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8-10 今に至る

 あの日。

 翼族調査委員会が無理矢理家に押しかけてきてシンディは拉致された。

 拷問室の中で、シンディは何度も問うた。

 自分は何の悪いことをしたのかと。

 するとレセッドが調査委員会分室で重要機密を持ち出して逃走したという。

 レセッドの居場所を知らないかと問われ、シンディは知らぬと答える。

 拷問は延々と続く。 それは精神にも肉体にも及んだ。

 皮膚は薬品で焼け、髪は抜け落ちた。 骨は折られ、意識を失うと無理矢理意識を引き戻された。 

 衣服も無く、狂態も演じた。

 シンディは肉体、精神共にボロボロになり、ただ部屋の隅で膝をかかえて震えるだけだった。

 

 

 ある日、目が覚めると、そこは妙に白々した部屋だった。

 シンディはゆっくりと起きあがる。

 シンディが寝ていたのは清潔な白いベットで、白い毛布が掛けられてた。

 自分の手を見ると、あれだけ薬品に荒れていた手はどこに消えたのか、白魚のような美しい女の手がそこにあった。

 シンディは不思議に思い、辺りを見回す。

 するとベットのすぐ横に大きな鏡が置いてある。

 鏡の中にはウエーブのかかった栗色の髪が肩まで伸びた、見たこともない女がそこにいる。

 鏡の中には他に誰もいない。


”誰?”


 シンディが呟くと、その鏡の中の女も同じように口を動かした。


”私?”


 その鏡の中の女は同じように繰り返すが、耳に聞こえるその声は、自分のものではない、女の声。

 鏡の中の女が、涙を流した。

 シンディは、それで理解した。

 この女は、作られた私なのだと。




 

 次の瞬間、白い壁に黒いシルエットが浮かんだ。


――君には悪いことをしたと思っている――

 聞き覚えのない男の声がスピーカーから流れてくる。


――君への疑いは晴れた。 我々が探していた機密は発見されたよ。


 シンディが身を乗り出しかけた時、男の無情な声が響く


――レセッドが交際していたもう一人の女性の身体の中からね。


 シンディの目の前が真っ暗になる。


――その女性も自分が利用されてるなんて知らなかったよ。 可哀想に。 


 男の声が響く。


――その彼女をね、君より先に火葬したんだよ。 そうしたら見つかった。 君も危なかったね。


 シンディはおそらく生きたまま焼かれたであろうその女性を、なぜか羨ましく思えた。


――翼族ってのは本当に狡猾で、人間の敵だ。 平和に暮らしていた君たちのような善良の人間の危機にわざと駆けつけ、助け、信頼を得て、利用するんだ。 許してはおけん


 シンディはそこではじめて、尋ねた。


”レセッドは――?”


 何よりも知りたく、何よりも知りたくない事実。


――君たちに我々から捜査が及んだことを知って、分室のメンバーを5名、食い殺して逃げたよ


 男の声は冷静に返事をした。

 シンディは泣いた。

 ただ、泣いた。

 声をあげて泣いた。


――君も、翼族を許したくないだろう?


 男の声にシンディは頷いた。


――なら我々の施設に入って訓練を受けるんだ。 君の恨みは必ず晴らせる。

 

 

 

 

 

 

