10-4 父の記憶3〜検査と証明
「はい。 今日のこれで治療は終わり。 よく頑張ったね」
父の記憶の中で、シゼが煎じた薬湯をマリアに渡しながら言った。
マリアは薬湯を受け取ると一気に飲み、顔をしかめる。
「にっがぁい」
その表情に皆が笑う。
空になった椀を受け取ってシゼが言う。
「みんな、そんなに笑ったら可哀想だよ。 この薬は確かに異常に不味いんだからね。 いくら病気を治すためとはいえ、お嬢さんはよくもまあ文句も言わずにこの薬を飲んだなぁと感心するよ」
確かにものすごくマズかったよな、と、味見をしたメンバー達は笑う。
「えーっと、それじゃあ、明日でみなさんともお別れなんですよね?」
みんなを見回しながらマリアが尋ねた。
「ああそうだね。 シゼがここを発ち次第、我々は委員会の仕事に戻ろうとしよう」
リーダーが答えた。
「明日といわずにもう今からここを発つつもりですがね」
ふと見るとシゼは荷物を片づけ始めている。
「あっ、待って!」
マリアが慌てて駆け寄りシゼの荷物を奪い取る。
「元気にしていただいたお礼に、今日はみなさんにご馳走を振る舞う予定なの! ねぇ? パパ」
父がにこやかに立ち上がる。
「ああ。 今回は本当に委員会の方にも、シゼさんにもお世話になった。 娘の快気祝いを兼ねて今日は一席設けますので、皆さんに沢山召し上がって頂きたい!」
メンバーは、やったぁ、と喜ぶ。 リーダーがそのような事をなさらなくても、と辞退しようとしたが、マリアに「お世話になった御礼ですから」と笑顔で言われては断れなかった。
シゼもマリアの表情を眺めながら諦めたようにため息をつくと、マリアの頭をくしゃっと撫でて、「苦い薬を文句も言わずずっと飲んだご褒美だ」と言って申し出を受けた。
マリアがそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。
部屋に沢山のご馳走や酒が運び込まれてくる。
マリアはかいがいしく皆にご馳走を取り分けたり、酒をつぐ。
美味しい料理とマリアが元気になったお祝いでとても楽しい宴席だった。
マリアはシゼにもご馳走を取り分けていた。
シゼはサラダなら食べていた。
マリアがシゼに酒をついでいた。
シゼは仕方がないなぁ、という顔をしながら、酒を飲んだ。
父も、誰もが沢山食べ、飲み、歌い、笑い、夜は更けていった。
そして誰もがいつのまにか飲みつぶれた……
――翌朝。
「うわぁああああああああっ!」
別荘の静寂を破ったのは、シゼの叫び声だった。
父も委員会メンバーも跳ね起きる。
部屋の中を見回すとシゼの姿が見えない。
「上か?」
「上の部屋か?」
全員は顔を見あわせると慌てて2階に上がる。
2階の寝室の扉を勢いよく開けるとそこには、ベットに起きあがって目を白黒させているシゼと――
「うーんっ、よっく寝たぁ♪」
同じベットの中の毛布にくるまって気持ちよく起きあがった、マリアの姿。
「あ、おはよう、パパ」
マリアは父を見るとにっこりと微笑んだ。
「待て! やめてくれ! お願いだ! 頼む!」
父が廊下をずんずん進んでいくメンバーにしがみつく。
「ならん!」
メンバーの一人が父をはね飛ばす。
「おじさん!」
シューリッヒが駆け寄る。
「パパっ」
マリアが心配する。
マリアはリーダーとメンバーの2人に両脇を抱えられながら進んでいた。
「ちょ、ちょっと待ってくれたまえ」
シゼも青い顔をして慌ててマリア達の後を追う。
「ならん」
「ならんも何も……私はただ、飲みつぶれて寝ていただけだ。 お嬢さんには何もしていない」
