10-2 父の記憶2〜我が名は志是
陽炎の館の居間で、糸に吊り下げられたコインが地図の上で揺れる。
糸の先には来意の指があった。
「どんな感じ?」
清流が側で見ている弓に声をかける。
「しぃっ」
弓が人差し指で言葉を遮る。
来意はカードを取り出すと一枚抜き取り、側にあったメモに何やら書き込む。 そしてもう一度地図の上でコインを揺らす。
「あんなんで誰がどこにいるか分かるってんだから驚きだぜ」
服を着替えながら階段を下りてくる世尊が呟く。
弓は両手を組んで祈りながら来意を見つめる。
「弓。 大丈夫だから」
同じく身支度を調えながら羽織も降りてくる。
「ま、来意に頼らずとも、調査委員会の奴らのもとって事だけは分かるけどな」
世尊が言った。
弓が青い顔をして世尊を見る。
「だって当然だぜ? 弓に内緒で巳白とリトが出て行ったんなら他に理由がないぜ? ま、オレ達がちゃんと助けてやるから安心しな」
「あぁもう、世尊はうるさいってば」
来意が少しいらついた口調で文句を言う。
世尊が何か言おうとするのを無視して、来意は糸を引っ張りコインを手にした。
「よし分かった。 リトと巳白は一緒にいる。 場所は城下町の端っこのほう。 とりあえず分かる事はこれだけだから、出かけるよ。 みんな」
来意が立ち上がる。
「なんだよもっとピンポイントに分かるモンだと思っていたぜ」
世尊が言う。
来意は何も言わずに外へ続く扉へと向かう。
世尊が後ろをついてくるが、急に来意が「世尊、右を向いたら――」と言う。 世尊が条件反射で右を向く。 すると鈍い音が響く。
「!”#$%&’()〜!!」
世尊が声にならない声を上げる。
「間違って足の小指を角で打つから痛い目に遭うと言いたかったんだけどな」
しらりと来意が言う。
清流がもだえる世尊の肩を軽く叩いて「自業自得」と言い、羽織も哀れむ視線で世尊をみつめた。
陽炎の館を出ようとした時、弓が羽織の服のすそをつかむ。
「私も行きたい」
弓が言った。
「絶対、リトが私を待ってる」
「ひっ」
リトは小さな悲鳴をあげて目を閉じた。
だが、何も起こらない。
リトはおそるおそる目を開く。
そこには床にうずくまった巳白の姿があった。
巳白はゆっくりと体を起こすとリトを見る。 その瞳は薄灰色に濁り、巳白が巳白で無いことを表していた。
「んヌグっ!」
次の瞬間、巳白はまるで何かに切られたように体をくの字に折り曲げて震え、床に倒れ込む。 数秒の間、体を震わせると瞳の色が元に戻る。 巳白は浅く早い呼吸をしながら青い顔をしてリトを見る。
「……大丈夫。 平気だ」
そう言って微笑む。
巳白は立ち上がると再びリトと一番離れた壁際にヨロヨロと歩いていく。
ブツブツと「俺は巳白、俺は巳白……」と確認するように呟いている。
スピーカーから、シンディの声が流れる。
『巳白くん、どうかしたの? 具合でも悪いのかしら?』
――何をいけしゃあしゃぁと!
リトはシンディの見える窓を睨む。
しかし巳白は平静を装って返事をする。
「いや。 何て事、無いっす」
『――そう』
代わりにシンディの声にはどこか腹ただしさが感じられた。
窓から見えるシンディの手が何かのスイッチを入れる。
すると巳白が再び気持ち悪そうにしゃがみこんだ。
シンディは記憶の糸を点検しながらちらりとモニターの巳白に視線を向ける。
巳白はこめかみを押さえながら苦しそうだ。
そしてモニターの数値をチェックする。
「しぶといわね。 いまいちこっちが与える情報と巳白の感情が同調してくれないわ。 男だったら女性に対して邪な願望を描いてもおかしくはないのに頑として拒否するのね。 破壊性も低い。 もともと両親がそういうタイプの人間なのかしら?」
そしてシンディがデータを閲覧する。
「データベースにも、両親についての情報はゼロ。 祖国だという情報地にもそれらしきものは見つからない……。 仕方ないわね。 片っ端から責めるしかないって事なのね」
ふとシンディがトシの事を思い出し、別のマイクのスイッチを入れる。
「――ねぇ、トシ? あなた、巳白の父親について何か知ってる事を教えて? 名前とか、系統とか」
しかし、スピーカーからトシの返事は聞こえない。
シンディはため息をついた。
「まだ記憶の確認中なのね」
シンディもトシが記憶の毬を持っていることは知っていた。
巳白が狂う最後の瞬間を自分にまかせろと言ったトシ。 覚悟をきめろと告げたら自室に戻ったトシ。 彼が記憶の毬を使って憎しみを再確認しているだろうという事は容易に想像できた。
「仕方ないから片っ端からやるしかないのねぇ、ホントに。 じゃ、次は――狂った翼族として100年もの長き間、幼子を襲っては城で喰っていた伯爵の記憶とリンクしてもらいましょうか。 こいつは真性の狂人だったけどね」