「そして、今に至る、ね……」

 シンディは、ぽつりと漏らした。


 ボリュームを下げたスピーカーから相変わらず狂った翼族の気持ちの悪い叫び声が微かに流れてくる。

 翼族調査委員会は翼族撲滅のために、ある秘策を打ち出した。

 翼族が絶対に危害を加えない「生き物」がいるらしいのだ。

 それは犬か猫か、他の動物かも分からなかったし、人間かもしれなかった。

 しかしその「生き物」は、異生物にとって、どういう訳か「殺せない存在」らしいのだ。

 傷つけたりすることはできても、最終的に「殺せない」そうなのだ。

 その「生き物」さえ見つけてしまえば異生物は手も足も出なくなるのだ。

 その「殺せない存在」は、たとえ【狂った翼族】になって理性を失ったただの獣になっても、寸前で絶対にその相手を殺せないそうなのだ。

 だからシンディ達はこの【狂った翼族セルビーズ・ターニャ】を使うように命令された。

 過去に他の村で人間を食べた【狂った翼族】。

 翼族調査委員会ではそれを捕獲し矯正を試みた。

 長年の研究のかいあって、制御器を複数つけることで、制御笛で多少のコントロールができるようになった。

 シンディ達はこの【狂った翼族セルビーズ・ターニャ】をあちこちに出没させ、好きに村や町を襲わせることで「殺せない存在」を探し出すように特命を受けたのだった。

 シンディはリトの事を思いだした。

 リトの手首についた、跡。

 あれはおそらく、この【狂った翼族セルビーズ・ターニャ】が掴んだ跡だろう。

 しかし、これだけでは「殺せなかった」のか「ただ触れた」のかが分からない。

 跡がついていた時点で「疑いアリ」ということで強制連行は十分可能だった。

 だが、いったん連れていけば、リトはおそらくシンディと同じ拷問を受けるだろう。

 だからシンディはためらったのだ。

 リトは清らかだった。

 あのようなおぞましい拷問を受けさせるには忍びなかった。

 それに、リトを助けようとする、リトの友人達。

 自分の時に友人達が助けくれたのかどうかは分からないが、もし仮に助けようとしてくれたならば、シンディはどんなに嬉しかっただろう。

 誰か助けてくれと心から叫んだ日々。

 リトの友人達の助けをシンディが無視することは、過去の自分を助けなかった拷問者と同じになる。

 シンディは、自分で自分を裏切ることになると思ったのだ。

 一度だけ、助けても良いではないか。

 そのほかに、リトはシンディの記憶を見たと言った。

 もしそれが委員会に知れたとしたら?

 シンディもまた機密を漏らしたと、再び拷問に遭うかもしれない。

 だからリトの記憶をまるごと失わせる必要があった。

 記憶が無くなっても仮に「殺せない存在」であるならばその存在価値は変わらない。

 それを確認するためにも。

 もう一度、リトを襲わせる必要がある。



 

 そこまで考えてシンディがモニターのスイッチを切るのと、トシが行動室の鍵を開けて入ってくるのはほぼ同時だった。



 思わぬタイミングでトシが入ってきたので、シンディは思わずびくりと身構えた。


「あら、どこに行ってたの?」


 それを気取られぬよう、シンディは落ち着いた口調で尋ねた。


「ちょっと手紙をね」


 トシはシンディが驚いたことなど気づきもしないようだった。 軽やかに階段を下りてくる。


「手紙?」


 シンディが首をかしげる。


「――ああ。 ちょっと餌を撒いてみた」


 トシはどこか楽しそうに、でも確実に獲物はかかるとふんだような、そんな口調で言った。


「そういや、シンディはどこに行ってたんだ?」


 ふと思い出したトシが尋ねる。


「私は――あのお嬢ちゃんのお見舞いにね」

「大胆だな」


 トシが目を丸くする。


「当然。 昨日の今日で、まさか私がお見舞いに来るなんて誰も考えていなかったみたいだわ。 あっさりと部屋に通されて」


 シンディが自慢げに微笑む。


「それで? 何もせず帰ってきた訳じゃないんだろう?」


 トシは椅子に座ると煙草に火をつける。

 煙が口から吐き出され、すうっと流れるように線を描く。

 その煙を視線で追いながらシンディが答えた。


「保護責任者プログラム体験版にウイルスを入れて、彼女に体験させたわ。 体験版が終わったら気持ちが悪いと言って寝たみたいだから、そうねぇ、適当な時間にラムール教育係が彼女の記憶を数日分丸々切り取ってくれるんじゃないかしら?」


 紫煙がドーナツ状の形になった。


「体験版にウイルスか。 だけどそれをやるとラムール教育係の殺滅対象になっちまうんじゃないか?」


 さほど心配もしていない口調でトシが尋ねる。


「ふふん。 こっちから無理矢理記憶に侵入した訳じゃないわ。 彼女が自ら思考を開いてくれたのよ。 証拠は残らないわ。 それに眠ってしまえばウイルスが記憶中枢に負荷をかけて混ざってしまうから、ここ数日間で体験した事すべてに加除変換がかかるわ。 そうしたら彼女が何に怯えているのか、何が原因なんか、だなんて分かるはずがないわ。 絵の具を全部混ぜた後の色から、最初に混ぜた色を抜き出せないのと同じ原理よ。 それに」