「そうだそうだ! マリアは何もされておらん! だから酷いことをするのは止めてくれ!」
「されたかどうかはこれから検査をすれば分かる」
メンバーはとりつくしまもない。
「マリアさん。 あれほど私は検査を受けることになると言ったはずですよ?」
リーダーが言った。
ところがマリアはおびえもせずに、しっかりと言った。
「構わないわ。 だってシゼは安全だもの。 それを私が検査を受けて証明してみせるの」
「証明?」
「この検査を受けて、私が何もされていないって分かったらシゼは安全だって証明できるんでしょう? シゼが安全だって証明できたら、シゼはあなた達がいなくても、保護責任者制度がなくても、この村にいてもらえるもの。 誰にも頼らない。 私が証明してあげるの」
マリアの目は本気だった。
リーダーは辛そうに目を閉じた。
「我々も仕事だ。 検査に手心は加えられん」
マリアも負けじと言った。
「手心なんていらないわ。 覚悟はできているもの。 どんな検査だって受けるわ。 イヤだなんて言わないわ」
リーダーの目が開いた。 情けを捨てた瞳だった。
「よかろう。 検査は私とシージー、ボルッサオの3人で向こうの部屋で行う。 サトウは扉の前でシゼを監視。 シューリッヒはエリートコースだから我々の検査に立ち会うのは無理だ。 よって村長の監視」
シューリッヒが慌てる。
「ちょっと待って下さい!」
「よせ、シューリッヒ。 検査は幼なじみに見せられるようなもんじゃないんだ。 リーダーの配慮をムダにするな」
サトウがそう言ってシューリッヒの腕を掴んで制する。
リーダー達が向こうの部屋の扉を開けてマリアを中に連れていこうとする。 扉の前にシゼが立ちふさがってくいさがる。
「やめるんだ! 神に誓って私はお嬢さんには手を出していない! なぜなら――」
「なぜなら?」
「――ああ、なぜなら、私はお嬢さんの事を何とも思っていない。 むしろ嫌いと言っていい! だから触れてもいないし、洗脳なんてもっての他だ! だから検査をしても意味が無い!」
シゼが叫ぶ。
リーダーは動じない。
「すべては検査すれば分かることだ」
そう言ってシゼの肩に手をやり、どかす。
「やめるんだ!」
シゼが叫ぶ。
マリア達が部屋へと入る。
「彼女には何もしていない!」
シゼが叫ぶ。
「ボルッサオ、扉を閉めろ」
リーダーが告げる。
「お願いだ! やめてくれ!」
父がボルッサオにしがみつく。
リーダーが一喝する。
「シューリッヒ! 村長を離せ! 検査を妨害するのであれば即処刑もあるぞ!」
「お、おじさん! ダメだ! 離れて!」
シューリッヒが父を後ろから羽交い締めにして引きずり離す。
「やめろ! 離せ! シューリッヒ! 止めろ! マリアには何もするな!」
父は半狂乱になって叫ぶ。
扉が閉まろうとした瞬間、シゼが扉と壁との間に手を滑り込ませて制する。
「どうしたシゼ」
リーダーが尋ねる。
シゼの表情は真剣だ。
「――もし、彼女が洗脳された疑いがあると思うのなら、今、私を殺してしまえばいい」
「お前を?」
さすがにリーダーは驚いた。 シゼは頷く。
「私がいなくなれば彼女と知り合った翼族は一人もいない。 ならば関わっていないも同じ。 洗脳しようが無いではないか。 私は構わん。 彼女を検査する位なら、この場で私を殺せ」
「それだけはダメっ!」
しかし申し出を却下したのは他ならぬマリアだった。
「いいや! 私を殺せばいいだけの話だ!」
シゼも引かない。
「何度も言わせるな! 彼女を検査する位なら私を殺して彼女を解放するんだ!」
ところがリーダーは告げた。
「残念だが、すべては検査の後での話だ」