シンディはまるで幼子が目茶苦茶に落書きするときのように無秩序に糸を機械に放り込んだ。
トシはまだ記憶の毬の中だった。
そして記憶の中で彼は初対面したのである。
――巳白達の父親と。
「我が名はシゼ。 志に是非の是。 志是。 害を加えるつもりはない。 落ち着きたまえ」
清流にうりふたつの翼族の男はそう名乗る。
調査委員会のメンバーはそれを聞いて剣を納める。
志是――シゼは頷く。
「見せてくれ」
そう言ってシゼはマリアに触れる。
<触れるなっ!!>
だが、トシの怒りは記憶には届かない。
シゼはマリアの額にそっと手を触れると小さな風を起こす。 その小さな風がまるでマリアの苦しみを洗い流すかのようにマリアを包み、流れ消えていく。
マリアの苦悶のシワが消える。 そしてマリアはそっと目を開ける。
「苦しくない?」
シゼが尋ねて、マリアは一瞬ぽかんとして、頷く。
「良かった」
シゼが微笑む。
「――パパ?」
マリアの瞳が父をとらえる。
父は娘を抱きしめる。
「平気か!? 平気なのか?!」
父の問いにマリアは頷く。
「ありがとう! 何と御礼を言えばいいか……!」
<ダメだ、父さん、そんな事を言っては! こいつに騙されるな!>
シゼは父の言葉を途中で遮った。
「応急処置をしただけなので、病が治った訳じゃない。 御礼はいりませんよ」
「……治ったわけじゃないのか?」
父の問いにシゼが頷く。
父ががっくりとうなだれるのをヨソに、シゼと調査委員会メンバーは何やら話しをする。
<何やってんだ! 早くそいつを退治しないか!>
そして委員会メンバーの中で一番のリーダー格の男が近づいてきて父に話しかけた。
「村長。 マリアの病気だが、あの翼族の男が治療ができると言っている。 完治は難しいかもしれないが、普通に生活するのに不便が無い程度には治せるそうだ」
「治せるのか?」
父の顔がぱっと晴れる。 リーダーが頷く。
「翼族の治癒技術は確かに我々人間よりも優れてはいるからね。 過去の事例にもある。 確かに奴は翼族だが、我々も調査委員会メンバーだ。 我々の監視下のもと治療させれば危険はあるまいと思うが……どうしますか?」
最愛の娘の病を治せるなら、父が断るはずがなかった。
それからシゼと翼族調査委員会のメンバーは一緒に村に来た。
彼らの寝所は村のはずれにある父の別荘だった。 かなり広くてメンバーとシゼが泊まってもおつりがくる位の広さだ。 基本的にマリアは毎日父に付き添われてその屋敷に来て、一つの部屋で委員会メンバーの監視のもとシゼの治療を受けた。
治療と言ってもシゼが煎じた薬草を飲むだけだった。
シゼいわく、心臓を強くする薬らしかった。
そして翼族のシゼには触らずとも耳で聞こえる心音や血流の音の変化でマリアの体調は分かるようだった。
シゼの薬草の調合方法を見ながら調査委員会メンバーは舌を巻き、記録に残した。 かなりの良い資料になると彼らは喜んでいた。
マリアに笑顔が戻ってきた。
マリアはおそるおそるながらも散歩などをするようになった。
途中で急に発作に襲われても、村の中にいる限りシゼが変化をその耳で聞きつけ、いつでも村はずれの別荘から調査委員会のメンバーを一人連れたうえで駆けつけた。
最初はシゼを怖がっていた村人も、マリアが苦しそうにしているのをすぐ楽にするシゼを見ているうちに、いや、調査委員会メンバーが監視している安心感もあってか、具合が悪い時になど薬草を調合してくれないだろうかと依頼するようにもなった。
当然シゼは快く応じた。
マリアは日に日に元気になっていく。 そして翼族調査委員会のみなさんに御礼だと言って、治療に訪れた際に彼らが寝泊まりしている別荘の掃除をしたり、料理を作ったり、花を生けたりして接した。
笑顔のマリアにそのような事をされて嬉しくない者がいるだろうか? いや、いなかった。
マリアは委員会のメンバー達にも好かれ、別荘はまるで暖かい春の花畑のようだった。
いや、たった一人、シゼを除いて。
シゼは自分の立場をわきまえているのか治療時以外はマリアに近寄ろうとはしなかった。 マリアが料理を作っても自分は人間界の食事はしないからと一口も口にしなかった。 みんな、せっかくマリアが心を尽くしてくれているのに何て失礼な奴だと憤りを感じたりもした。
そのうちマリアが言った。
「翼族だって言っても、私の命の恩人には間違いないんだから、やっぱり人として御礼をして、あの人に喜んでもらわないとイケナイと思うのよね」
純粋なマリアのことだ、そう考えるのも当然だろう、と皆が思った。
だからマリアがシゼにしょっちゅう話しかけたり、何か世話を焼こうとしても不思議は無かった。
ただシゼはどうしようもなく素っ気なかった。
それがマリアは気にくわないらしく、ぷう、っと頬を膨らましては次の手を考えた。