「それに?」


 シンディが一瞬、口ごもる。


「……それに、お嬢ちゃんは私達の記憶も、教育係の記憶も見たと言ったわ。 なら、自分の秘密を知ったかもしれない相手の記憶を消去するのは教育係にとっても渡りに舟だと思うのよね。 これ幸いと深く追求はしてこないでしょう」


 トシが自嘲気味に笑った。


「はは。 記憶か。 残念ながら俺は記憶を見られてもそこまで慌てちゃいなかったけどな」

「え?」


 シンディが驚く。


「だってあなたも翼族に対しては嫌な思い出があるんでしょう??」


 トシが煙草を灰皿に押しつけて消す。


「嫌な思い出――」


 トシはほんの少しの間、無言になる。


「……というよりも、大事な者を不幸にしたから恨んでいると言った方が正しいかな。 委員会に入るまで翼族とは関わったことも無かったかな」


 そしてもう一本、煙草を取り出し火をつける。

 肺にしみこむ煙草の煙は心の痛みを包んで溶かしてくれる。

 トシはゆっくりと煙を吐く。 それを見ながらシンディが言う。


「トシって本当に煙草が好きよね。 ほどほどにしないと身体を壊すわよ」


 それを聞いたトシがむせる。


「あらあら」


 シンディが笑う。

 トシが息を整える。


「妹みたいな事を言うから驚いた」


 そしてむせた苦しみからか、ほんの少し涙目だった。


「妹さん? ああ、分かった。 妹さんが翼族に殺されたんでしょ?」


 シンディが無神経な口調で尋ねる。

 その無神経さは、きっとトシが羨ましかったから。

 

「直接殺された訳じゃないさ」


 意外にもトシは気分を害したようには見えなかった。


「つまらない話だ。 聞きたいか?」


 トシの言葉にシンディは少し沈黙して、それから頷いた。

 シンディが頷いたのを見て、トシはもう一度煙草をふかす。


「……俺は妹とかなり年が離れていてね。 母親は妹を産んですぐ死んだから俺にとって妹は何よりも大事なものだったんだ。 もちろん父親も妹をとても可愛がったさ。 妹はおてんばで元気いっぱいで、村の誰もがあの子の事を大好きだったよ」


 そして、妹の話に煙草は不似合いとばかりに、吸いかけの煙草の火を消す。


「俺は大きくなって妹と父を残してオルラジア国の大学に入学した。 医師免許を取るためにね。 しっかりと学んで早く村に帰って、もっと村を裕福にしたいと思っていた。 年下のくせに俺と一緒に飛び級で大学に入ることになった男も似たような考えだった。 その男はもっと賢かったな。 特別昇給狙いで、翼族調査委員会に入隊したんだ」

「特別昇給狙い……って、エリートコースってこと?」


 シンディが椅子に座り直す。


「それさ。 調査委員会に入隊して訓練を受ければ自動的に高級官僚へのチケットが手に入る。 奴は大学に入学してから一年後、さっさと調査委員会メンバーになって特殊学校で訓練を受けて、3年間、調査委員会メンバーとして各地を同僚と回ることになった」

「すごいエリートね」


 トシが頷いた。


「そいつはな、妹の事が好きだった。 妹もそいつとはとても仲が良かったし、俺も大事な妹をまかせるならこいつだろうなと思っていた。 ところが、2年目の夏だったかな。 そいつが各地の遠征を終えて帰ってきたから村の様子はどうだったかと尋ねたんだ。 すると、とても難しい顔をして、しばらく村には帰らない方がいい、と言うんだ」

「村が何か災害にでも遭ったってこと?」

「いいや。 奴は別に変わりは無かったと言ったけどな。 ――本当はその時に俺が村に帰っていれば未来は違ったんだろうな。 だけど俺は早く卒業して一人前になりたかったし、立派になるまでは簡単に村には帰らないと決めていた。 だから帰らなかった」 


 トシの瞳に後悔の色が浮かぶ。


「少しずつ変だとは気づいていたんだ。 月一で送られてきていた妹からの手紙がいつからかさっぱり届かなくなってきた。 父親にたまには村に帰ろうかと連絡をしても、色々理由をつけて帰ってくるなと言う。 おかしいとは思ってもオルラジア国と俺の村までは簡単に行き来できる距離ではないからな。 俺の事を思って、と考えていたらだ」


 その口調に力がこもる。


「実は村には翼族の奴が入り込んでいた」


 シンディが、ごくりとツバを飲んだ。


「そして、それを知ったのは、妹が急死した、って連絡を受けた時だった」

 

