【最終部 誤認識】 10-1 父の記憶1〜記憶の毬
トシは自分専用の部屋に入った。 そして金属製の箱にそっと手を触れる。
この中には清流の翼と巳白の片腕が入っている。
村に帰って、父親が悔やみに悔やみながら死んでいった後、トシはすぐ村人に話を聞いて子供二人の行方を追った。
自分の未来もどうでも良かった。 ただ、妹を、父を苦しめた子供達をのうのうと生き延びさせるつもりがなかっただけだ。
しかし手がかりはなく、だからより多くの情報を得るために翼族調査委員会に入った。
基本的に翼族に関しては情報はあったが、ハーフについては殆ど手配もなされていなかった。
その村に立ち寄ったのは憎いあの男が過去に立ち寄ったという噂を聞いたからだ。
その男かどうかは分からないが、確かにそこの神父は幼い頃に病を治癒してもらった事があり、そのために捨て子のハーフの兄弟を引き取ったと。
トシはその二人の兄弟を見つけて調査委員会に連れて行こうと思っていた。
調査委員会に連れて行けばその子達はどれだけ翼族としての能力があるのか「検査」される。 ある一定の力があれば生き残るが、無ければ死ぬ。 そんな分かりやすい検査だ。
能力があればその翼は魔法的価値があるので引き剥いで、売る。 翼が無くなった肉体は、研究所送りになって、その後どうなるのかはトシは知らなかった。
だが、その村に着いた時、既に二人の子供はいなくなっていた。 しかしその名前を聞いた時、トシは探していた子だと気がついた。 そして、翼と腕を手に入れたのだ。
あれから何年探しただろう。
ハーフは委員会に届け出ないでも構わないので情報はゼロといって良かった。
ただ、顔を忘れないように、毎日毎日、男の顔写真を見た。
たった一枚の写真を。
「そうか」
急にトシは気づいた。
ここに巳白を呼び出し、拷問を受けさせているが実のところイマイチ気持ちが入らなかったのだ。
巳白はその名前も、片腕という事からも、憎い男の子であることは明らかだったが、父親に似ていないのだ。 これがもし弟の清流の方だったらトシは何のためらいもなく拷問に参加しただろう。 毎日、毎日、その顔を見ながら恨みを覚えていたのだから。
しかし、今の相手は巳白だ。
トシの潜在的なためらいにシンディは気づいたのだろう。
「覚悟を決める、には……」
トシはすぐ側にあった色とりどりの糸で作られた手の平大の毬を見つめる。
これは、記憶のマリ。 科学魔法で作られている。
原理は記憶の糸とよく似ている。 人の記憶を一本にまとめ、他人に伝えるものだ。 記憶の糸と違う点は「記憶を体験」させるのではなく、「記憶を見せる」点にある。 よって自叙伝的に使われる事が多い。 結婚式などで両親から新郎新婦に今まで育てた想い出として送られたり、死ぬ間際の者が自分が生きた証として残したり……
この毬は、トシの父親がいまわの際に指さした品だった。 人生をやりなおせるものなら、ワシはやり直したい、と父に言わせたすべてがこの中に入っていた。
トシは父が死んだ時、一度この毬を紐解こうとした事がある。
毬の糸の端をつまんで、心を開く。
すると心に映像として浮かんでくるのは父の記憶だった。
そこには妹の姿があった。
元気で、おしゃまで、誰にでも愛された妹。
「!」
トシは毬を手から離した。 最初に見た時と同じように。
この先を見ることは不幸になる妹の姿をただ指をくわえて見るということだ。
妹の死を見るということだ。
大事な父が死んだ後すぐに、そんな物を見る気にはなれず、今までずっと見ていなかった。
毬がポンポンと軽く床を転がる。
トシは自分の机の上の小さなモニター画面に視線を移す。
そこには精神攻撃に耐えている巳白の姿が映し出されていた。
――あいつの事を、もっと憎く思わないと
その覚悟がトシにもう一度毬を拾わせた。
トシは毬を紐解いた。
父はこの村の村長だった。
つまり俺と妹は村長の子。
だから村では顔がきいた。
妹、マリアは少しワガママなところはあったが、その素直さ、その愛らしさで村のみんなから好かれていた。
マリアの笑顔は村のみんなを幸せにしていた。
異変はトシが村を出て数ヶ月後、いきなり起こった。
「マリアが倒れた!?」
父は村民からの報告を受けてあわてて医者のもとへ向かう。
中に入るとベットに青白い顔をしたマリアが眠り、その周囲にマリアの友達がいた。
「どうしたんだ!」
父の剣幕にマリアの友達が怯える。
「何も……ただ、みんなでいつもみたいに花畑で遊んでいたら、マリアが急に胸が痛いって言って倒れて……」
「そう、真っ青になって……」
<父さん、マリアに何があったんだ? >
父は医者を問いただし、耳を疑った。
「心臓病?」
<心臓病だって?>
医師が残念そうに告げる。
「先天性のもののようですよ。 思えば奥様も心臓が弱かった」
「それで?! それでマリアはどうなる!?」
医師の言葉は残酷だった。
「本人も気がつかなかったので心臓に負担がかかりすぎて……あまり長くは生きられないかと。 もって半年。 極力運動をさせないようにして下さい。 大声で笑ったりして呼吸が荒くなっても負担がかかります」
<笑わせるなだって!?>
「笑わせるな?! マリアにか?! 笑顔が誰よりも似合うこの子に、笑わせるなというのか!?」
つめよる父に、医師が悲痛な表情で告げた。
「マリアをすぐ死なせたくないなら、他に手はありません!」
父はへたへたと力が抜けて座り込む。
「どうにか、ならんのか?」
<医者だろう! どうにかしてくれ!>
医師は首を横に振った。
マリアはその日から自宅の部屋だけの生活になった。
外に出て風邪でもひいたら、死期が早まるかもしれない、そう考えたら外には出せなかった。
友人と会話をして楽しかったら笑い転げるかもしれない、そう考えたら誰の見舞いも拒否した。
楽しい本を読んで興奮したら?