マリアがシゼをみつめて、
「大丈夫よ。 私は平気よ」
そう言って微笑んだ。
そして扉が閉じられる。
「いっそのこと……私を殺せ……」
再度そう言ってシゼは力なくその場に座り込んだ。
扉の向こうからリーダーの声が聞こえる。
「ではこれから検査を始める。 マリア君に拒否権はない。 指示に自ら従えば我々も手荒なまねはしないし、危害も加えない。 だが指示に従わなかった場合は実力行使をもって検査を進める」
リーダーは更に続ける。
「まず、着ているものを下着も含めてすべて脱いで貰おう」
衣擦れの音が響く。
「両手両足を広げてベットの上で横になるんだ」
ガタリ、と扉の向こうで音がする。
「もっと広げろ。 ――では各部をすべて写真撮影、及び触診、粘膜採取のうえ鑑定に回す」
おそろしいほどの静けさに満たされた別荘に、リーダーの声が響き渡る。
リーダーの指示と、器具の音、一言も発せず耐える、マリアの気配。
その音に真っ先に耐えられなかったのはやはり父だった。
「止めろ! やめてくれ! マリアに何もするな! 無骨な男どもが……マリアに……ワシの大事なマリアに……」
父は泣き崩れた。
その泣き声が別荘中にこだまする。
それはマリアが検査される音をかき消してくれた。
「止めろ……止めてくれ……」
父の泣き声を、サトウは制止しなかった。
シゼは床に座り込み頭を抱えて耳を塞いでいた。
「いっそのこと……私を……殺せばいいものを……」
そうずっと呟いていた。
再び
巳白の精神は、見知らぬ街にいた。
まるで夢のような、現実のようなこの空間。
目の前の広場には群衆がたかって誰かに怒号を浴びせている。
巳白は訳も分からずに人混みをかきわけて前に進む。
すると突然見知らぬ男達が巳白をはがいじめにする。
視界に入るマークは翼族調査委員会のもの。
巳白は視線を前方に向ける。
広場の真ん中に、翼を持った男がいる。
その男は手足と首に拘束具をつけられて暴れている。
「僕は何もしていないっ!」
男が叫ぶ。
それをかき消すように群衆が「殺せ! 殺せ!」と連呼する。
調査委員会のメンバーが二人、男の側に行く。
焼きごてで男の翼を焼く。
男が叫ぶ。
そして剣を取り出し、男の翼をもごうとする。
巳白と男の目が合った。
「助けて!! 兄さん!!」
男が、叫んだ。
そして周囲が男の血で真っ赤に染まった。
そして――巳白の精神は、見知らぬ街にいた。
まるで夢のような、現実のようなこの空間。
目の前の広場には群衆がたかって誰かに怒号を浴びせている。
巳白は訳も分からずに人混みをかきわけ……
モニターの数値を見ていたシンディの目が輝いた。
明らかにいままでとは違うグラフの数値だ。
「反応したわ!」
シンディはモニターにくぎづけになる。
「弟が殺される所で巳白の脳波に怒りと焦りが反応。 ……二度目は……」
モニターの数値が更に乱れる。
「心拍数、血圧上昇、筋肉も微かに反応……! やったわ! この翼族の精神とリンクした!」
モニターの巳白の顔は蒼白なままだ。
「何回だってこの幻を見せてあげるわよ。 記憶の糸の中の翼族が怒りに我を忘れて周囲の者を殺す瞬間にあなたが同調するまでね!!!」
シンディが嗤った。
ざざざっ、と広場に風が吹いた。
「――兄さん?」
清流が思わず口にした。
弓達が清流を見る。
「どうしたの清流? 巳白の声が聞こえたの?」
弓が尋ねる。
清流は一瞬、風の音を聞いて、首を横に振る。
「いや――。 聞こえてない。 ただ、なんとなく――」
清流はなぜか一瞬、翼を切り落とされた時に兄が助けに来てくれた、あの瞬間を思い出していた。
