリア……ああ、マリア。 大丈夫だ。 すぐ良くなるからな」


 マリアは頷く。


「医者もすぐ来るし、シゼが――そう、シゼが、たとえどこにいてもお前の心臓の音が少しでもおかしいって気づいてすぐ帰ってきてく――」


 父はそこで言葉を失う。


 マリアが薄目を開けながら、微笑む。

「あ、のね、パパ」


 そして息も絶え絶えに話し出す。


「もう、ダメみ、たい。 死神が……やってきてる。 ……命の木の……実を今は持っ……ていないから2回目は……みのがして……くれないみたい」

「死神? 何の事だ? マリア! しっかりしろ!」


 しかし、マリアの瞳から涙がこぼれる。


「パパ。 ワガママいっぱい言って、ごめん、ね? でも、……でも、私、幸せ、だったよ。  ……シゼの奥さんに……なれて、巳白と清流も授かって……」


 父の目から涙がこぼれる。

「もういい、何も言うな。 マリア」


 マリアが首を横に振る。

「パパ……が望むよ……な、幸せのかた……ち……じゃなかったけど、……ホントに……幸せだ……ったんだよ」


 父は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら頷く。

 マリアが微笑む。


「もっと……生きたかった……ナァ……」


 そして、瞳を閉じる。


「マリアぁっ!」

 父が叫ぶ。


 マリアは返事をしない。


「マリアぁああっ!」

 父の声が、哀しく響いた。

 





 村人に呼ばれてシゼが駆けつけた時には、マリアは静かにベットに横たわっていた。

 シゼはマリアの骸に抱きつくと大声を上げて泣いた。

 ごめん、ごめん、と、謝りながら泣いていた。

 村人全員がマリアの死を心から悲しんだ。


 

 父はマリアの葬式も終わって、しばらくの間、抜け殻になったようだった。

 気がつくと父の目からはいつも涙が溢れていた。

 父は何も考えられなかった。

 そんなある深夜、扉を叩く者がいた。

 父はこんな真夜中に誰だろうと不思議に思いながら扉を開ける。

 そこには見るからに痩せきったシゼが一人で立っていた。

 父は急に我に返ったようにシゼを見ると家の中に招き入れた。

 シゼは居間に入ると椅子に座りもせずに、床に跪いた。


「シゼ」


 父がシゼの方を向くと、シゼは言った。

「――巳白と清流を、殺してきました」


「なぜ!?」

 父は思わず問いかけた。


 シゼは視線を逸らす。

「――マリアが死んで……私は、思ったより早く、狂った翼族の血が覚醒したようです」

「狂った翼族? どういうことだ?」


 シゼは目を伏せたまま続ける。

「翼族は――人間と愛を交わすと、人食のDNAが覚醒するのです。 愛する者がずっと側にいる間は良いが、いなくなった時は、発症するまでに個人差はありますが人間を喰わないと生命を維持できない。 正気も維持できない。 人食のDNAが覚醒した翼族の事を、狂った翼族といいます」


 父は立ちつくす。


「――じゃあ、巳白と清流を喰ったというのか?」

「いいえ」


 シゼは即答した。


「――ただ、他に何の食物も受け付けない私では、いつ食べ殺してもおかしくはなかった……」

「だから殺したのか?」


 シゼは頷いた。

「これで――村長にはあの子達の事で迷惑はかかりません……」


 その言葉を聞いて父はショックを受けていた。

 何か言いたい言葉をぐっと飲み込んでいた。


「それで、シゼ、お前は一体何の用があってここまで来たというんだ?」


 父の問いに、シゼがしばらくの間、沈黙する。


 真夜中の静寂が部屋に満ちる。

 シゼがやっと口を開く。


「保護責任者の誓いに基づき、私を処刑して頂きたい――そして……」

「そして?」


 シゼが父の顔を正面から見る。


「私の骸を、墓標は無くても構わない。 だから愛するマリアの隣に……!」


 父は、頷いた。

 







 父はそれからますます元気がなくなった。

 父にとって世の中の出来事すべてが灰色に見えた。

 父はその日、日記を書いていた。

  トシは、そっとその日記を背後から見る。

  日記には、こう書いてある。


 

 トシへ

  記憶の毬をワシは作ることにした。

  記憶の毬で過去を見るだけだと、ワシの心の中までは分かるまい。

  だからここに記す。

  まず、お前に謝りたい。

  マリアの事、とても大事な事だったのに、お前に伝える事すらできなかった。

  マリアは何度もお前に手紙で知らせようとしたが、すべてワシが処分した。

  それもこれも、翼族の男と結婚したなんて報告、どうしてお前にできようか?