トシの声が静かに行動室に響く。

 

「俺が村をでてもう十年ちょいが経っていた。 俺が慌てて村に帰ると、そこには最愛の娘に先立たれて、ショックのあまり病床についてしまった父親がいたよ。 俺が村のみんなに事情を聞いて回ったら、俺が村を出てすぐ、一人の翼族の男が村にやってきたらしい。 こいつは怪しげな術を使い、妹を洗脳した。 素直だった妹はその翼族の男に洗脳されて、誰の言うことを聞かなくなった。 村人の言うことも、父親の言うことも、そして遠征で村に帰ってきた幼なじみの男の言うこともだ。 みんな、俺に説得させればどうにかなるのではと思ったようだが、翼族の男は手が早くてな。 妹はその男のものになっていた……」


 それは抑揚のない話し方だった。

 まるで見つめたくない現実に意味を持たせてはいけないというように。


「調査委員会メンバーになった幼なじみの男はそれを知っていた。 だから俺に言えなかったのさ。 そして父親も。 ずっと俺を心配させまいと秘密にして頑張っていたんだ」

「妹さんはどうして亡くなったの?」


 シンディが尋ねた。

 トシの瞳が微かにうるむ。


「何の前触れもなく急死だった。 きっと、翼族の男が洗脳するために処方した薬の副作用だろう。 いつも元気で、いつも笑顔で、まるで春の花畑のような、まだまだこれから幸せになるはずの妹は、その翼族の男に好かれたばかりに人生を失った」

「ご愁傷様だったわね……。 それで、その、翼族の男は? 逃げたの?」


 トシが目を閉じて首を横に振った。


「保護責任者になった俺の父親が、誓いに基づき殺したよ」


 シンディが眉をひそめる。


「じゃあトシはその翼族の男と会ったことも無いの?」


 するとトシがゆっくりと目を開けて自嘲気味に笑う。


「ああ。 笑えることに俺は大事な妹を不幸にした翼族の男の顔すら写真でしか見たことがないんだ。 一度でも直接会えたのなら思いきり殴ってやることもできただろうに。 ――村を離れたばっかりに」


 シンディが身を乗り出した。


「でも、じゃあトシはなぜ調査委員会メンバーになったの? もう仇を討ちたい相手は殺されたんでしょ?」


 トシは答えた。


「何もできなかったからさ」

「何も?」

「ああ。 妹や、父や、村を助けることも。 そして翼族の男を酷い目に遭わせて思い知らせてやることも。 ――だけど、できる事がたった一つ、あった」

「……それは、どんなこと?」


 トシはちらりとシンディを見る。

 ここまで言うつもりは無かったのに、という目だった。


「翼族の男が俺の父に殺される寸前に、子供を二人、逃がしたのさ」

「子供を? ……妹さんと翼族の間には子供がいたというの?」


 シンディが驚いた。


「そうだ。 忌まわしい翼族の血を引いた子供が。 俺の妹を縛り、父を苦しめ、村を悲しみに沈めた翼族の子供が。 そいつ等は不幸の象徴だ。 子供が生まれたから死ぬまで妹は逃げられなかったのだろう。 生まれてきたことで俺の妹を不幸にした子供がだ」


 トシの表情が怒りで満ちあふれる。


「村を、父を、妹を不幸にしたその子供二人を俺は絶対に許さない。 いったいこの世のどこに、そいつらが生きている権利があるっていうんだ!? その二人を見つけ出して、生まれてこなければ良かったと後悔させ、絶望の中、そう、妹や父が絶望の中で死んだように、その子供達を苦しめて苦しめて殺してやるのさ。 それが俺が委員会メンバーになった理由だ」


 シンディがトシのあまりの怒りにうろたえる。


「――ねぇ、トシ、それでその子供って、見つけきれては――いないの?」


 何を問うてよいかわからず、シンディは問う。

 トシの表情が、すっと満足げにその顔色を変える。


「見つけたさ」


 一呼吸おいて、トシはかみしめるように、言った。

 

「一目で分かった。 ――弟は写真で見た翼族の父親にうり二つだったからな」

 



 

 トシの部屋のテーブルの上には、くしゃくしゃにまるめた跡が残る写真が一枚、置いてあった。

 その写真の男の顔は、髪の色と、両目があるという違いを除けば、清流にうりふたつだった。

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