9-4 守りたいのは
「試すような事してごめんな」
巳白はそう言いながら、窓際に行き、外をみつめる。
リトは自分の手の中の手紙と巳白を交互に見比べた。
巳白は外を見たまま、話し続ける。
「リトが委員会の奴らに記憶収集器具をつけられていて、ラムールさんや委員会の奴らの記憶が見えたって言っていた時から、もしかしてとは思っていたんだけれどさ」
窓ガラスに写る巳白の目は何か遠くをみつめていた。
「――眠り玉を使っていたのはリトとラムールさんだけじゃなくて俺もなんだから、繋がってても変じゃない。 俺はあの洞窟の中でずっと、ずっと昔の事を思いだしていた。 リトが全部見えてたとしてもおかしくない」
巳白は手を窓の縁について、おじぎをするような形で体を伸ばした。
「――そっかぁ。 全部、見られたか」
落胆したような巳白の言葉を聞いて、リトの胸がぎゅっと締め付けられる。
リトが望んだことではないが、他人に秘密を知られることがどんなに嫌か、切ないか、その位想像できる。
しかも、あんな悲しい記憶を。
リトはただ黙って立っていた。
巳白は背筋をのばして、もう一度外を見つめて尋ねた。
「念のため、聞くけど。 リトが見たのは俺が陽炎の館に来た所までしか見てないの? アリドと出会った時の事とか、こっちの陽炎の館での記憶は?」
リトは正直に答えた。
「私が見たのは……陽炎の館でラムール様が巳白さんの保護責任者になって、そこに翼族の人が来て、清流くんに君は翼族だよ、とか言ったとこまでで……」
そこまで見てしまったことについて、巳白はどう思うだろう。
「そっか」
しかし意外にも、巳白はすっきりした声で返事をした。
――あ、もしかしてアリドとの秘密を見られたと思ったのかな?
リトはアリドの初キスの話を思い出した。
巳白がやっと振り返ってリトを見る。
「俺には本当のことを話す勇気は無かったんだ。 もしあの村から追っ手が来たら? もし俺達が手配されていたら? もし翼族委員会に見つかって清流と離ればなれになったら? そう思うと絶対本当の事は言えなかった。 清流にも、絶対言うなって口止めしてた」
リトは頷く。
体験してしまったリトにはその気持ちが痛いくらい分かったから。
陽炎の館に来た日、「ボク」は何もかも信じる気にはなれなかった。
助けてくれた一夢さんも、新世さんのことも。 翼族の人のことも、ラムールのことも。
ただ、清流だけが、大事だった。
でも今、リトが見る限り、巳白は清流だけではなくみんなに心を開いていた。 みんなを大事にしていた。 そこまでたどり着くのに何があったのか、それはリトには分からない。
ただ、あの頃は清流だけが大事だった。
兄ちゃんが、守ってやると心に誓った。
何があっても、何をしてでも守ってやると、誓った。
だから清流にも絶対言うなと口止めしたのだろう。
「大丈夫ですよ。 私も、誰にも言ってないし、言うつもりもありませんから」
リトは言った。
たとえ委員会の人達がリトに問いただしても言わないと、リトは思った。
きっとこんな手紙を受け取って、巳白はすべてが明るみに出ることを恐れたのだ。
そう、リトは思った。
が。
巳白の表情は晴れなかった。
そしてゆっくり首を横に振った。
「そうじゃないんだ」
巳白が言う。
そして言葉を探す。
リトは黙って、巳白を見る。
巳白はやっと言葉を探し出して、口にした。
「協力しろってさ」
「協力?」
リトは巳白の言葉をくりかえした。
そして巳白はトシからの申し出の話をした。
巳白のデータを彼らが欲しがっているということ。
それには一晩、彼らの施設に行く必要があること。
協力したことは保護責任者にも秘密なこと。
無事に帰すと言われたこと。
「……」
リトは黙って聞きながら、どうやって巳白を協力させないですむか考えていた。
リトは見舞いに来たシンディから記憶操作をされかけたのだ。 明確な証拠はリトは持っていなかったが、シンディ以外の誰の仕業とも思えなかった。
翼族調査委員会の人達はとても危険だとリトは気づいていた。
甘い言葉の裏には必ず罠があると知った。
巳白の場合だって無事に帰すなんて補償はどこにもない。
いや、これが罠以外の何であるというのだろう。
「巳白さん」
リトは巳白の説明を途中で切った。
「そんな協力なんてしないほうが絶対にいいです! 絶対、無事に帰って来られませんって!」
しかし巳白が反論した。
「俺もそう思ったよ」
「だったら……」
「でも俺の保護責任者はラムールさんなんだ」
「でも……」
リトは言葉を飲んだ。
「あいつらの言うとおり俺を無事に帰さなかったら必ずラムールさんに話が行くんだ。 奴らがそんな危険を冒すはずがないし……」
でも、とリトは言うのをこらえた。
――でも、ラムール様は巳白さんの事を大事にしてるとは思えません!