ただ、なんとなく、兄が自分のことを助けたいと必死になっているような、そんな気がした。
その言葉を聞いた来意が言った。
「――なんとなく……なら、清流。 ここに清流から見て、違和感のある場所はある? 巳白がもしここに来たとすれば、君はその残留思念みたいなものを感じることは出来ない?」
「なんでだぜ?」
清流の代わりに世尊が尋ねる。
来意が思案しながら告げる。
「いや。 翼族は僕ら人間とは違う次元でも生活できるからね。 ハーフの清流なら、僕らには見えない痕跡を発見できるかもしれない」
清流が辺りを見回す。
「分からない――でも、待って」
清流はそう言って広場の隅の樹を触る。
「ここだけが、樹が冷たい感じ」
「冷たい?」
全員が集まる。
「うん、ここだけが息をしていない感じ」
それを聞いて世尊がピンと来る。
「ちょ、ちょっと見せてみろよ。 オルラジア国から来たあいつらの事だ、機械で細工がされてるんだぜ、きっと」
世尊がその樹を隅々まで触る。
そしてやはり、清流が触れた場所で動きを止める。
「ここ、カンカンって音。 間違いないぜ。 これだぜ。 ――壊す?」
来意の顔を見る。 来意は「今できることはそれ以外にはなさそうだ」と告げた。
「いよおっしゃあ!」
世尊は叫んで気合いを入れると、その樹の幹を両手でがっしりと掴む。 みしみしみし、と樹が音を立てる。
「……世尊の奴、どうやって壊すつもりだ?」
羽織がこっそり尋ねた。
清流が答える。
「うーん。 見た感じ、力ずく」
そして来意も頷く。
「しかも、握力で握りつぶす気みたいだね」
「……そんなので、平気なの?」
弓も不安げにつぶやいた。
次の瞬間。 バキバキという、樹と鉱物の崩れ落ちる音がした。 見ると樹の一部を世尊はもぎ取っていた。 手にしたかけらの中にまるで稲光のように電気が光る。
「ほぉーっらら! 見たかぁっ?」
世尊が誇らしげにかけらを持ち上げる。 ――が。
「うっわ、この樹、大丈夫か?」
「樹が可哀想」
「致命傷にはなってないから、後から手当すれば樹は平気だよ」
「ハイハイ。 世尊。 よくできました」
みんないまいち褒めない。
「おっ前らぁっ!」
世尊が叫ぶと同時に、樹の側の空間にぽっかりと穴が開く。 そしてそこから地下へ続く階段が見えた。
「ビンゴ!」
羽織達が叫んだ。
「それじゃあ、いつも通り来意が先頭で――」
世尊が言った時、来意が叫んだ。
「弓っ!」
弓は誰よりも先にその空間へと入り込んだ。 来意達が慌てて追う。
「リト! 巳白!」
弓は二人の名前を呼びながら先へ先へと駆けていく。
そして弓達は階段を下りきり、先の扉を開ける。
「リト!」
弓が声を上げるが、そこにはリトの姿は見えない。 そこは畳一畳くらいの広さの小部屋である。
「……え?」
弓は恐る恐る中に入る。 すると自動的に部屋の明かりがつき、正面の壁の上半分がガラス窓になる。 ガラス窓の向こうには白い壁の部屋が見える。
弓が窓に近づき、そしてそこから見える部屋を見て言う。
「リト!」
羽織達もその一言を聞いて慌てて窓に近づく。
「あっ!」
「兄さん!」
「マジだぜ!」
窓の先には検査室があった。 検査室の中央で、巳白がひざをついているのをリトが抱き支えていた。
「正面!」
来意が声を上げた。 正面の壁には同じように窓があり、そこにシンディの姿が見えた。
「あの人は?」
清流が問う。
「調査委員会の人よ!」
弓が答える。
世尊が指を弾く。
「やっぱビンゴか! ……って、あっちはこっちに気づいてない?」
全員でシンディを見る。
