9-8 陽炎隊の出番だよ
巳白の翼が小刻みに震える。
巳白は翼をたたむ。
巳白はじっと目を閉じて、歯をくいしばっている。
その額にうっすらと汗が滲む。
顔色も微かに悪い。
リトはそんな巳白を遠くからじっと見つめた。
近づいてはいけないと感じていた。
「気持ち、悪りぃ……」
巳白がぽつりと漏らした瞬間、リトは行動室の窓を見た。
そこにはシンディが無表情のまま、モニターを眺めて、こちらに気づいていない。
リトは巳白を見た。
巳白の右手が、ベットのシーツをしっかりと握っている。 ぎりぎりという音が聞こえてきそうだ。
リトはもう一度行動室を見て、立ち上がった。
「あのっ! 巳白さん、具合が悪そうなんですけど!」
静まりかえった部屋にリトの声が響いたのがいけなかったのかもしれない。
次の瞬間、ごおう、と風が起こり、リトは思わず目を閉じて、床にしりもちをついた。
翼がほんの少し、手に触れた。
リトが目を開けると、リトを見下ろしている巳白がそこにいた。
しかしその目は薄灰色に濁り、見ているはずなのに、リトを見ていなかった。
――!
リトが巳白の事を怖いと感じた次の瞬間、巳白の目がもとの澄んだ青色に戻る。
巳白が一瞬、何がおきたのか考える。
「……安心しろ、リト。 大丈夫だ。 絶対何もしないから」
巳白が絞り出すように口にした。
そしてふわりと飛んで、リトと一番離れた部屋の隅に行き、座る。
リトは呆然と巳白を見つめた。
巳白の意識が攻撃を受けているのは、リトにとっては一目瞭然だった。
【リトの意識の中に入り込んで色んな負の刺激を与えて、まぁぶっちゃけ、リトを狂わせようとしていた】
佐太郎の言葉が思い出される。
そんな人達が無事に返してくれる保証なんて、どこにもないではないか!?
リトは今更ながら気づいた。
もっと、もっと早く気づくべきだった。
そしてどんなに巳白から恨まれようとも、協力すべきではなかったのだ。
――弓っ!
リトはなぜか、心で弓の名を呼んだ。
弓、と呼ばれた気がした。
弓がベットの中で目を覚ました。
「ん……?」
弓は寝ぼけ眼をこすりながら起きあがる。
外はまだ暗く、静かだ。
弓は周囲をきょろきょろと見回して、あくびをしながらベットから降りる。
「御手洗い……」
弓はそう呟いて、カーディガンをはおろうと近くのハンガーラックを探す。
「あら?」
しかしそこには何もかかっていないハンガーが1本残っているだけで、弓のカーディガンが無い。
しかし弓はただ首を傾げるだけでさほど気にもとめず、そのまま部屋を出る。
パタパタ、と小さな音を立てながら弓は廊下を歩く。 1階に降り、手洗いを済ませて厨房に寄ってお茶を飲む。
そのまま部屋に帰ろうとした時、ふと厨房のテーブルに置かれたままのドリアの皿が目に入る。 そこに食べた様子は無い。
「巳白、何か食べたのかしら……?」
弓はちょっと心配になって、様子を見に行ってみることにした。
2階に上がり、廊下を進んで巳白の部屋の前に立つ。 部屋の中で起きている気配は感じなかったので、ほんの小さくノックを一回して、扉を開ける。
「巳白?」
部屋に響いたのは弓の声だけで、部屋の中には彼の姿は無い。
弓は部屋の中に入り、開けっ放しになっている窓を閉める。
「また佐太郎さんの所かしら」
弓はそう言いながら部屋を後にしようとした。 巳白が部屋を空けるのはそう珍しいことではない。 夜の方が人目を気にせず大空を飛べるだろうから。
でも、夕食も食べないで夜中に出て行く、というのはめずらしい。
帰ってきてから朝食代わりに食べるのかしら?
そんな事を考えていた弓の視界に白い物がよぎる。
「?」
弓はベットに引き返す。 すると枕元にきちんと畳まれた弓のカーディガンがある。
弓はそれを手に取り広げてみる。
「どうしてここに?」
不思議に思いながらも弓はそれを羽織る。
袖を通して自分を抱え込むように手を腰に当てる。
――さわり心地が、変。
弓は指先の敏感な感覚を見逃さなかった。 なにしろアイロンがけは弓の十八番である。 変なシワはすぐ分かる。
弓は巳白の部屋の電気を点けた。 そしてカーディガンを見る。 カーディガンに一部分につまんだような、変な跡がある。
ふと、弓は昨日の巳白の様子が変だった事を思いだして部屋を飛び出した。 自分の部屋に再度入り扉に札をつけ、小さくノックして扉を開ける。
扉の先は、真っ暗なリトの部屋。
きちんと整理されたままの、誰も寝ていないリトのベット。
そして、冷たい夜風が流れ込んでくる、開け放された窓。
弓が気づいた。
「来意っ! 来意っ! 起きてっ!」
弓が来意の部屋に乱暴に入り込み、来意を揺り起こす。
「ん……? まだ朝じゃないだろう?」
ところが来意は寝返りをうって目を閉じる。
「来意っ! お願い、起きて?」
しかし来意が反応しないので思わず弓が涙目になりながら「――羽織さまっ……!」と呼ぶ。
来意の頭上の空間がキラリと光った。
弓が頭上を見上げるとそこに目を閉じたまま剣で空間を切り裂いた羽織がポンと現れる。
空中に出た羽織はそのまま来意のベットへと落ち――
「うぁあっ!」
「いってぇっ!」
羽織と来意はお互いに頭をぶつけて悶絶する。
「何?何? 何の騒ぎだい? 弓ちゃん」
「静かにしろよー。 義軍が起きちゃったらどうするんだぜー?」
騒ぎをききつけて清流と世尊が目をこすりながらやってくる。
「……あれ? 弓? 何で俺、ここにいるんだ?」
羽織が頭をさすりながら弓に尋ねる。
「――無意識なら余計迷惑……」
来意も頭をさすりながら羽織を見る。
弓が口を開いた。
「あの――あのね――、リトと巳白がいないの。 いないの」
ベットに置いた弓の手がぎゅっとシーツを握る。
「ねぇ、平気?」
弓は来意の顔を見る。
来意が答える前に世尊が言う。
「巳白は佐太郎さんの所にでも行ってるんだぜ? きっと」
続いて清流も言う。
「リトちゃんも他の女官の部屋で寝ているだけじゃないの?」
そんな二人をキッとにらむ弓を羽織がオロオロとみつめる。
来意が目を閉じて軽く精神集中する。
「――平気かどうかってのは分からないけど、どこにいるかだけ占ってみよう」
「うんお願い」
弓の顔はまだ緊張している。 そんな弓を羽織が元気づける。
「場所探しは来意の得意分野だから、すぐ分かるよ。 弓」
「しっかしさ、オレ、二人が夜中に逢うような関係だったなんて知らなかったぜ」
「馬鹿言わないでよね、世尊。 兄さんがリトとそんな関係なはずが無いだろ?」
「でもさぁ、二人一緒ってことはそういう事だぜ? やっぱり長い間洞窟で一緒だったから――」
「ああもう全員、静かにしてくれってば」
来意が言った。
「――んん、少し、目が覚めてきた。 きちんとした場所はこれから占わなきゃ分からないけど――」
来意が目を開けた。
「陽炎隊の出番だよ」