綺麗なものを見て感動したら?
心臓に負担をかけないためには?!
父はありとあらぬるものをマリアから取り上げ禁止した。
マリアは表情に乏しくなったが、それでもマリアに死なれるより百億倍マシだった。
そんなある日、村にいいニュースが流れた。
「シューリッヒがこの村に寄るのか?」
シューリッヒ。 この村一番の秀才だった。
兄のトシとも、妹のマリアとも大の仲良しで、飛び級でオルラジアの大学に入学した。
しっかりした息子で、高級官僚になるために翼族調査委員会に入り異例の速さで昇進中のエリートだ。
「ああ。 息子から、この地方をメンバーと回るついでに立ち寄るって連絡があった」
「そりゃあ嬉しい知らせだな! さっそくマリアの奴にも知らせ……」
父はそこまで言いかけて、口をつぐんた。 マリアを喜ばせるなんて、心臓に悪くはないのか?
そんな父を見たシューリッヒの父親が、ため息をついて言った。
「なぁ、村長よ。 お前の気持ちは痛いくらい分かるさ。 だけどマリアを今みたいな環境に置いておくのは間違っている。 この前窓から外を眺めるマリアの顔を見たよ。 生きてるのか死んでいるのか分からない顔だったよ。 もし、もしマリアが死ぬとしても――」
「マリアは死なンっ!!!!!」
父は言葉を遮って叫んだ。 しかしシューリッヒの父親はひるまなかった。
「イイやっ! 死ぬんだ! いや、人は誰でもいつかは死ぬんだ! なら、いかに笑顔でその人生を満たしてやるかが親の役目じゃないのかっ!」
父が言葉に詰まる。
シューリッヒの父親が頷く。
「……シューリッヒと、結婚させないか?」
「シューリッヒと!? ワシはマリアをまだ嫁になんかやらん!」
「まだ、って、村長。 マリアには”まだ”な時間がどれくらいある? ……確かに結婚するには二人とも若い。 でも考えてみてくれ。 シューリッヒはマリアを好いておる。 マリアの為に偉くなるんだって言って委員会に入る時に親の俺を説得したような奴だぞ? マリアとも仲良しだった。 無理にとはいわん。 マリアがもしシューリッヒを好きならば、生きているうちに好きな男と結婚式を挙げさせて幸せな記憶を作ってやる事の方がいいじゃないか?」
<そうだよ、父さん。 俺も賛成だ。 シューリッヒとマリアの結婚なら俺は反対しない>
「しかし……娘を……嫁になんて……」
シューリッヒの父親がテーブルを叩いて叫んだ。
「ワシ等はみんな、マリアのあの輝かんばかりの笑顔がもう一度見たいんだよ、村長! あんな幽霊のようなマリアを見ていて辛いのは、あんただけじゃないんだよ!」
「……ああ。 分かった」
父は頷いた。
「結婚っ? シューリッヒと? どうして?」
マリアはとても意外だったようだ。 そんな態度が父は正直嬉しいようだった。
「いや、お前が嫌というなら無理強いはしないさ。 二人ともまだ若いしな。 ただ、シューリッヒが今度、村に立ち寄るというから、もしお前が花嫁になりたいのなら……そのぅ……」
勧めたいのか勧めたくないのか、それは父にも分からなかったようだ。
マリアはくりくりとした瞳で父をみつめた。
「シューリッヒは大好きだけど、彼のお嫁さんになるなんて考えてみたこともないわ」
それはただ「不思議」という表情だった。
マリアは机の上に視線を移す。 そこには兄のトシと、シューリッヒと、マリアが小さい頃から築いていた歴史にも等しい数の写真が飾ってあった。
「だってシューリッヒはお兄ちゃんみたいなものだもの。 結婚って、お兄ちゃんとするものじゃなくて、好きになった人とすることでしょう? 好きって、離れたくないって思ったり、胸が甘く締め付けられるものだって本で読んだ事があるもの。 私がシューリッヒを好きって思う気持ちとは少し違う気がするの」
マリアは指先で写真をなぞる。