シンディはモニターや、巳白達、そしてこっちの壁にも視線を走らせているが気づいた様子は無い。
「この部屋はおそらくゲストルームというか、隠し部屋だね。 この窓も向こうからは普通の壁にしか見えないんだろう」
来意が窓に手をついて言った。
「リト! 巳白!」
弓が両手でドンドンとガラスを叩く。 しかしびくともしない。
弓は周りを見回すと、端に折りたたんで立てかけてあったスチール椅子を手に取り、思いきり窓にむけて投げつけた。
「危ない、弓!」
しかし窓はびくともせず椅子は跳ね返り、それを羽織が叩き落とした。
「だって、リトの様子が変だもの!」
弓が叫ぶ。
羽織はリトを見た。 こちらを向いたリトは巳白を抱き支えているが、その瞳が灰色に濁っている。
世尊が拳に力を入れる。
「よっしゃ、オレに任せろっ!」
そして思いきりガラスをぶったたく。 しかしガラスはびくともしない。
「もういっちょう!」
世尊は諦めず、もう一度ガラスを殴ろうと振りかぶる。
それを来意が制した。
「無理! 僕らはこの窓を割って中に入ることはできない!」
シンディは向かいの壁側に羽織達が入り込んだことにも気づかないで、巳白に釘付けになっていた。
「いいわ……いいわよ。 同調率が上がっているわ。 弟が兄に助けを求めながら惨殺される。 さあいつまであなたは我慢できるのかしら?」
拷問というものは、不思議なものである。 今まで耐えていた者が崩れ落ちようとする瞬間、早く崩れて欲しいような、このまま責めていたいような、奇妙な感情が沸く。
相手が壊れた瞬間、今度はこちらが後戻りができなくなるのだ。
それは好奇心というよりも、恐怖だった。
だからあえて何も考えず楽しげに進む事が恐怖を打ち消した。
巳白の感情を表す数値がどんどん変化する。 それは乱暴に姿を変え今の巳白の心を狂わせていた。
まるで夢 よう、現実うこ空間。 目の前場に群衆…て誰か…号を浴びせている。
「助けて!! 兄さん!!」 男の血で真っ赤に染ま 「殺せ! 殺せ!」と 焼きごてで
目が合 見知らぬ街 「殺せ! 殺せ!」と「助けて!! 兄さん!!」兄さん!!
真っ赤 血で 真っ赤 助けて!! 殺せ! 真っ赤 血で 真っ赤 助けて!! 殺せ!
―― そして剣を取り出し、男の翼をもごうとする。
―― 巳白と男の目が合った。
――「助けて!! 兄さん!!」
―― 男が、叫んだ。
「ああああアアアッ!!」
巳白が、叫んだ。
助けを求めているのは、弟。
助けなければ、弟は殺される。
血で真っ赤に染まって、殺される。
助ける。
助けるには?
この、自分を押さえ込んでいる、委員会の奴ら。
こいつらから離れて、弟を助ける。
助ける?
そう、委員会の奴らから
この、自分を押さえている奴らから
コイツを殺して、弟のもとへ行く。
コイツを殺して、弟を助ける。
コイツを殺して、コイツを殺す!
「巳白! どうしたの?!」
叫び声を上げた巳白を見て、弓が声を枯らさんばかりに叫ぶ。
「兄さん!!」
清流が呼ぶ。
しかし巳白は叫び続ける。
巳白と男の目が合った。―― アア、タスケテヤルトモ
イマ、 タスケテヤル――「助けて!! 兄さん!!」
男が、叫んだ。――マワリニイルヤツラヲコロシテ
「ダ メ ぇ え え ええ っ ! ! ! ! 」
その時、少女の叫び声が巳白を包んだ。
巳白は見知らぬ街にいる。
委員会メンバーにはがいじめにされている。
巳白はその手を振り上げてメンバーの体を引きちぎる……はずだった。
いいや違う。
羽交い締めにしているのは、メンバーではない。
いいや違う。
そもそも羽交い締めにされているのではない。
では何だ?