  だからマリアはずっとお前が許してくれていないものだと思っていただろう。

  認めるか認めないかはお前の判断にまかせれば良かったのに……ワシはその機会も奪った。


  奪ったといえば、ワシはマリアからいくつの幸せを奪ったのだろう。

  マリアが発作を起こすのが怖くて、ワシはマリアから自由を奪った。

  マリアが余命幾ばくもないのならワシにできるマリアを幸せにしてやれることはしてやろうと思った。 なのに、私はマリアが元気になっていくにつれてその気持ちを忘れていた。

  最初から私がシゼの保護責任者になっていれば、マリアはあの忌まわしい検査を受けなくて済んだだろうに。

  シューリッヒが、マリアが大好きだからマリアが一番喜ぶ事をしてあげたいと言ったように、ワシもその気持ちは同じだったはずなのに、ワシはそれができなかった。

  マリアが何よりも愛したというのに、シゼの事を認めてやらなかった。

  村人に、マリアの方が積極的に翼族に気持ちを向けたと思われたくなくて、シゼが治療にかこつけてマリアに手を出したと嘘を流した。

  マリアが大好きなシゼの白い翼を拘束具で奪った。

  お義父さん、と呼ばれるのも拒んだ。

  巳白と清流に父と母の名前を教えさせなかった。

  マリアを助けてくれるはずの聴覚さえも私は奪った。

  きっと無理難題を言えば先に向こうが愛想をつかして去っていってくれるだろうと考えていた。

  なのに、シゼは本当に、よく言うことをきいてくれた。

  ワシは、もしシゼに翼が無かったらどうだったのかと、マリアの死後、自問してみた。

  するとシゼは、マリアの良き夫だったのだよ、 トシ。

  そして良き私の義息子だったのだ。

  巳白と清流は、ワシが何より愛したマリアの血を引いた、ワシの孫だったのだよ。

  翼があるという、ただそれだけでワシはごく当たり前の幸せを自ら遠ざけていたのだよ。


  すべて私の自業自得だ。

  そしてすべてが後の祭りだ。

  もし人生がやりなおせるものならば、ワシはやり直したい。

  あの時、素直にマリアとシゼを認めてやりたい。

  そしてシゼを差別することなく、村に迎えてやりたい。

  最愛の娘が愛したものをもっと愛してやりたかった。

  死ぬ間際に幸せだったと言ったマリア。

  もっと生きたかったと言ったマリア。

  もっともっと、親として幸せにしてあげれたはずなのに。

  マリアの笑顔はもっと輝いていただろうに。


  そして、巳白と清流。


  何も村から追い出す必要は無かったんだ。

  ハーフは一代で滅びるのだから、彼らの一生を幸せで満たしてあげればよかったのに。


  本当にあの二人は殺されてしまったのだろうか?

  シゼが実の子を、マリアとの愛の結晶を殺したとは考えにくい。

  しかし、生きているとして、ワシに何ができよう?

  巳白も清流も、村の名前も父母の名前も知らぬのだ。

  いったいどうして彼らがこの村に戻ってくる手がかりを得よう?

  ああ、すべてが手遅れだ。

  もっと可愛がってやれば良かった。

  特に――巳白。

  巳白は賢い子だった。

  そして優しい子だった。

  ただ、瞳がとてもトシによく似ていてな、お前に内緒にしていたワシや村人は何だか後ろめたくて素直に可愛がってやれんかった――

  マリアがよく言っておった。 巳白のおでこは自分似だが、目はトシ兄さんそっくりだから、兄さんが村に帰ってきたらびっくりして、猫かわいがりすると思うのよね、って――

 





 父はそこまで書くと涙があふれて続きを書けなくなった。

 そして、日記を閉じる。

 同時に、記憶の毬は終了した。

 

 

 

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