リトは心の中で叫ぶ。
――ラムール様はずっと何処かに出かけているんだよ? きっと、どこかに行くつもりなんだよ? なのにラムール様を信じちゃうの? 巳白さんがただ自分の都合で行方不明になったって思われるだけかもしれないんだよ?
リトは、心で叫ぶ。
言葉にして言えなかったのは、言葉に出すことで認めるのが怖かったのかもしれない。
巳白がリトの肩を掴んで、顔をのぞき込んだ。
「それにな、リト。 ここからが大事なんだけど、俺一人じゃ駄目なんだよ。 奴らは協力者を一人連れてこいって言っているんだ」
「協力者?」
リトが繰り返す。
巳白が頷く。
協力者、という言葉に悪い予感が走る。
リトの予感は的中する。
「リト。 お前に協力して欲しいんだ」
リトの表情が強張るのに気づいて巳白が慌てる。
「協力っていっても別にたいした事をする訳じゃないんだ。 一晩、俺と一緒に同じ検査室の中にいてくれればいいんだ。 機具をつけられるのは俺だけで、リトには何もしない」
――信じられない。
リトの心が叫ぶ。
巳白が真剣に話す。
「二人一緒なら、絶対奴らは俺達を無事に帰すしかないんだ」
――そうかもしれないけど、危険すぎる。
リトの心が叫ぶ。
「なぁ、リト、頼む」
巳白の真剣な眼差しがリトを射る。
「……どうして?」
リトはやっとのことで、口を開いた。
そして、リトは自分を掴んだ巳白の手をそっと握る。
「巳白さん。 どうして巳白さんが協力しなくちゃいけないの? 保護された時に本当の事が言えなかったって事が、そんなに秘密にしなきゃならないことなの? 危険を犯してでも守らなきゃいけないの? 本当の事を知ってラムール様が保護責任者を辞めるって言っても、巳白さんにはまだ佐太郎さんがいるじゃない? 佐太郎さん、みんなの保護者になってもいいって言ってた。 だからそんなに必死になって調査委員会の人の言うことをきかなくてもいいじゃない?」
リトはじっと巳白を見つめた。
巳白の瞳は悲しげだ。
「違うんだよ。 リト。 俺が守りたいのは秘密じゃないんだ」
巳白が小さな声で答える。
「じゃあ何?!」
リトは思わず涙を目に浮かべて反論した。
巳白の手がリトの手からそっと離れる。
巳白が一歩、間を置く。
「リトなら、分かると思うんだ。 渡した手紙を全部開いて、続きを読んでみて」
巳白が優しく言う。
リトは手にしていた手紙をそっと開く。
手紙の下には、こう書かれていた。
話がしたい。
報酬は旧教会跡での忘れ物
バツ印のついた広場で待つ
「旧教会跡……」
リトの全身の血がすっとひく。
――いいか。 村はずれの旧教会跡で翼を切り落とす。
「ボク」の耳にこだました、村長の声。
リトは巳白を見上げる。
巳白が、頷いた。
「報酬は、切り落とされた清流の翼と、俺の腕」
「だけど巳白さんの腕はどうでもいいって思ってるでしょ!?」
リトの言葉に、巳白が再び頷く。
「ああ。 俺は清流の翼を取り戻したいんだ」
リトは信じられないというような目で巳白を見る。
たとえ、たとえ報酬が清流の翼だとしても。
それを今、危険を犯してまで取り戻しに行かないといけないのか。
翼を取り戻しても、清流の体の一部になる訳でもない。
腕を取り戻しても、巳白の腕が元通りになる訳でもない。
気持ちは分からないでもないが、取り戻したとして一体何の得になろう?
しかし、――しかし、巳白は。
「頼むっ!」
次の瞬間、リトは目を疑った。
巳白が、床に土下座をして頭を垂れたのだ。
「一回だけ、一回だけでいいんだ! 俺と一緒に奴らの検査室まで来て調査に協力してくれ! ラムールさんにも、弓にも内緒で、一回、一回だけ! 絶対リトに危害は加えさせない、命に代えてもリトは無事に帰すから……」
頭を垂れたまま発するその言葉の端々に巳白の必死な感情が溢れる。
リトは、ただ驚いていた。
初めて他人から土下座をされてまでお願いをされたのだ。
しかもそれが心の底からのお願いなのだ。
巳白はしっかりと目を閉じて額を床にこすりつけている。
「俺が守れなかった清流の翼。 俺が守れなかった清流の宝物。 どうしても俺はそれを取り戻したいんだ!」
――兄ちゃんが、守ってやる。
リトの胸に、「ボク」があの日誓った想いがよみがえる。
――兄ちゃんが、守ってやる。
そして何も出来なかった自分への、死にたくなるほど腹ただしい気持ちも。
「巳白さん。 顔を上げて下さい」
いったい、どうしてリトがこの申し出を断れただろう。
「わかりました。 協力します」
リトは、返事をした。