巳白は自分にしがみついている「その人物」の顔を見る。
「その人物」は目に涙をいっぱいためて、しっかりこっちを見ている。
強い眼差しで、見ている。
「巳白」を「信じて」見ている。
「その人物」の唇が動いて声を発する。
巳白の体にしっかりとつかまって、言う。
「巳白さんっ! ダメっ! これは巳白さんの現実じゃないっ!!!」
――その人物は――
機械の数値が静かな波になる。
「え!?」
シンディが驚いてモニターをいじる。
そして慌てて、巳白達に目を向けた。
灰色に染まっていた巳白の瞳の色が鮮やかな青色へと戻る。
極度の緊張状態にあった筋肉が微かに弛緩する。
刃物のように堅く冷たくなった羽の一本一本が柔らかな空気をまとう。
巳白の体が微かに動き、自分を支えている人物からほんの少し体を離す。
そして、巳白の瞳が「その人物」の瞳をとらえた。
「――リト」
そう。 その人物は他の誰でもない、リトだった。
リトが目に涙をいっぱいためて、こっちを見ている。
巳白と目が合った瞬間、リトの瞳が優しく微笑む。
「良かった。 巳白さんが、巳白さんに戻ってくれた」
リトは泣きながら、安心したように言った。
巳白はそっとリトの頭を撫でた。
「すまなかったな。 おかげで助かった。 もう――帰ろう」
リトは頷いた。
記憶の毬の中では、どの位の時間がたったのか。
扉のノブがかちゃりと音を立てた。
父も、シューリッヒも、シゼも、立ち上がって待った。
扉がゆっくりと開き、マリアが姿を現す。
そしてすぐ後ろから、複雑な表情をしたリーダー達メンバーが出てくる。
父が、マリアに駆け寄ろうと微かに体を動かした。
だが。
マリアは他の誰にも目をくれず、シゼの前まで歩んでいく。
マリアとシゼは見つめ合う。
父の元へリーダーが近づいて重々しい口調で告げる。
「マリアさんは、確かに何もされてはいませんでした」
父は何も答えず、見つめ合うマリアとシゼを見ていた。
リーダーがシューリッヒに近づく。
「……今までで一番、俺達にとっても辛い検査だったよ。 芯の強い子だ。 すべてを耐えた」
そう言って何かを手渡す。
メンバーはぞろぞろとリーダーの後について別室へと移動する。
マリアとシゼは、ずっと見つめ合っている。
「……私、平気だったから」
マリアがやっとのことで口を開いた。
シゼが辛そうな表情でマリアを見る。
マリアはシゼから目を逸らさない。
その時マリアの瞳から、一粒だけ涙がこぼれる。
マリア自身がそれに驚く。
「あれ? ごめんなさい。 大丈夫。 全然平気なんだから」
シゼが悲しい顔をする。 マリアは平気そうな顔をつくりながら、涙を拭く。
「平気……だけど、清いとは……胸張って言えなくなっちゃった。 アハハ」
ところがマリアは涙が止まらなくなってうつむく。
「……馬鹿!」
シゼがやっと声を出す。
マリアは必死に涙を止めようと両手でぬぐう。
すると、シゼの両手がそっとマリアに向かって伸び、マリアを引き寄せて抱きしめた。
「マリア、大丈夫だ。 君は誰よりも清い」
マリアが目を丸くする。
「初めて名前を呼んでくれた……」
マリアの手がシゼを掴んだ。
シゼは優しくきつく、マリアを抱きしめた。
「嬉しい……」
マリアはそう言ってシゼの体に顔を寄せて微笑んだ。
涙は、歓喜の涙になっていた。
父がそれを呆然と見つめた。
<マリア、お前……!>
トシも気づいた。
シゼに抱きしめられたマリアの表情は、今まで父もトシも見た事が無い表情だった。
安堵と、緊張と、恥じらいと、喜び。
マリアは恋を知った女の顔になっていた。