「こうなったらマリアさんも意地ですなあ」
そう言ってメンバーのリーダーが笑った。
<あれ? マリアの奴、妙に綺麗になってないか?>
トシは記憶の毬のマリアをみながらふと感じた。
毎日一緒に過ごしていたならばきっと気づかなかったであろうが時間を短くして見ると、 マリアは元気になったという事実以外に、特に変わったことも無いのに、まるで花のつぼみが膨らむように少しずつ、全体的に彼女は綺麗になっていった。
マリアがシゼにちょっかいをかける。
シゼはつれない。
シューリッヒだけが、他のみんなとは違う表情でマリアとシゼを見ていた。
ある日の治療を終えた後にシゼが告げた。
「だいぶん心臓も丈夫になってきた。 あと数回治療したらもう平気になろう」
とたんにマリアの表情が曇る。
「――でも、でも、絶対いつまでも平気って訳じゃないんでしょ? 私、怖い」
シゼがため息をつく。
「あのね、誰しも永遠に生きられる保証はどこにもないんだ。 例え心臓が普通の人間より数倍強くても事故や病気で死んでしまうことだってざらにある。 君の心臓にも確かに寿命があるからいつか死ぬことは避けられない。 その位わかりたまえ」
マリアが不安そうに告げる。
「――でも、でも、だって、治療が終わったらシゼはどこかに行っちゃうんでしょ?」
「当然」
「だって、シゼがいなくなったら、具合が悪くなった時に困るわ。 シゼがいてくれたら安心だもの。 ねぇ? パパ」
父はマリアの問いに少し考えて頷く。
「……まぁ、確かにシゼがいてくれたら他の病気の治療もしてもらえるから助かりはするが……」
そこにシューリッヒが口を挟む。
「もし調査委員会がいないのに翼族を村に置くとしたら、誰かが保護責任者にならなければなりませんよ。 でなきゃみんなの命の保証はできない」
マリアが目を輝かせて言った。
「私じゃダメ?」
「ダメ。 マリアには体力的に資格が無い」
「んー、じゃあ、パパだったら?」
「おじさん――村長なら、ダメって事もないけど、保護責任者になるには試験を受けないといけないし、試験にパスしたとしてもシゼはサインをしないだろうから無理だよ」
「ワシはそんな試験受けないぞ!」
父が慌てる。
「私もサインする気はさらさら無い。 保護責任者制度で自由を奪われるなんてまっぴら御免だね」
シゼもあっさりと言う。
「でも――だって、でも――でも」
マリアが言葉を探す。
それを見てシゼが言った。
「私は不安がって何かに頼ってばかりの人間は好きではない」
マリアの顔がカッと赤くなる。
「だって――、だって……」
<おかしい。 マリアはここまで聞き分けのない態度を取る子ではない>
トシはそう感じた。
「ねぇ、委員会の人がいなくても、保護責任者制度を使わなくても、シゼがこの村にいてくれる方法は無いの?」
マリアの問いに答えたのは委員会のリーダーだった。
「マリア。 病気で一度死にそうになった君は他の人より死に対する恐怖が大きくてシゼがいないと不安なのは分かる。 しかしね、君の心臓はもうほとんど普通の人と変わらないんだ。 大抵のことがあっても平気だろう。 シゼが偶然通りかがって君を治療したことはとても幸運だったと思うよ。 しかし、シゼは翼族なんだ。 翼族は――本人を目の前にして言いたくはないが」
「どうぞ。 慣れてます」
シゼが勧めた。
「翼族は――人を食べたりするんだよ。 そのメカニズムはよく分かっていないけど、どんないい翼族の奴でも人間を襲って喰い殺す事があるんだ。 だから我々委員会がある。 人間を翼族から守る為にね」
「だってシゼは私を助けてくれたもの! 助けてくれた人が人を食べるなんてありえないわ!」
マリアがくってかかった。
リーダーがなだめる。
「それがあり得るんだよ。 だから保護責任者のいない翼族が村に一定時間以上いたり、他人と一晩過ごした時は我々は一緒に過ごした人間を検査する必要がある。 今回、この村にいる間はシゼはずっと我々と一緒にいたからね、村の人も誰も検査を受けていないが我々がいなくなった後にシゼがここに滞在すれば遅かれ早かれこの村の人、勿論、マリア、君もだ。 耐え難い検査を受けて貰わねばならない」
「耐え難い検査……って、殺されちゃうの?」
マリアが心細そうな顔をした。 リーダーが笑う。
「まさか。 殺したりはしないさ。 検査だ。 ただ、あまり受けたくない検査だ。 しかしその検査をしないとその翼族が安全な翼族かどうかを確認できないのでね」
「その翼族が安全かどうかを確かめる検査なの?」
「もちろん」
マリアは少し考えた。
「わかりました。 もうワガママ言いません」
その言葉を聞いて、その場にいた全員、シゼすらもホッと胸をなでおろした。
ただ、トシにはマリアのその表情に何か違和感を感じた。