<そうか、まだマリアは恋も知らないのか……>
「いや、したくないっていうのならいいんだ。 ワシもな、シューリッヒの父親から申し出を受けたものの、お前にはまだ早いんじゃないかなぁって思っていたんだよ」
「ゴメンね。 パパ」
マリアが謝る。
「いやいや、いいんだよ」
父はにこやかに返事をする。
マリアはホッとしたように、笑顔をみせた。
それは久しぶりの笑顔だった。
「でも、シューリッヒが帰ってくるのは嬉しいわ。 いっぱいお話するの」
父はその笑顔に心が揺らぐ。
久しぶりのマリアの笑顔。
刺激を与えてはいけないと、病気が分かってからマリアからすべてを取り上げた日々。
シューリッヒの父親が、今みたいな環境に置いておくのは間違っていると言った事を思い出す。
「ワシは……間違っていたのかもしれないな」
父はぽつりとつぶやいた。
ふと、良いことを思いついた、という笑顔でマリアが父の顔をのぞき込む。
「ねぇ、パパ」
この顔は必ず何かをおねだりする顔だった。
父はこの笑顔に弱かった。
「シューリッヒを隣の村まで迎えに行きたいナ」
「えっ?」
マリアは両手を合わせた。
「大丈夫! その日が雨だったり、風だったり、天気が悪かったら行かないから! 胸に負担かけないように無理は絶対しないから!」
<ははは。 父さんがマリアのお願いを断れる訳ないじゃないか>
その日は晴れだった。
マリアは久々に極上の笑顔を見せてくれた。 馬車に乗り、隣村へ行く。 隣村には鉄道が走っており、駅のホームで父らはシューリッヒを待った。
プラットホームに5人の集団が降り立つ。
「マリア!」
先頭にいた男が慌ててマリアに駆け寄って抱き上げる。
「シューリッヒ! 元気だった?」
マリアも笑顔で応える。
「ああ、元気さ! マリアも元気そうで何よりだ!」
シューリッヒはマリアの病気の事は知っていただろうが、あえて顔には出さなかった。
「おいおい、シューリッヒ、ちゃんと紹介してくれよ」
残りの4人のメンバーがやってくる。
「ああ、ゴメン。 父さん、おじさん、こちら、僕の上司にあたる委員会の方達だよ」
お互いになごやかに挨拶をする。
それでシューリッヒを含む調査委員会のメンバーは村に宿泊してもらうことになった。
向かい合わせに2人ずつ乗れる馬車二台に別れて村へと向かう。 シューリッヒとマリアは隣に座り、向かいにメンバー二人が乗る。 もう一台には父とシューリッヒの父親、そして残りのメンバーが2人乗って後からついていく。
馬車から見えるシューリッヒとマリアはとても楽しそうに話をしていた。 同乗しているメンバーも笑顔でなごやかな雰囲気に見えた。
だが村へ向かう途中の橋の上で、マリア達の乗っていた馬車が急停止する。
「おじさん! おじさん!」
シューリッヒの叫び声だけが聞こえる。 父らは慌てて馬車を降りて駆け寄る。
そこには胸を押さえて苦しそうにうずくまるマリアの姿があった。
「マリア!」
父は慌てて馬車に乗ってマリアを抱く。
マリアの顔は血の気が失せ、その眉間に苦悶のしわが寄る。
「誰か! 医者を! 薬を! あんたたち、どうにか出来んのか!?」
父はメンバー達に助けを求めるが彼らは申し訳なさそうに首を横に振った。
御者が慌てて薬を持ってくる。 しかしマリアは苦しさのあまり息を止めて口も開かない。
「マリアっ!!!!」
父の声が空高く響いた時。 調査委員会メンバーの顔色が険しくなって空を見上げた。 腰の剣に手をあてて目配せをする。
太陽の光をその大きな翼が遮った。
そして奴が空から舞い降りてきた。
まるでそこだけ時間をゆっくり回しているかのようになめらかに、奴はマリアを抱きしめる父の隣に降り立つ。 腰の剣を抜こうとするメンバー達に、そっと手を上げて制する。
そう、清流にそっくりの、翼族の男が。